その4 覚醒
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七年前の”ダンジョン大災害”。
世界各地でレベルを得た者達――いわゆるプレイヤーの数が増えるにつれ、戦局は大きく人類側に傾いた。
こうしてモンスターはダンジョンに追いやられ、世界はひとまず落ち着きを取り戻したのであった。
事態が鎮静化すると共に、やがて世界では、ダンジョンの存在を前向きに捉える国が出始めた。
彼らはダンジョンを成長の場――人的資源の開発の場――として活用しようと考えたのである。
日本は諸外国にやや遅れながらも、結局はこの流れに乗る事になった。
それほどモンスターが与えた恐怖は大きかったのである。
またいつ別の都市にダンジョンが出現するか分からない。
安全のためにも、プレイヤーの確保は必須だった。
国会で新規に『新型都市地下洞対策特別措置法』が制定されると、希望する者はダンジョンでのレベルアップにチャレンジする事が出来るようになった。
勿論、誰にでも無制限に許可されるという訳ではない。
日本国国民であり、犯罪歴の無い者。事前に精神科医の証明書を必要とする。
更には、レベルを得た者は自動的に自衛隊に登録され、有事の際には召集令状が届くこともあるという。
つまりプレイヤーとなった者達は、予備自衛官――予備役にならなければならないのである。
しかし、平時には特に義務らしい義務も課せられないとあって、希望者は後を絶たなかった。
(※ちなみに義務ではないが、プレイヤーによる犯罪や暴力事件は、一般人のそれに数倍する厳しい罰が課せられる)
レベルアップは、ダンジョンを管理する自衛隊の監視の下で行われた。
都市に住む者達――特に大阪市や名古屋市、横浜市等の大都市に住む者達は、「次こそは自分達の町にダンジョンが発生するかもしれない」という潜在的な恐怖を抱えていた。
また、地方に住む者達も、いつ仕事の転勤や結婚等の都合で、都会に引っ越す事になるか分からない、という不安があった。
そうしているうちに、自衛官は勿論、プレイヤーの力を犯罪に使う者達を取り締まる警察官等、プレイヤーである事がほぼ必須となる職業まで出始めた。
こうして僅か数年で社会は一気に変化したのだった。
最早レベルは、『持っていると便利な資格』のような感覚で、人々に受け入れられるようになっていた。
中には「人類が火を使うようになって以来、最大の変化」と言う者もいるようである。
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俺の手に触れた物。
それは千切れた手首に握られた拳銃――隊長の拳銃だった。
俺は手首から拳銃をむしり取ると、強引に背後に振り返った。
パンパンパンパン!
「ギャイン!」
さしものモンスターも、この至近距離で顔面に銃弾を食らってはただでは済まなかったようだ。
情けない悲鳴をあげて横転した。
俺は立ち上がると、モンスターに向かって引き金を引き続けた。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
パンパンパン――カシンッ
スライドが後退したままロックした。弾切れだ。
俺はハッと我に返って慌てて周囲を見回したが、どこにも弾倉らしき物は落ちていなかった。
ヤバい。モンスターは弱ってはいるようだが、このまま死ぬようには見えない。
その時、俺はモンスターの首の付け根からナイフの柄が伸びているのに気が付いた。
コイツは一番最初に現れたモンスター。自衛官の岸田さんに首を刺されたモンスターだったのだ。
ナイフはずっと刺さったまま、抜け落ちていなかったのである。
俺は役立たずとなった銃を投げ捨てると、ナイフの柄に縋り付き、全体重をかけた。
ナイフはじわじわとモンスターの体に沈み込んでいく。
「うああああああああああっ!」
モンスターは必死で暴れた。もの凄い力で今にも跳ね飛ばされそうだ。
しかし、倒れた時の体勢が悪かったのか、上手く力が入らないらしい。床を激しく掻くだけで起き上がる事が出来ずにいる。
温くどす黒い血がドクドクと溢れ、俺の手と服をじっとりと濡らした。
やがてナイフの先が何か硬い物を突き抜けた感覚があった。
その途端。ナイフは抵抗を失い、一気にずぶりと根元までモンスターの体に潜り込んだ。
モンスターはビクリと大きく痙攣すると、その身体からぐったりと力が抜け落ちた。
死んだ。・・・のか?
一瞬信じられなかった。モンスターを倒した?
自衛官を殺したモンスターを、無能者のこの俺が?
上級プレイヤーを殺したモンスターを、単なるモブでしかないこの俺が?
だが、俺が戸惑っていられたのはほんの数秒の間だった。
直後に俺は、思わぬ出来事に驚愕する事になったのである。
それは今後の俺の生き方を変える――あるいは狂わせる――事になる大きな変化。
無力なモブでしかなかった俺が、終わる事のない戦いの道を歩むきっかけとなる、運命の出来事。
その瞬間。俺は体に違和感を感じていた。
何かが流れ込んでくる不思議な感覚。
そう。俺はレベルを得たのである。
自衛隊の隊長が残した拳銃。そして自衛官がモンスターに突き立てたナイフ。この二つの幸運がなければ、俺は間違いなくこのモンスターの餌食になっていただろう。
しかし、俺は幸運を噛みしめる事も、生き延びた喜びを感じる事すらも出来なかった。
俺は自分の身に起きた変化に、ただただ驚愕していた。
体の中に何かが流れ込む感覚があった。
この感覚をどう説明すれば分かって貰えるだろうか? 砂に水が染み込むような感じ、と言って伝わるだろうか?
その何かは、俺がそれを自覚した途端、スルリと体の中に消えて行った。
俺はこの不思議な感覚を直感的に理解していた。
「・・・これがレベルアップ」
去年のあの日、初めて訪れたダンジョンで俺が望んで得られなかったもの。
プレイヤーに密かに憧れていた俺が、現実の厳しさを思い知らされる事になった失意の出来事。
心臓は驚きと興奮でドキドキと脈打っている。俺は震える手を握りしめた。
やり方は・・・力の使い方は、以前にネットの動画で見た事がある。
そう。己の力を一瞬に爆発させるのだ。
「形態変換!」
変化は劇的だった。文字通り世界が切り替わった感じがした。
目から鱗が落ちる、という言葉があるが、今の俺はまさしくそんな気持ちだった。
あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、まるで重い荷物を降ろしたように体がスッキリと軽くなった。
力の使い方が感覚で分かる。というよりも、なぜ今までの俺はこんな当たり前の事に気付かなかったのだろうか?
これがレベル。プレイヤーの世界。
「俺の特徴は・・・スピード型か。レベルは2」
それらの情報は直感で理解出来た。
目や鼻が顔のどこに付いているか分かるように、その情報は俺にとって既に知っていて当たり前のものだった。
プレイヤーは大まかに五つのクラスに分けられる。
明確な区別は無いが、チームの役割分担として、便宜上、そのように呼び分けられているのだ。
俺のようなスピード型のクラスは、普通、純アタッカー枠の【ダメージディーラー】か、遊撃枠の【ジャグラー】のどちらかとなる。
メジャーなクラスで言えばダメージディーラーの方だが、俺の性格から考えると、何となくジャグラー寄りじゃないかと思う。
そしてレベルというのは、ゲームでも良くあるキャラクターレベルと考えて問題は無い。
普通はレベル1から始まるので、俺は一つ飛ばしている事になる。
「グワウ!」
「――っと! しまった!」
俺は飛びかかって来たモンスターに押し倒された。
自分の変化に気を取られて、まだ他にモンスターがいる事をすっかり忘れていたのだ。
「この野郎っ!」
「ギャン!」
ジャグラーのレベル2の力でも、そこらの一般人の力は軽く凌駕する。
俺に蹴り飛ばされたモンスターは、悲鳴をあげて床に転がった。
その隙に素早く周囲を見回すと、少し先に大型ナイフが転がっているのが見えた。
俺は「しめた!」とばかりにナイフに飛びついた。
「スキルは・・・流石にまだ覚えていないのか。地力で戦うしかないか」
スキルとは――今はそれどころではないので、覚えた時にでも説明しよう。
俺はナイフを拾うと、見よう見まねで構えを取った。
モンスターは、獲物と思っていたザコから反撃された事に驚いたのだろう。
慎重に俺から距離を取った。
「グ・・・グルルルル」
「さ、さあ来い。さっきまでの俺と同じだと思うなよ」
我ながらなんともしまらない台詞だと思うが、元々そういうキャラじゃないので勘弁して欲しい。
俺は野良犬を追い払うように剣先を軽くシュッシュと振った。
「グワウ!」
「く、くそっ!」
だが戦いにおいてはこっちは素人。相手の方が一枚上手だ。
モンスターは剣を持っていない左側に回り込みながら俺に飛びかかった。
オオカミモンスターの鋭い牙が、俺の首を――頸動脈を食いちぎろうと襲い掛かる。
俺は左腕をモンスターに噛みつかせながら、敵の腹にナイフを突き立てた。
「痛えええっ! 食らえ、この野郎!」
「ギャン!」
俺は腕に走る熱い痛みに耐えながら、刺したナイフを思い切りグリグリとこじった。
モンスターはたまらず俺の腕を解放。悲鳴をあげて距離を取った。
「逃がしてたまるか! テメエ!」
レベルを解放している間は、痛みに対する耐性が増すのか、あるいは戦いの興奮で痛みが麻痺しているのか。
俺は流れ出す血をものともせず、ナイフを腰だめに構えると、体ごとモンスターにぶつかって行った。
「キュン!」
「うおおおおおおおおおおおっ!」
俺はモンスターにナイフを突き立てたまま疾走。体ごと壁に叩きつけた。
ドシンと大きな音が響くと、俺の体にモンスターの骨が砕ける感触が伝わって来た。
これでどうだ?! 殺った・・・のか?
モンスターの体からクタリと力が抜けると共に、俺の体に例の感覚が溢れた。
次回「殺戮の広場」