第百四話 寸 暇 (すんか)
「な、何をすればいいのかな……?」
「見てて!」
尋ねる少年に笑顔で答え、彪人の少女は腰ほどの高さに位置する葉に手を伸ばす。
柔らかそうな葉を手慣れた様子で摘み取っては、ある程度数がまとまったところで背中の籠に放り込んでいく。
ひと通りの手順を示してみせると、彼女は満面の笑顔でもう一つの籠を差し出した。
見よう見まねで葉を摘んでみるも、なかなか思うように作業は進まない。
悪戦苦闘する少年を見かね、彪人の少女はもう一度手本を見せてくれた。
「摘んでいいのはね、新芽とその下の葉っぱ三枚だけ!」
「こう……かな?」
言われたことに十分注意を払い、一枚一枚確実に葉を摘んでいく。
「うん! そうそう! ……けど、ちょっと惜しいかな!」
言って右の掌を突き出した彼女は、左手で指先を示しつつ言い添える。
「爪を使ってちぎっちゃ駄目なの。指の腹の部分を使うんだよ」
「う、うん……!」
首肯でもって応え、緑色のにじむ掌を見下ろす。
「新芽と下三枚、爪は使わない、指の腹を使う——」
教えられたことをひとつひとつ確認するように呟きながら半刻ほど葉を摘んだところで、彪人の少女はいったん休憩を取ることを提案した。
「これってなんの葉っぱなの?」
「知らずに摘んでたんだ! おかしいの!」
摘んだばかりの葉を籠の中から取り出した少年は、手にした一枚を日にかざすように眺め見る。
横並びで斜面に腰掛けた彪人の少女は、おかしそうに笑みをこぼして言った。
「そうだ! じゃあさ、ちょっと待ってて!!」
勢いよく立ち上がった彼女は一目散に走り去り、数分ののちに何かを手にして戻ってくる。
笑顔とともに手渡されたのは、竹製の水筒から注がれた一杯の茶だった。
淡く赤みがかった液体からは、胸のすくような香りが立ち昇っている。
「ありがとう、もらうね——」
礼を言って味わう少年に対し、彼女は「それだよ」と前置きし、この畑で栽培されているのが茶の樹であることを教えてくれた。
二杯目の茶を半分ほど飲んだところで目に留めたのは、茶摘みに飽きた子供たちの始めた稽古のまね事だ。
傍らに腰を下ろした彪人の少女は微笑ましげに頬を緩め、懐かしむような口ぶりで呟いた。
「あの二人もあんな感じだったなあ……」
子供時代のアシュヴァルとシェサナンドを知る彼女から少しだけ当時の話を聞いたのち、少年は茶葉の摘採を再開する。
そこからもう一時間ほど手伝いをし、皆と同じようにその日の作業を終えたのだった。
その後は田畑の脇を歩きつつ、里で育てている農作物について教えてもらう。
茶の他にも、自分たちで食べるための野菜や果物、薬草を栽培しているのだと彼女は語った。
自生しているものも含め、高地でしか育たない薬草は、茶と並んで交易でも高い評価を得るこの里の名産品なのだという。
彪人の戦士たちが戦い続けられるのも薬草のおかげと、彼女はどこか誇らしげに言った。
「あれは何をしているの……?」
帰り際に認めたのは、手桶から杓子ですくった粉末状の何かを畑にまいている人々の姿だ。
尋ねる少年の瞳をいかにもなあきれ顔で見返したのち、彼女はそれが何であるかを教えてくれた。
「あれはね、殻だよ。作物がよく育つようにって、そのために殻をまいてるの」
「カラ……?」
「ほら、異種の外皮——『異種殻』」
「え……っ!?」
思いも寄らない言葉に、図らずも少年は声を上げる。
「い、異種ってあの異種のこと!? でも異種の殻——表面ってすごく硬くて、あんなふうに——粉みたいになるの……?」
鉱山に現れた大型の異種、その外皮に渾身の力を込めた十字鍬を打ち込んだときの、しびれるような手応えを思い浮かべる。
「うん。異種ってね、不思議なんだ。やっつけると中身が溶けるみたいになくなっちゃって、それで殻だけが残るの。残った殻は時間が経てばちょっとずつ加工しやすくなっていくから、細かく砕いて粉々にもできるんだよ。殻にはいろいろ使い道があって、わたしたちはそれを使わせてもらってる。あれもその使い方の一つ。土に混ぜれば土壌が豊かになって、それで立派な作物がたくさん実るようになるの」
「そう——なんだ……」
「不思議でしょ? 前まではね、異種殻にそんな効果があるなんて知られてなかったんだよ。今じゃもう当たり前になってて、あれのない生活なんて考えられない——」
どこか含みのある口ぶりで言う彼女だったが、切り替えるように笑顔を浮かべて続けた。
「——今はみんなが幸せに暮らせてるんだからいいよね!」
ラジャンの屋敷に戻るために沢沿いを歩きながら、異種殻のさらなる用途を教えてもらう。
大地を肥沃にするばかりでなく、水に沈めておけば濁りや汚れが浄化され、火にくべれば高温を維持したまま長く燃え続けるそれは、薪や炭以上に有用な焚物となる。
風の吹く場所にさらせば空気を清め、大気中に浮遊する塵埃を吸い集める効果もあるのだという。
今なお新しい使い方が発見されているらしいと聞かされ、純粋な驚きを禁じ得ない。
そして、鉱山のあらゆる場所で使われていたさまざまな道具類も、異種殻を加工したものであったことに、彼女の話を聞いて改めて気付かされるのだった。
「じゃあね! 今日は手伝ってくれてありがとう!」
小走りに駆け出したかと思うと、振り返った彪人の少女が声を張る。
「ねえ、あなた! 名前は——?」
「名前は……まだないんだ! わからないっていうか、思い出せないっていうか——!」
「じゃあわたしも教えてあげない——!」
彪人の少女は愉快そうに笑うと、いたずらっぽく答えて去っていく。
その背を見送ったのち、少年は集落の中央に位置する広場へと戻った。
すでに稽古は終わっており、広場にあるのは畑で目にしたものと同じ、戦士たちのまね事をする子供たちの姿だけだ。
子供たちとぎこちないあいさつを交わしつつ先日の酒場へと向かえば、案の定騒がしい声が聞こえてくる。
店の戸口から中をのぞき込むと、他の戦士たちに交じってアシュヴァルの姿も見られた。
彼もまた少年に気付いたようで、手を上げて自らの元へ招こうとする。
招きに応じて店の中へと入ろうとした瞬間、覚えたのは突然足が地面から離れる感覚だった。
「うわっ——!?」
身をひねって見たのはヌダールの顔で、そこで自らの身体が彼によって抱えられていることを理解する。
「聞いたぜ! 大活躍だったらしいじゃねえか!」
己のことであるかのようにうれしそうに言うと、彼は少年の身体を抱えたまま店の外へ出る。
店外に連れ出され、ヌダールら三人の着く卓の一角に強引に据えられると、期待のまなざしで見詰める彼らに対し、少年は自らの体験した鉱山での出来事を語って聞かせる。
拙い語り口ではあったが、三人は時に茶々を入れつつも興味深げに耳を傾けてくれる。
話を続けるうち、いつの間にか周囲には十人以上の彪人たちが集まっていた。
結局アシュヴァルとひと言も話せないまま時間は過ぎ、騒がしかった食事の席はお開きとなる。
そして、いつかと同じように現れたバグワントによって伝えられたのは、里長ラジャンに対する謁見の許しだった。




