109 潜入
「よし、みんな準備はいいな?」
「はい」
辺りを照らすものが月の光だけとなった深い夜、もうすっかり城内はほぼ無人の寝静まった状態であった。
ただ2階から王女様のおわす塔の見張りだけが硬く、施錠もおそらくされているだろう。
当初から危惧されていた通り、正面突破は極めて困難な状況に陥っていた。
妖精さんと第4隊のいる部屋を通り過ぎて階段を降り、外に向かってそろりそろりと足音を消しながら歩いていった。
妖精さんにはいなくなったことを悟られぬよう口封じしてもらった。妖精さんは《わかりましたマスター! 誓って誰にもマスターの事は話しません!》と元気よく返事してくれたので、これでもう安心だ。
道中罠のように仕掛けられている魔法陣をかわしつつ、私たちは窓から降りて裏庭へとたどり着いた。
そこは白い花が不気味に音も立てずに咲き誇っており、月の光を浴びて発光しているようにも見えて鳥肌が立った。
女王様の趣味……だろうか。
1本だけ咲いている黒い花は一体何の暗示なんだ。
まぁ細かい事はいい。今はそれよりソフィアさんのいる塔への侵入経路の確保だ。
「……ここからなら登っていけそうだな」
彼がぶっきらぼうにつぶやいたそれは、建築士が人の登ることなんてまるで想定されていないほど頼りなげな石片のデコボコに過ぎなかった。
ロッククライミング選手権でもここまでハードなものって中々ないと思うのだが、彼の言うようにここしか登る・入っていけそうな手段は存在しないため、覚悟決めて登っていくしか無い。
「ひええ〜……落ちたら痛そうだね……」
レイブンさんはもう前の勇者だけ見つめて震えて進むことにしていた。
そういえばこの人、高所恐怖症なのになんで着いてくることにしたんだ。
いや仲間だし当然ではあるが、それにしたって意気揚々とこんな無謀プランに乗ってこなくても……。
ようやく最後尾の私が壁伝いに身を接触させてよじ登っていく。
見かけ以上に石は頑丈そのもので、思ったよりも手に吸い付いていった。
これなら登り切るのもそう苦な物ではない。やったね。
などと調子に乗って油断こいていると、突然ローブを揺らすほどの突風が横から突き刺さってくるのだから人生ってそう甘く無い。
レイブンさんは白目剥いて、上げたいはずの叫び声を必死で抑えながら涙と鼻水をボロボロ零していた。
だ、だから無理しなくても……。
というか、なぜ最後尾にしなかったのだ。
「そ、ぞんなのぎまってるじゃないか……ぼ、僕が後ろだったら振り返った時あるのが地面しかないじゃないか……! でも後ろにミランダさんでも誰でも何か視界に入る人がいればまだマシになると思って……ううっ」
……さいですか。
っていやいやそんなんでこの先大丈夫なのか。
勇者くんなんかめちゃくちゃ行動早すぎてもう大分てっぺんまで先回りなさっておりますが。
登るのは簡単だが、外周を回って歩くのはとても難しそうだ。
足場が少ないのだ。
扉みたいなものはあるんだろうか。
スラッシュくんに口パクで尋ねてみたが、彼は首を横に振るばかりだった。
どこにもそんな入り口なんてないのだろうか。
だとしたら侵入は極めて困難だぞ。
「ね、もう帰ろうよ。どうせここにいたって何もでき――」
言葉と姿勢を崩したレイブンさんの手の先にはひとつだけ出っ張りの少ない石であり、押し出すように手をついた彼はそのまま右手を壁の中に埋め込まれていった。
「ひゃああっ! たたたすけ」
しかしすぐに手は離すことが出来、彼は手汗に満ちた右手で心臓の部分を何度も何度も擦って精神を落ち着かせていた。
するとどこかが動いたような音がし、スラッシュくんが何か扉に近いものを発見したようだ。
「今のが起動スイッチだったんですね……」
「わ、わかるわけないだろ……! 人の居住区を舐めてるのか……!」
そう憤る気持ちもわからなくもない。
もしかしたらここは本来死刑囚とかを放り込むための施設だったのかもしれない。
容易な侵入こそ許さない堅牢な仕組みだが、壁にはまだ登って確かめることが可能な岩場があり、ご丁寧にスイッチまであったのだ。
明らかにまだ誰かが入れるようになっている。
はて。監視役でも入れるつもりだったのだろうか。
まぁ一見完全な灰色一色だし、わざわざこっから入ろうとする人なんて……いたとしてもスイッチで足止めか。
「捕まれ」
扉のある地点はきちんとした足場のようで、そこからスラッシュくんがレイブンさんを引き上げていた。
「そっとだよ……!」
手汗で滑らないか気が気でなさそうだったが、がっちりと手首辺りを掴んでいたのは流石のスラッシュくんだ。
私も裏側の部分まで登り、ようやくその扉までご対面した。
扉には鍵がかかっており、私がもらった赤い宝石のついた鍵でもダメだった。
ということは――
「ここで使うんだな……これは」
スラッシュくんはソフィアさんから預かったペンダントを扉の前でかざした。
すると突然ペンダントが光り出し、扉はペンダントの放つ光に共鳴するかのように淡い光を放ち始め、やがて開閉できるようになった。
「すごいねこれ……おじゃましまぁーす……」
塔の中にある空間は、驚くほど神秘的で美しい城内であった。
巨大な王女様専用と思われるベッドが設置されており、窓からは夜空の月が一望できた。
差し込む月光が王女様の寝室のオブジェを照らし、赤や紫の様々な色彩の耽美な光が足元に照らされていた。
そこにソフィアさんはいなかった。
布団の中を探ってもみたが、誰もいなかった。
すると突然、下の方から声がした。
「そこに誰かいるの?」
それは紛れもなくソフィアさんの声だった。
彼女は螺旋階段から寝室まで登って来て、手にした蝋燭の光を薄暗い空間に灯していた。
「本当に来てくださったのですね。ありがとうございます」
王女様が降りた先は大きな客室のような空間になっており、だだっ広く細長いテーブルが設置されていた。
テーブルや床に合わせて真紅に染まった椅子に腰をかけ、ソフィアさんからの話を聞いた。
ちなみにそこには黒鎧の騎士ロシュヤもいた。
「まずオーブについてですが……すみません。わざわざこうしてお越しいただいたというのに、まだ見つからないんです」
「というと」
「はい。女王がオーブを管理していると思われる場所を全て探ってはみたのですが……何故かどこにも見当たらなかったのです」
「うーん……となると弱りましたね。私たちでいっそ探してみますか」
「お力になれず申し訳ありません」
王女様が丁寧に頭を下げる。
前々から思っていたけど、この人もクララ様のように心優しく権力に固執しないタイプの王族なのだなぁ。
「い、いいんですよそんな頭をあげてください」
「お前たちオーブを取りに行くのは勝手だが、そう易々と女王の間への侵入が叶うと思うなよ」
カチャカチャと鎧をきしませて黒騎士はこちらにやってきた。
「女王のいる空間には結界が張られている。ソフィアが昼間あたりきれなかったのも、ひとえにその空間があるが故だ。強固なものだからこそ、そこにオーブや国の秘密もごっそりしまいこんでいるのだろう」
「ど、どうすれば――」
「そこで私からお願いがあるのですロシュヤ。貴方の力を使って、この方たちの道を切り拓いてあげて欲しいのです」
「何だって⁉︎」
「女王の魔法を打ち破れるのは貴方のその力だけ……どうかお願いします」
ロシュヤさんは「でも……!」とこちらを振り返って睨みつけていたが、ソフィアさんの切なる瞳と懇願を聞いて渋々外へ乗り出していった。
「おいついてこい。この先にある通路から女王のいる場所にたどり着ける。いいな、音を立てたり足を引っ張ったりするなよ。……それからお前」
「はっ、はい」
ロシュヤさんが興味を示したのは彼とは初対面になるレイブンさんだった。
「こいつらの仲間……ということでいいんだよな」
「は、はい。自分は第3部隊に所属するレイブン・ジオフリードと申しまして……へへ」
「さっさと行くぞ」
彼の名乗りには興味を示さず、ロシュヤさんはせかせかと先へ行ってしまった。
これでもソフィアさんの御前だからか、だいぶ丸くなっているように思われる。
これまでを思えばここで切り捨てられてもおかしくない展開だった。
「俺たちも行くぞ」
そしてスラッシュくんが先行して後を追いかけた。
「気をつけてくださいね……」
「ありがとうございますソフィアさん」
再び最後尾を歩くことになった私が、ソフィアさんから声をかけられた。
そうして次なる難攻不落の牙城――女王の間へと赴いていった。




