第九話 曙 光 (しょこう)
山の斜面にうがたれた出入り口から、地中じぇと向かう形で坑道を下る。
わずかな明かりが照らすのみの足場の悪い坑内を、イニワは巨体をものともせず身軽な足取りで進んでいく。
急ぎその後を追う少年だったが、足速に進む彼との距離は徐々に開いていくばかりだった。
「うわあ——!!」
遅れを取らないようにと必死に追いすがるも、足を滑らせて水たまりに頭から突っ込んでしまう。
働く前から水浸しになってしまったこと、アシュヴァルに買ってもらった衣服をぬらしてしまったことを悔やむが、唇を噛んでいる暇などない。
ここでイニワを見失いでもすれば、何ができて何ができないか以前の問題だ。
「——う、うわっ……!?」
勢い込んで立ち上がろうとしたところで、水たまりに足を取られて再びその場に転がる。
今度は尻もちをつく形で転倒し、下着までびしょぬれになってしまった。
待ち切れず引き返してきたのだろう、イニワは水たまりの中に座り込む少年をあきれたように見下ろしながら口を開いた。
「こんな所で何をしている」
「ご、ごめん……! 今行くから——わっ……!!」
立ち上がる途中で三度目の転倒をしかけるが、イニワに肩口をつかまれる形で引き起こされる。
「行くぞ」
働く前から散々なありさまをさらす少年だったが、イニワはその件に触れることなく歩き出した。
少年もこれ以上足を滑らせることのないよう、十分に注意を払いながら彼の後に続いて坑道を進む。
坑道に足を踏み入れたときから聞こえていた硬質な音は、地中深く潜るに連れて徐々に音量を増していく。
枝分かれした坑道のあちらこちらから聞こえてくる岩を打つ音は、すでに採掘作業が始まっていることを告げている。
案内された先で岩肌に向かっているのは、先ほどイニワの指示を受け先んじて坑内に下りた者たちだろう。
少年に与えられた仕事は、イニワと二人一組になり、彼の掘り出した鉱石を採掘場所から離れた所にある鉱車と呼ばれる荷車まで運ぶ作業だった。
簡単な説明を受けたのち、暗い坑内を照らすための腰提げ式の角燈と鉱石を運ぶための背負い籠を貸し与えられる。
イニワが十字鍬を振るって掘り出す大小さまざまな鉱石を、次々と籠の中に放り込んでいく。
ある程度量がたまったところで籠を担ぎ、その中身を鉱車まで運ぶのが一連の流れだ。
坑道は鉱脈に沿って掘り下がっていくため、採掘場所から鉱車までは勾配をなした斜面を上る形になる。
重い鉱石を詰めた籠を担いで斜面を進む作業は、決して容易とは言えないものだった。
加えてイニワが練達の技で鉱石を掘り出していく速さは、少年がそれらを運ぶ速度をはるかに上回る。
気付けば、周囲には掘り出された鉱石が山積みになってしまっていた。
慌てて力量以上の鉱石を背負って歩き出そうとしたところ、その重さに耐えかねてうつぶせの体勢で倒れ込んでしまう。
進むことも戻ることもできず、起き上がろうにも起き上がれない。
もがいていた少年の背から鉱石のこれでもかと詰め込まれた籠を取り除いてくれたのは、先ほどまで十字鍬を振るっていたイニワだった。
「無理をするな」
彼は少年の背負っていた籠を片手で担ぎ上げ、足元に転がっていたひときわ大きな鉱石を逆側の脇に抱えて歩き出す。
抱えた鉱石と籠の中身を鉱車に投げ込んで戻ってきた彼は、棒立ちの少年に向かって端的に告げた。
「もういい。今日のところは帰れ」
「け、けど……」
返す言葉なく途方に暮れる中、イニワは辺りに積み上げられた鉱石の山を次々と処理していく。
手際よく籠に放り込み、少年が持ち上げることのできる三倍以上の量を軽々と運んでみせた。
積み上がった鉱石を片付け終えると、十字鍬を手に取った彼は再び岩肌に向かって振るい始めた。
お役御免を告げられた少年は、借り受けた角燈の明かりを頼りに来た道を地上に向かって引き返していく。
歩きながら周囲を見回しても自身のような醜態をさらしている抗夫などどこにもおらず、おのおのが割り当てられた作業を全うしている。
屈強な坑夫たちを金を含んだ岩石にたとえたなら、自身は道端に転がる小石だ。
身体の造りからしてまるで別物の彼らと同じ仕事をしようというのだから、こうなることが予想できなかったわけではない。
イニワや他の抗夫たちの足を引っ張るよりも、ここは潔く身を引くべきなのだろう。
何度も足を滑らせつつ坑道の出入り口近くまで引き返した少年は、差し込んでくる日の光に思わず目をつぶる。
しばらく地中に潜っていたためだろうか、いやにまぶしく感じられる光から顔を背け、逃げるようにして坑道内へと後ずさった。
手で顔面を覆うようにして再び外を見上げ、次いで手にした角燈をかざし、今一度地中へと続く坑道の先を見通した。
◇
「そ、その……」
「後ろに立つな」
「ご、ごめん——!」
慌てて坑道の脇に退く。
イニワは十字鍬を振るう手を止め、やおら振り返る。
「どうした。帰ったのではなかったのか」
「ええと、その——」
尋ねるイニワに対し、口ごもりながら答える。
「——もう少しだけ、やらせてほしいんだ。できるだけ迷惑を掛けないようにするから……自分にできることと——できないこと、ちゃんと知りたくて……」
少年が話し終えるのを待たず、岩壁に向き直ったイニワは手にした十字鍬を振り上げる。
「イニワ……! だ、駄目——かな……?」
「後ろに立つなと言っている」
「あ! ご……ごめん——」
なおも距離を詰めようとする少年に対し、十字鍬を頭上に掲げた姿勢のままイニワは言う。
再度謝罪の言葉を口にしながら後ずさると、イニワは眼前の岩壁に向かって十字鍬を力強く打ち付けた。
「くれぐれも無理はするな」
「そ、それじゃ——!」
顔を明るくさせる少年だが、イニワはそれ以上のことは口にしない。
彼が頭上に掲げた十字鍬を再度勢いよく振り下ろすと、岩肌から少年の頭ほどの大きさの鉱石が剥がれ落ちる。
「こ、これ! ——は、運ぶね……!」
転がった鉱石に手を伸ばす少年を横目に一瞥したのち、イニワは岩壁に向かって無言で十字鍬を振るい始めた。




