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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第五節 「行きて帰りし」
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第百一話   抱 擁 (ほうよう)

「ご、ごめん! 待たせちゃって……」


 少女の手を引いてアシュヴァルとシェサナンドの待つ橋のたもとに戻った少年は、二人に対して謝罪の意を告げた。

 シェサナンドは「別にいいけど」と視線をそらして答え、アシュヴァルは「構わねえよ」と落ち着いた様子で応じる。

 両者両様の反応に安堵しつつ後方を振り返って見たのは、二人の彪人の顔をまじまじと見上げるローカの姿だった。


「あ……! そっか——!」


 思い立ったように呟く。

 何から何まで世話になったと伝えてはいるが、ローカとアシュヴァルを引き合わせていなかったことに思い至る。


「ローカ、アシュヴァルだよ」


 少年が紹介の言葉を発する早いか、少女は()()とアシュヴァルに歩み寄る。

 出し抜けにその身体にしがみ付いたと思うと、両の掌を腹部辺りに添え、取りすがるように額を寄せた。


「おわっ!? お——おい……! な、なんだってんだよいきなり——」


 突然擦り寄られ、アシュヴァルは激しい動揺を見せる。

 無下に引き剥がすこともできないのか、両手はローカの背で所在なげにさまよっていた。


「ロ、ローカ……!?」


 少女の思いがけない行動に少年は戸惑いの声を上げ、当のアシュヴァルもいつにない困惑の表情を浮かべている。

 シェサナンドはといえば、そんな状況をどこか冷めた目で眺めていた。

 程なくしてアシュヴァルから離れた彼女は、その顔を振り仰ぐように見上げて言った。


「ありがとう」


「……あ、ああ。そりゃ別にいいけど。……それにしても本当になんなんだよ、お前らは」


 ひどく動転した様子で答えると、アシュヴァルは首筋をさすりながらぼうぜんとした様子で漏らす。

 まじろぐことなくじっと見詰め続けるローカを下目遣いに見下ろした彼は、ぎこちない笑みを浮かべて観念するかのように口を開く。


「礼を言われようなことはしちゃいねえが……ま、くれるってんならありがたく受け取っておくよ」


 言ってアシュヴァルは、少女の頭に軽く触れた。



「それでローカ、こっちはシェサナンド——」

 

 次いで少年は、もう一人の彪人を掌をもって差し示す。

 だが、またしてもローカは紹介を最後まで聞くことなく、気付けばシェサナンドの胸元にしがみ付いていた。


「うわっ……!! や、やめろって……!!」


 アシュヴァルと同様に、シェサナンドもまたひどく取り乱した様子を見せる。

 だが、ややあって落ち着きを取り戻した彼は、頬を寄せる少女の顔を見下ろしながら言った。


「あのとき以来だよな」


「あのとき……?」


「助けてやったんだ。俺と兄貴でさ」


 尋ねる少年に対していくらか得意げな面持ちで答え、シェサナンドは腹部にしがみ付くローカに向かって「な」と話を振る。

 ローカはその顔を見上げて小さく首肯を送ると、「ありがとう」と礼を伝えてシェサナンドの身体から離れた。

 事情を知る由もない少年が口を開けて見詰める中、シェサナンドは彼女との間に何があったのかを語ってくれる。


「そういや言ってなかったな。お前らが里に来る前の前の日だよ。いつもみたいに見回りしてたらさ、異種に襲われそうになってたその娘を見つけて、それで俺と兄貴で助けてやったんだ。一人にしておくのも気の毒だからって、俺たちで連れて帰ったってわけさ」


「異種に——」


 シェサナンドの語る言葉に、少年はがくぜんとして目を見開く。

 ローカは件の蹄人の商人に連れられ、何事もなく里にたどり着いたのだとばかり思っていたからだ。


「一人でって……じゃあ——」


 不安げな表情を浮かべ、ローカとシェサナンドを交互に見やる。

 それが事実ならば、ラジャンに彼女を売り付けようとしていた商人はどこへ行ったというのだろう。

 少年のたたえる疑問の色に気付いたのだろうか、シェサナンドは自ずから語ってくれた。


「俺だってさ、檻の中に入れられたまま放り出されてるところを見れば、何か事情があることぐらいわかるよ。だから兄貴と一緒に檻を壊して、里長のところに連れていったんだ」


 そこまで話し、シェサナンドは苦々しげに渋面を作って少年を見下ろす。


「……それをお前はさ。酔いつぶれて見逃した俺が言うのもなんだけど」


 こりごりだとばかりに言うシェサナンドの言葉で、二人連れ立って里を逃げ出した夜を振り返る。

 今なおシェサナンドの身に痛々しく残る傷痕が、ローカを逃したことに対する制裁であろうことを改めて思い出す。


「そ、その……! シェサナンド、あのときはごめん!! じ、自分たちのせいで——」


「お前が謝る必要なんてねえよ。逃がしたのはこの莫迦の責任だ」


 少年の謝罪を遮り、シェサナンドの腕を拳で打つのはアシュヴァルだ。

 口を挟む彼をにらみ付け、シェサナンドはいかにも不機嫌そうな口調で切り返した。


「莫迦はお前だろ!! そもそもお前がしっかり縛り付けておけばこいつも……!!」


 反射的に言い返したシェサナンドだったが、小さく嘆息して肩を落としてみせると、反れてしまった話題を自らの手で引き戻した。


「済んだことはもういい! ……それでだ、里長に預けてすぐだよ。その娘の持ち主だって名乗る行商が里に現れたんだ。大慌てでさ、これこれこういう娘は知らないかって。俺たちで異種から助けて里長に預けてあるって伝えたら、好都合だから今から里長に会わせてほしいって譲らないんだ。あれは手前の商品でございますってさ——」


 そこまで語ると、彼はいったん言葉を切ってローカを見下ろす。


「お前、ローカ——だっけ? お前が知らない話するけど続けてもいいか? あんまり気分のいい話じゃないけど」


 確認を取るように尋ねたのち、ローカの首肯を受けたシェサナンドは改めて話を再開した。


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