play("record_03/我思う、ゆえに我あり");
大鴉がアカシャ・タワーに辿り着くと、青白い光を発して少女の姿に変化した。屋上に降り立ったリディアは、アカシック・レコードを経由してタワーの防犯システムに介入し、建物への入口の鍵と監視システムを解除して中へと入り込む。
魔女部隊を抜けてから、もう半年が経つ。役目を放棄したリディアは、アデルの行方と自らの記録を捜し回った。その結果わかったのは、アデルはもうこの世界にいないであろうこと、そして自分もどうやらこの世界の記憶には存在していないであろうということだった。その事実を受け入れるのに、半年もの時間が掛かってしまった。
では、自分は何者なのか。アデルはどうなってしまったのか。
それらすべての答えを、アカシック・レコードが持っているのではないか。リディアはそう考えた。
アカシック・レコードは、アカシャの街内であれば何処からでも接続できるが、閲覧制限が掛かっているような深部の記録を覗くためには、アカシャ・タワーの内部にあるマザーコンピュータに接続する必要がある。
しかし、リディアは魔女部隊を抜けた身。アカシャ・タワーの正面玄関から入ってもマザーコンピュータには至れるはずもない。そこで、リディアは屋上からアカシャ・タワーに忍び込むという強硬手段に打って出ることにしたのだ。
もともと魔女部隊の一員であっただけに、タワー内の構造は心得ていた。人気の少ない廊下を駆け抜け、エレヴェータを利用して、自分でも意外なほど呆気なく地階に鎮座するマザーコンピュータの前へと辿り着く。
「教えて、アカシック・レコード」
マザーコンピュータに直接接続されている端末を起動すれば、案の定IDとパスワードを求められた。しばし躊躇して、アイゼンのIDとパスワードを利用する。
自力でのアデル捜しと自分捜しに見切りをつけ、アカシック・レコードを目標と定めたあとは、ただひたすらアカシック・レコードの深部に忍び込む方法を模索した。アイゼンのIDなどはその最中に見つけたものである。
画面上にファイルフォルダがずらりと並ぶ。まず開くのは、魔女部隊の名簿。コードμ−PT01から最新の番号までが降順で並んでいた。いくつか――特に数字の小さい方に欠番が並んでいるのを気にしながら、アデルの番号を探す。確か――07番。
「そんな……」
画面の情報に愕然としたリディアは掌で口元を覆う。アデル・オウルの項目は、灰色に塗りつぶされていた。簡易項目が並ぶグラフの右末尾、備考欄には〝消去処分〟と書かれている。
やはりもう、アデルはこの世にいない。
それにしても、消去処分だなんて。あまりに穏やかでない言葉が恐ろしく、リディアは詳細を閲覧するためにアデルの項目を開いた。
「……え?」
展開ファイルに目を走らせ数秒で、リディアの思考が硬直する。
真っ先に目に入ったのは、アデルの経歴だ。両親、住所、学歴――そういった基本的な情報が予想通りに連なっている。
ただし、その項目には、〝経歴〟ではなく〝設定〟と題が記されていた。
〝設定〟。まるで、自分たちはそうやって作られたかのような。
「どういうこと……?」
アデルのファイルを最小化し、今度は自分のデータを探す。コードμ−PT25。魔女部隊を黙って抜けたリディアの扱いは、詳細を記載の末、〝保留〟となっていた。
ファイルを開く。かつて、自らのことをきちんと覚えている、と胸を張ってアデルに答えた記憶たち。それらはやはり、〝設定〟として扱われていた。
「ああ、だから――」
――リディアの中に想い出がなかったのか。
そう心当たりはあれど、到底納得できるものでもなく、リディアは魔女に関する記録を漁りまわった。部隊の活動記録、魔女部隊の編成計画、エトセトラ。その結果、見えてきたのは――
「そのあたりにしてもらおうか」
呼びかけられて弾かれたように振り向けば、長い銀髪の男がそこに居た。
「私のIDを使うとは、なかなかやる」
相変わらずの白い姿。普段感情を感じられないその容貌に、漣めいた苦笑が浮かぶ。
リッター主任、とリディアは呼びかけた。
「どういうことですか? この世界が電脳空間で、私たち魔女は、ただの自浄システムに過ぎないだなんて」
「その資料を見てのとおりだ。私たち人間は、このアカシャを維持するため、バグを除去する要員としてお前たちを作り上げた」
アカシャに蔓延るバグは、この世界を形成するプログラムの欠陥。欠陥がある状態では、この世界に住む人々の生活は安泰とは言えず、故にデバックするためのシステムが必要となった。
「そのバグを除去するために作られたのが、お前たち魔女だ」
様々な状況下で出てくるバグに対処するには、運用するAIに人格が必要だった。その人格を形成するために必要だったのが、魔女の〝設定〟だ。
「そんな風に私達を作り上げてまで維持しなければならないなんて……この世界は、いったいなんなのですか?」
「アカシャは、滅びに瀕した我々人間の、ノアの方舟だ」
本当の――現実の世界はいま、度重なる戦乱と環境汚染で朽ちかけているのだという。生き物が到底生きていけないような環境の変化。発生する未知の病原体。もはや修復不可能のところまで来た環境問題は、緩やかに人々を滅ぼしつつあった。
そこで人間たちが考えたのが、遺伝子や記憶・精神などの情報をデータ化しての種の保存。いつかこの危機を乗り越えたとき、データをもとにして再び世界に戻ろうというのである。
そして、データとして保存された人間たちは、来たるべきその日まで、仮想の世界で生活していくこととなった。
「そうして創り上げられたのが、この仮想空間アカシャだ」
だが、アカシャは不完全だった。急拵えだった所為もあるだろう、プログラムにバグを残したまま、運用をはじめてしまったのだ。
そしてバグは、仮想世界の街並みを侵食するだけでなく、アカシャに避難していた人間の人格データを消去する事態まで引き起こすようになってしまった。人類滅亡の危機が、仮想世界にまで及ぶようになってしまったのである。
「それで、私たち魔女が必要になった……」
アカシャの街を作る基幹システムアカシック・レコードと連携を取ることで、より効率的にバグを発見し除去するデバックシステム。それらは魔女と名付けられた。
それが、リディアの探し求めていた真実――リディアの正体だ。
「以上が、お前の探し求めていた真実だ。μ−PT25リディア・クロウ」
試作。リディアたちは正式運用されたモデルですらない。ますます自らの存在が揺らいでいくような気がした。
「μ−PT07アデル・オウルはその事実を知り、自ら消去処分を申し出た」
己の存在に疑問を抱いた自分はシステムの欠陥だ。デバックシステム・マギサのためにはならない。アデルはそう言っていたという。
リディアには、アデルの気持ちが痛々しいくらいにわかった。魔女部隊のためだなんて嘘だ。きっと、自分がこの世界に存在していなかったという事実に耐えられなかったに違いない。
「お前はどうする? リディア・クロウ」
「私は――」
リディアは自らに問いかけた。アデルと同じ道を辿る方法もある。けれど、事実を知ったいま、それほど絶望していない自分がいる。
「私の記憶は偽物――ただの設定でしかなかった。でも、私は、私がここに居ると認識しているんです」
〝我思う、ゆえに我あり〟と言っただろうか。自分がこうしていることそのものが存在証明になる、とリディアは考えた。
だって、実際に自分はこうして実在しているのだ。そこが仮想空間であれ、過去が与えられたものであれ、人間でなくシステムAIに過ぎないのであれ。
ならばもう、〝自分〟を生きるしかない。
「私は魔女を止めません」
「そうか。なら――」
「でも、貴方たちのところにも戻らない。この存在しない世界の中で、私がどう生きるかは私が決めます」
だから、とリディアは端末から離れ、身構えた。〈接続〉、〈検索〉、〈処理〉。発動寸前までの魔法を用意する。
そんなリディアに、アイゼンは焦るでもなくあくまでも冷静に彼女の前に立ちはだかった。
「お前がどうしようと、アカシック・レコードを握る我らがその気になれば、いつでもお前を消去できる。それでも――」
「それでも、私は生きます。一秒先まででも」
リディアになにを思ったのか。アイゼンは人間らしいとはなかなか思えないいつもの無表情でじっとリディアを見つめたあと、
「なら、行け」
一歩下がり、道を開けた。予想外の行動に、リディアは驚きに目を瞠る。主張はしたものの、許されるとは思っていなかったから。
端末室の出入口まで開かれた道を、おそるおそる行く。後ろから討たれる可能性も考えたが、なにも起きなかった。
「ただ一つ」
もう少しで、というところで、アイゼンに声をかけられて振り向いた。
バグの退治だけは頼みたい、と彼はただそれだけを言う。
リディアは無言で頷いて、端末室を、アカシャ・タワーを、飛び出した。