第五話「戦う相手、戦う意味」その2
カポーンという音が聞こえたような気がした。
平日の銭湯はそこそこ人がいた。
と言ってもご高齢の方ばかりだったが。
奥で体を洗っている比較的ガタイの良い若者が1人いるが、こちらから顔は見えない。
銭湯なんて、かなり久しぶりだ。
アパートにあった風呂はかなり狭かったので、手足を伸ばせるだけでも全然違う。
お湯の温度も若干熱いかなと思ったが、入っていると慣れてきて今は丁度いい。
「どっこいせ」という声と共に隣におじいさんが入ってくる。
まったく知らない人と肩を並べて風呂に入るというのも醍醐味なのだろう。
そういや露天風呂とかも入ってみたいな。ここにはないけど、もっと大きな銭湯とかに行けばあるのだろうか。
どうせやることもなく暇なのだ。
いろいろ銭湯巡りをしてみるというのもいいかもしれない。
俺はそんなことを考えながらしばらく湯船に浸かると、風呂を出ることにした。
脱衣所に戻ると、火照った体を扇風機の風で冷ます。
横を見ると、大きな鏡に自身の姿が写る。
自分の全身の裸体を見るということもあまり少ない気がする。
裸になることなんて家にいる時だけだし、家に大きな鏡はないからだ。
これが怪人の姿に変身するというのも今だに信じられない。
しかしそれは事実なのだ。
今日は変身する前にさっさと帰ろう。
そう思い、ある程度扇風機の前に立ったら着替えて脱衣所を出た。
脱衣所を出ると番台がありその前には入り口がある。そしてその脇にちょっとした休憩スペースのような場所があった。
俺はコーヒー牛乳の瓶を手に取ると紙の蓋を開け木製のベンチに座った。
一口飲むと乾いた体にコーヒー牛乳が染み渡る。
一気に飲もうとするが瓶の容器は慣れておらずなかなか飲みづらい。
それはそれでじっくり楽しもう。
そんな感じで充電の終えたスマホを取り出す。
その時、俺の隣、俺の座っているベンチに誰かが座った。
横を見ると、ラフな格好の女性が缶ビールを呷っていた。
濡れたショートの髪に黒縁メガネ。
胸元のざっくり開いたTシャツからは胸元が見えそうだが、肩に掛けられたタオルが絶妙にガードしている。
俺はあまり見るもんじゃないと視線を逸らし無駄にスマホをいじる。
しかし気持ちは動揺して、スマホで何をしようとしていたのか忘れていた。
「くぅぅぅ、やっぱ風呂上がりのビールは最高だよね。ねぇ、お兄さん?」
「えっ、俺?」
突然話しかけられびっくりして返事をする。
少し声が上ずったような気がする。
「お兄さんはコーヒー牛乳派なんだ。コーヒー牛乳も美味しいよねぇ」
めっちゃ話しかけてくる。何なんだろう。コミュニケーション能力が化け物並に高いのかもしれない。
コミュ力高い化け物とか聞いたことないが。
「でもやっぱり私はビールかなぁ。昼間っからビールを飲むってのがまたいいよねぇ。こんなこと休日か今日みたいに祝日しか出来ないよね」
そうか今日祝日なのか。
仕事していないと休日祝日感覚がない。
「お兄さんも今日はお休み?」
「えっ、えぇまぁ」
無職みたいなものなのだが説明が面倒くさい。
そして返事をする時に少し彼女の方を見たときに視界に胸元が見えるのが気まずい。
視線を少し外すと今度は彼女の短パンから伸びる太ももが目に入りまた目をそらした。
「私さぁ。結構仕事好きなんだよね。でも休日もいいよね。やっぱ両方楽しまないとさ」
彼女はかなりポジティブな性格なのだろうか。
彼女の明るさ。いい意味での馴れ馴れしさはそういうところから来ているのかもしれない。
俺も見習うべきなのだろうか。
俺ももう少し前向きに生きていればこんなことにはなっていなかったかもしれない。
「ところでお兄さんは今日は1人?」
「えぇまぁ」
「何? 緊張してるの? さっきから同じことしか言わないじゃん」
そう言って笑いながら肩をバシバシ叩いてくる。
その度に手に持ったコーヒー牛乳が揺れる。
「私は連れと一緒なんだよね。男なんだけどさ。いや彼氏とかじゃないよ。まぁお兄さんにはどっちでもいいか。それにしても遅いよね出てくるの。普通、男の方が風呂から出てくるの遅いってある?」
「いや、ちょっとわからないですけど」
「ないよねぇ。女待たすなよ。だからモテねぇんだよアイツ」
それはよくわからないが、彼女は若干機嫌が悪いのか頬を膨らませている。
感情の変化の激しい人だ。いや、もしかしたら別に今もそんなに起こってはいないのかもしれない。
「そうだ、私ね黃賀月乃っていうの。お兄さんは?」
「えっ? 俺の名前ですか?」
そしていきなりの自己紹介来た。
俺が戸惑っていると男湯と書かれた暖簾を潜りガタイの良い男性が現れた。
「もう上がっていたのか月乃」
「遅いよ赤井」
「君はまた知らない男性と仲良くなっていたのか。本当に君は、、、ん? あなたは卯立さんか。奇遇だな」
「えっ? 赤井と知り合いだったの?」
風呂場にいたときは顔が見えなかったが、出てきた彼は胡桃さんの知り合いの赤井さんだった。
「あっどうも」
俺は軽く頭を下げた。
「なんだ。知り合いなんだったら先に言ってよぉ」
いやそんなこと言われてもわからんし。
俺は困りながらも「すみません」と小さく返す。
「卯立さんは、あれからどうですか? 元気にされていましたか?」
「えぇまぁボチボチ」
「そうですか。それは良かった」
何を考えているのか、赤井という男はそう言いながらニコニコと笑っている。
そういえば俺が胡桃さんと二人でお出かけしたことは彼は知っているのだろうか。
あのデートのあと彼女とは会っていない。
胡桃さんからは「大丈夫でしたか?」とヤブミンが着ていたのを「大丈夫です」と返して以來、連絡を取っていない。
もしまた次、胡桃さんとデートをしてまた自分が暴れたらと思うと彼女のことを誘えなかった。
「じゃあそろそろ行こうか月乃」
「うん。ちょっと待って」
そう言うと月乃という女性は缶ビールを飲み干すとその缶をゴミ箱へと捨てた。
「お待たせ。行こっか、、、ん、ちょっと待って」
立ち上がった月乃はポケットからスマホを取り出す。
そしてその画面を赤井に見せて二人は無言でアイコンタクトした。
「それじゃあ卯立くん。またね」
月乃さんは俺の方を見ると笑顔でそう言い手を振って銭湯を出て行った。
銭湯でスッキリしたつもりが何だかどっと疲れた気がする。
俺は余ったコーヒー牛乳を飲み干すと、牛乳瓶専用の回収箱に入れる。
そしてもう一度スマホをいじる。
スマホの画面にニュースが流れる。
駅前でブラックカンパニーの怪人が暴れているという内容だった。
俺はため息をつくと、銭湯を後にした。




