第一話「気になる、あの子」その2
「うっ、ここは?」
目を覚ますとそこは電車の中だった。
窓の外は暗くてよく見えないが、そこに見慣れた文字を見つける。
「うわっ」
慌てて電車を飛び降りる。
間一髪で電車の扉が締まる。
危うく乗り過ごすところだった。
そんな俺の事を見てクスクスと笑う若いカップルを乗せて電車はホームを出て行く。
「はぁ」
俺はため息をひとつつきながら、ピッっという音と共に自宅の最寄り駅である釜珠駅の改札を出る。
真夜中の駅前は、店の看板の灯りなどでそこまで暗くない。
タクシー待ちの行列、騒ぐ酔っ払い、道端で寝転がって眠る人。
金曜の夜は普段より人が多い。
クルマが一台止まる。走ってきた若い女性がそのクルマに吸い込まれていく。家族のお迎えだろうか。
そんな人々を横目に、ひと気のない方へと歩いていく。
だんだんと辺りも暗くなり、騒々しさもなくなっていく。
住宅街だ。
大きな家の大きな窓から暖かさが漏れてくる。
その暖かさは俺に触れる前に虚空へと消えていく。
そのまま歩を進めると一際明るい光が見えてくる。
唯一俺を迎えてくれる光。
外界と隔てている透明な扉が開く。
「いらっしゃいませ」
いつもの声だ。
そう目をやると天使のような笑顔が俺を出迎えてくれる。
気恥づかしさから視線を逸らしてしまう。
そちらを見ないようにレジの前を通り過ぎると正面にあった棚からタルタルチキン弁当を手に取りレジへと向かう。
「いらっしゃいませ。お弁当、温めますか?」
俺は財布を取り出しながら小さく頷く。
彼女はピッとバーコードを読み取ると後ろにあるレンジへと入れた。
「レジ袋とお箸はいりますか?」
「いえ、、、大丈夫です」
「ですよね。税込みで594円です」
「えっ?」
俺はカバンからクシャクシャになったレジ袋を取り出しながら、一瞬固まってしまう。
「ん? あぁ、いえ、いつもレジ袋持ってこられるので、覚えてしまって。袋にお詰めしますよ」
彼女はそう言いながら手を差し出す。
俺は思わず手に持ったレジ袋を彼女に手渡した。
そこで、こんな汚いレジ袋を彼女に渡してしまったことに少し恥ずかしくなる。
だが彼女はそんなことを気にも止めず、手馴れた様子でレジ袋を開くとレンジの中から弁当を取り出し袋の中へと入れた。
「あっ、ありがとうございます」
お金を払い袋を受け取った。
「こちらこそ。いつもありがとうございます。またお越し下さい」
満面の笑顔が眩しくて直視できず、俺は頭を下げ店を出た。
店を出たところで大きく深呼吸をする。
まさか向こうに認識されていたとは。
いやそりゃそうか。毎日通っていれば顔くらい覚えられるよね。
でも、、、
ふと横を見ると店の灯りにつられてか、虫がガラスに止まっていた。
振り返ると、彼女は他のお客さんにも同様に笑顔を振りまいている。
俺もお前と同じか。
虫が店の灯りに集まるように、俺は彼女から発せられるヒカリに吸い寄せられているだけ。
俺は彼女の左胸についていた『くるみ』と書かれた名札を思い出し深呼吸を、いやため息をつくと歩き出した。
アパートにたどり着く。
階段を上り部屋の鍵を開ける。
「ただいま」
そんな言葉は、暗闇の部屋の中で霧散した。