114 魔神
「どこまで歩くんですか?」
「そこに道がある限りだお嬢さん。……あ、こらこら嘘嘘。ね? 嘘だから待とうね。こらおじさんが悪かったっての!」
私内胡散臭さランキング過去最高ダントツのナンバーワンに輝く怪しいおじさん・ジャックさんの案内によって、私はこの気色の悪いぬめぬめとした空間を正しい道へと練り歩いていた。
この奈落――ここは地下一層くらいの場所らしく、もっと下に行けばこの世のものとは思えないおぞましい地獄を体験できるそうだが、そんなものは現状だけで十分だ。
幸い下に向かっている様子はなく、このまま歩いて行っても地獄の底へ真っ逆さまなんてことはなさそうだった。
ピンク色の内臓が蠢く気持ち悪い地面を歩き続けていると、段々聞こえてきた鼓動が激しくなってきた。
何かの悲鳴にも聞こえるし、巨大な心臓の音にも聞こえる。
いずれにしても不気味な音だった。
「あぁお嬢さん。こいつは『コア』の奏でる音色さ」
「『コア』?」
「俺ぁそいつの監視を任されちまってるのさ。……ほらもうすぐ見えるぜ」
やや上り坂に差し掛かった少し険しい道を乗り越えた先には、ワームやうねうねの壁よりももっと衝撃的な光景が広がっていた。
「な――なんですかこれ……」
如何とも形容しがたい巨大な化け物が、粘液に吊るされひくひくと蠢いていた。
顔部分の骸骨や、もっと奇妙な何かの肌が爛れて落ちているようにも見えるそれは、私の接近に際してより大きく不気味な鼓動を響かせていた。
「こいつは上じゃ『魔神』なんて呼ばれたりしている神話級の生物兵器さ。これの体内には大陸一つ消し飛ばせるほどの力が秘められているってハナシだ」
グロテスク極まりない怪物を眺め、ジャックさんはそう答えた。
「かつてこの星がまだ海も草も無いつんつるてんの玉っころだった時代、こいつが空から降ってきました。こいつは人為的に作動させなければ何もしてこない無害な生き物でした。しかし誰がどうやっても、地殻変動が起きてもこいつは滅びませんでした。故にこいつは神様と崇め、奉られることもありました。――やがて猿人類からちょこっとだけ進化した俺たちの先祖様がこいつを起動させちまいました。大昔にこの星を席巻してきた竜やらなにやらはこいつの力で絶滅しました」
そうして人類は勝ち残った唯一の種族となったらしい。
もちろん、この生物兵器の放った凄まじい力によって多くの人類も犠牲になったようだが。
やがて脅威のいなくなった人類の文明は発展し始め、魔法なんていうものも生まれるようになった。
「神様ってまさか……」
「一説じゃこいつともされてるし、他のところでは否定されてる。どっちが真実かなんて昔の人間を墓穴から叩き起こして聞き出すしかねぇのさ」
問題はこの化け物が何故今も城の地下にこうして居座っているかだ。
「へっ。勘のいいお嬢さんなら、あの薄汚え女王様が何しようとしてんのかは大体見当がつくだろ」
「まさか……戦争に……?」
「ご明察ブラボー。その通り。女王は旧世界の化け物叩き起こして世界を掌握なさるおつもりなのさ。――が、長い年月を経て錆びついちまったコアではそう簡単に作動させることができなくなっちまってな。一度作動させたら一万年は冷やして休ませなきゃなんねぇ燃費の悪いポンコツ品にまで成り下がりやがったのさ。だから女王様はあることをしてこいつを最短で蘇らせようとしてんのさ」
そうそれはつまり
「魔力の徴税だよお嬢さん」
彼は何の迷いも躊躇いもなくそう言い切った。
「何のために女王様があれこれせかせさと魔法使いなんざ集めてると思う?魔法大国マギアージュなんで強い魔法使いなら王宮にゴロゴロいるじゃねぇか。言わずもがな女王様だってそのお一人だ。単に戦争に駆り出すってんならどう考えても余分だぜ。ていうか女王一人で十分なんだわ。ただ勝つだけならな」
つまり女王様は餌にしてんのさ。
このバカでかい古代兵器を動かすためのな――。
ジャックさんは不敵に笑ってそう言った。
「もしそうだとしたら……酷すぎます……」
「歴史の教科書には載ってねぇだろ?」
じっと魔神と呼ばれるものを見つめた後、彼は悪そうに微笑んだ。
「もっと酷え話もあるぜ? この魔神様はな、単に上から魔力を供給するだけでなく、人間そのものをぺろりってすることもできるんだ。っていうか言うならばこの空間全てがこいつの胃袋みてーなもんだ」
「じゃ、じゃあこれは……」
「目の前のこいつは『コア』だったりその外殻だったり、まぁ色々だよ。こんなにいかにも『顔』って言いたそうな面ぁしてっけどな。まぁこの空間のどこにいてもこいつのおやつになりかねんってことだ」
「ジャックさんは食べられずに済んでるってことですか……?」
「へへっ!伊達に長生きゃしてねぇってもんよ。……ただ本当にこいつに近づくのはおすすめしねぇぜお嬢さん。いくら俺でもこれ以上はこいつに迫ろうとは思わねぇ」
「捕食されるからですか?」
「それもあるが――こいつの放つ光は異常過ぎる。故に人間がマトモに浴びちまうと、感覚がとち狂っちまってしまいにゃ頭がバカになる」
これをモロに浴びておかしくなった捕虜の爺さんとかいたな。
懐かしそうに彼は笑っていた。
「そのおじいさんって、どこかの村長さんじゃないですか!?」
「ん? おおっよく知ってんな。たしかにそんな感じだったと思うぞ。まぁでもとち狂っちまった後、せっかく生きて帰れた自分の故郷に火ぃつけちまうんだからやるせねーよな」
それは間違いなくスラッシュさんから聞いたラフィーゼさんの故郷の話だった。
つまり彼の村を代表して捕虜となり国に連れて行かれた村長さんは、この魔神の光に当てられておかしくなってしまい、村全体に火を放つという凶行に走ってしまったのだ。
「まぁこいつ自体に悪意も敵意も、そして意思さえ存在しねーよ。ただ今の人間が扱うには余りにも危険すぎる代物ってこった。光一つでこれだもんよ。まともに肌で触りでもしたら、人体にどんな変化が現れるなんざ及びもつかねぇぜ」
「……これを壊すことはできないんでしょうか」
私のこの発言を聞いて、ジャックさんはきょとんとしていたが、すぐに大きな声で笑い飛ばした。
「おいおい。そんなことしたら余計女王の怒りを買って地下の底に引きずり下ろされるぞ」
「でも、このままだと犠牲者は増え続ける一方です。それに戦争でこんな危険なものが使用され続ければ、やがて村長さんみたいに光にあてられた人間たちが現れ始め、最後には……」
「なるほどな。お嬢さんにとってはそれが耐えがたいと」
「とってはっていうか……普通誰でもそうなんじゃないですか?」
「ふーん。じゃあお嬢さんってさ、慈善事業のためにずっと戦ってるってわけだ」
「慈善事業っていうか……人の嫌なことはやらないようにと極力――」
「けどよお嬢さん」
私の話を遮るようにしてジャックさんが黒く染まった顔を近づけてきた。
「世の中にはそれを望んでる狂人がいるってことを忘れんな」
それまでの何よりもドス黒い感情を撒き散らしている様子だった。
「これはおじさんが、君よりもちょっと長く生きてきた人生の先輩として、教えてあげることだけどね。どーしようもないほんと最低な破滅しか企んで無いヤローもいるわけよ。たまにその逆もね。お嬢さんはそんな人間たちを守るために戦ってるの?それとも英雄としての賛辞がほしくてやってんの?」
「そ、それは人を守るため――」
「じゃあそんな人を襲う怪物が人間だったらどうするよ。他を守るためにそいつを切るのか?それとも受け入れんのかな?」
おじさんは意地悪そうな顔つきで、私の方を睨んできた。
「綺麗事だけじゃやってけなくなるってことだよミランダ」」
今は他の何をなくとも、この言葉だけが一番心に響いた。




