第百七話 訣 別 (けつべつ) Ⅰ
話を終えるが早いか、ラジャンはすぐさまその場を去り、アシュヴァルとシェサナンドの二人もバグワントに引きずられるようにして謁見の間を出ていってしまった。
ローカもまた女たちに連れられ、奥の間へと下がっている。
話したいことはあったが、女たちに「遅いからまた明日」とたしなめられては断念せざるを得ない。
とはいえすぐに離れに引っ込もうという気分にもなれない少年は、特に当てもなく里の中をそぞろ歩いていた。
「一緒に旅に出たい」
本人の意向を確かめもせず、一方的に願望を言い出したことを、彼女はどのように受け止めただろうか。
もしも一緒に行くことを拒まれたら、あるいは自由を得た彼女が別の道を望んだとしたら、どのように身を処していくのが正解なのだろう。
さまざまな懸念が頭をよぎるが、彼女の口から答えを聞くまでは思い悩んでも仕方ないことと、無理やり己を納得させる。
辺りは黄昏時から夜へと移り変わる途中の、蒼然とした薄闇に包まれ始めている。
すでに屋外に人々の姿はなく、道沿いに軒を連ねて建つ家々の中からは、人の営みを映した薄明かりが漏れていた。
ふと足が向いたのは、里の中ほどにある戦士たちの稽古場を兼ねた広場だ。
昼間の騒がしさとは打って変わって不自然なほどに静まり返った広場の中央まで進み出ると、少年は腰帯に差していた剣を抜いた。
剣は、いまだともにある。
◆
「——くれてやる。もう飽きたと言ったろう」
ローカの首輪をいともたやすく断ち切ってみせたのち、ラジャンは鞘に収めたそれを、変わらずの大ざっぱな手つきで投げてよこした。
取り落としそうになりつつも、投じられた剣を身を投げ出すようにして受け止めた少年に対し、里長ラジャンは物憂そうに言い放つ。
分不相応とも思える代物を受け取ることにためらいを覚えなくもなかったが、ラジャンから借り受けた剣を手にしていたからこそ、鉱山の人々を救う手助けができたという事実も否めない。
両手で鞘を握り締める少年に対し、ラジャンは続けて言った。
「よいか、小僧よ。戦士の真の武器は剣ではない。無論、爪でも牙でもな。戦士の持ち得る唯一つの武器、それは命そのものだ。剥き出しの命だけが、生に対する飽くなき渇望だけが、戦う者の真の力となる。剣は道具に過ぎん。強き願いを得て初めて剣は力となる。生きたいと、生かしたいと冀う強き思いが剣に戦う力を宿すのだ。そして一度剣を抜いたならば迷うな。迷いは更なる迷いを呼び、終には死を引き寄せる。心のうちに巣食う迷いを飼い慣らせ。付け入る隙を与えるな。戦え。生きろ。生きて——守れ。大切だと思えるものを守り抜いた先に、貴様は答えを得るだろう」
◆
仄赤い輝きを放つ刃を見詰め、ラジャンの語った言葉を思い返す。
その意味するところを余さず理解したとは言い難い。
しかしながら、ほんのわずかではあったが彼の言葉を理解できる気がするのは、この短い間に、幾人もの勇敢な戦士たちの後ろ姿を見てきたからなのかもしれない。
その強さと願いの一端を伝えてきたであろう剣を道連れにして歩めば、彼らのように強い戦士になれるだろうか。
大事と思える誰かを、守ることができるのだろうか。
「——あんまり深く考えんじゃねえぞ」
不意に声を掛けられ、思考は中断を余儀なくされる。
剣の柄を握ったまま振り向いたところで目に映ったのは、いつの間にか広場へとやって来ていたアシュヴァルの姿だった。
「アシュヴァル……」
「くれるってんだから受け取っとけばいいんだよ。もらえるもんならよ、なんでももらっとけって」
表情を緩めて言うと、アシュヴァルは広場を囲む石垣に飛び乗るようにして腰掛ける。
不慣れな手つきで剣を鞘に収めると、少年もまた石垣の上によじ登り、その隣に並んだ。
しばらく無言のまま星空を見上げていた二人だったが、時を同じくして口を開く。
「あのさ——」
「あのよ——」
互いに顔を見合わせ、同時に黙り込む。
「お前から話せよ!」
「ううん、アシュヴァルから言って!」
「お前からでいいって!」
「じ、自分は後で……!」
押し付けるように譲り合い、目と目を見交わしながら小さく笑い合う。
「じゃあよ、同時に言おうぜ。——いくぞ」
胸を張って大きく息を吸い込むアシュヴァルを横目に、少年もまた深く深く息を吸う。
続けて、二人同時にその言葉を口にした。
「君と一緒にはいられないんだ——!!」
「お前とは一緒に行けねえんだ……!!」
互いが互いの口にした言葉の意味を噛み締めるような沈黙ののち、二人は今一度顔を見合わせる。
「意見が合ったな」
目を細めて呟き、アシュヴァルは星満ちる夜の空を見上げた。




