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その3 悪夢の始まり

◇◇◇◇◇◇◇◇


 レベルアップ。

 この現象の原因や仕組みは未だに解明されていないが、その効果だけはハッキリしている。

 レベルアップを経験した者は、著しく身体能力が強化されるのである。

 彼らプレイヤーは、それこそ漫画の超人のように、重い物を持ち上げたり、ビルからビルへと飛び移ったり出来るようになる。

 ただし、現実は漫画とは違い、無尽蔵にその力を発揮し続けられる訳ではない。

 当然だ。ベンチプレスで100キロを持ち上げられる力自慢でも、連続で持ち上げられる回数には限度がある。100メートルを10秒で走れる陸上選手も、千メートルを同じ速さでは走れない。

 それと同じように、プレイヤーの力も、一度使うと回復するまで使用する事は出来なくなるのである。


 そのため、プレイヤーも日頃は力を封印し、俺達一般人と全く変わりの無い身体能力で過ごしている。

 しかし、有事の際にはレベルの力を解放。強力な力でダンジョンのモンスターと戦うのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ダンジョンの広場に、特補生の悲鳴が響いた。


「そ、そんな! 形態変換(トランスレーション)出来ない?!」

「わ、私も! 一体どうして?!」


 形態変換(トランスレーション)が出来ない。つまり今の彼らは、俺達一般人と同じだけの力しか持たない、という事である。

 隊長が慌てて叫んだ。


「下がれ、吉田! 特補生を守れ! 岸岡! 吉田のフォローに――」


 隊長の指示は一歩遅かった。

 通路の奥から黒いオオカミのようなモンスターが飛び出して来ると、先頭に立っていた自衛官(※多分この人が吉田さんなのだろう)に襲い掛かったのである。

 人間並みの大きさのモンスターだ。

 吉田さんは手にした大型サバイバルナイフを斜に構えた。


「なっ?! どうして形態変換(トランスレーション)出来ない?!」


 彼は驚きながらも慌ててモンスターに切りつけたが、ナイフの刃はモンスターの体を浅く傷付けただけに終わった。

 吉田さんはモンスターに押し倒された。


「キャアアアアアアッ!」

「よ、吉田さん!」


 なすすべなく立ち尽くす特補生達の前で、モンスターはあっさりと獲物の頭を噛み砕いた。

 ゴリッという鈍い音と、モンスターの荒い鼻息、そして生徒達の悲鳴が広場に響き渡った。


「吉田! くそっ! 形態変換(トランスレーション)!」


 自衛官の岸岡さんが同僚の仇を打つべく、勢い良くモンスターに切りかかった。

 ――しかし。


「バカな! 俺も形態変換(トランスレーション)出来ない?!」

「グアウッ!」


 ナイフはモンスターの首の付け根に突き立ったまま、動きを止めてしまった。 

 武器を取られてしまった岸岡さんに、別のモンスターが襲い掛かった。


「ぎゃああああ――ぐけっ」


 モンスターは岸岡さんの右の肩に噛みつくと、そのまま大きく首を振った。

 岸岡さんは肩から先の右腕を失いながら、勢い良くダンジョンの壁に叩きつけられた。

 彼は壁に大きな血のシミを作りながら地面に落下。ピクリとも動かなくなった。


「ひいいいいいっ! 止めろ! く、来るな! ぎゃああああっ!」


 更にもう一体のモンスターが現れると、特補生達に襲い掛かった。

 レベルの力を持たないプレイヤーは、俺達モブと変わらない。

 彼はなすすべなくモンスターの爪に引き裂かれた。

 いつの間にか隊長がモンスターの前に立っていた。

 どうやら特補生を守るために駆け出したが、間に合わなかったようだ。


形態変換(トランスレーション)! ――くそっ! 俺もか! なぜ形態変換(トランスレーション)が出来ない! 一体どうなっているんだ!」


 隊長はナイフをモンスターに投げつけると、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

 銃器の類はモンスターに対して効果が薄い。

 しかし、常人の身体能力で戦うくらいなら、まだ拳銃の方がましと判断したのだろう。

 隊長が持つ拳銃は、凶悪なモンスターを前に随分と小さく頼りなく見えた。(※実際に自衛隊正式採用のSFP9は、9mm拳銃弾を使用する小口径銃である)


 パン! パン! パン!・・・


 広場に乾いた炸裂音が連続して鳴り響いた。

 モンスター達は痛がる素振りは見せているが、やはり致命傷には至らないようだ。

 遊底(スライド)下がった(オープンした)状態でロックすると、隊長は銃把(グリップ)から弾倉(マガジン)を引き抜いた。

 彼はポーチから予備のマガジンを取り出し、グリップに押し込む。連動してスライドが自動で閉鎖。初弾が装填され――


「ぐあっ! く、くそっ! 離せ!」


 しかし、モンスターはこの隙を見逃さなかった。モンスターは隊長の拳銃を持った手に食らいついた。


「ぎゃあああああっ!」


 隊長の絶叫と同時に、銃を握った手が二の腕から食いちぎられ、ダンジョンの床に転がった。

 片手を失ったばかりか、唯一の攻撃手段まで奪われた隊長に、もはや抗うすべはなかった。


 次の瞬間、隊長は腹を食い破られて絶命していた。

 モンスターの荒い鼻息がここまで届いた。

 こうして俺達を守ってくれる大人達は全員死んだ。


 そこからは悪夢の始まりだった。




「うわああああああっ! や、止めろ! 来るなああああああっ!」

「いやーっ! 来ないで!」

「ひいいいいっ! ウソだウソだウソだああああ!」

「誰か助けてーっ!」


 生徒達はパニックになって一斉に逃げ惑った。

 俺はその場で動かなかった。いや。恐怖で頭の中が真っ白になって、動けなかったのだ。

 後になって思えばそれが良かったのかもしれない。

 モンスター達は動く獲物に注意を引かれて、逃げる生徒に襲い掛かったのである。

 小動物は捕食者に見付かった時、死んだふりをするという。擬死と呼ばれる防衛行動だそうだ。

 その話を聞いた時、「死に真似をするくらいなら、一か八か全力で逃げた方が、まだ生き残れる可能性が高いんじゃないだろうか?」と疑問に思った。

 だが、こうなってみると、案外、動かない事もバカにならないのかもしれない。


 とはいえ、今回の場合、ほんの数分寿命が延びただけに過ぎなかった。

 他のクラスメイト達が全員殺されれば、モンスターの注意は俺の方に向くだろう。

 期限付きの延命措置。

 この地獄の中、殺される順番が一番最後になる。

 たった数分だけの違い。早いか遅いかの差でしか無かった。


 またクラスメイトが襲われた。向こうでは顔も知らない特補生クラスの生徒が襲われている。

 全員が恐怖と絶望で顔をぐしゃぐしゃにしながら死んでいく。

 絶叫。悲鳴。血と内臓の匂い。そしてモンスターの荒い吐息。息苦しい獣臭。


 ある生徒は背中からモンスターに襲い掛かられ、後頭部をゴッソリ爪で引き裂かれて死んでいる。

 別の生徒は生きながら腹を食い破られ、こぼれ落ちた内臓を引きずりながらも、懸命に這いずって逃げようとしている。

 腕を食いちぎられて泣き叫ぶ者。

 足を食いちぎられて絶叫する者。

 あちこちで人間の体がバラバラになり、壊れた人形のように放り出されている。


 悪夢そのものの光景に、俺は現実感を失っていたのだろう。

 みんなのように逃げるでもなく、絶望に泣き叫ぶでもなく、ただ殺戮の現場を見守りながら、ぼんやりと自分の順番が来るのを待っていた。


 その時、大きな塊が――人間の上半身が――俺のすぐそばにゴロリと転がった。

 それは俺の良く知る顔――友人の渡辺(ナベ)のものだった。

 彼の顔は半分齧られてなくなっていた。


「う、う、うわああああああっ!」


 渡辺(ナベ)の死体が――知り合いの死が、凍り付いたように麻痺していた俺の恐怖心を蘇らせた。

 俺は絶叫しながら走り出した。

 生きている生徒は――少なくとも、今も逃げている者は――周囲にもう誰もいない。

 この場で動いている人間は俺一人だけ。

 俺は完全にモンスターの注意を惹き付けてしまった。

 近くにいたモンスターが俺に襲い掛かった。


「あああああ――ぐふっ」


 俺はモンスターに背後から押し倒された。

 息も出来ない程の耐え難い獣臭。

 ガフッ、ガフッ、という荒い鼻息と共に、熱い唾液が俺の後頭部に落ち、髪を濡らした。

 痛さと息苦しさと恐怖でポロポロと涙がこぼれる。


 どうして。どうしてこんな事に。


 安全なはずのダンジョン実習だった。

 特補生クラスの生徒達が自衛官の指導の下に行うレベルアップ。

 俺達はその見学のために、彼らに同行しただけに過ぎなかった。

 ただの社会科見学。修学旅行のようなもの。

 国の補助金で東京旅行が出来る。

 特補生クラスのヤツらはともかく、俺達一般クラスの生徒にとっては遊びに行くような感覚だった。


 生きたままモンスターに食われる。


 クラスメイトの死体が頭の中に浮かんでは消えた。

 恐ろしかった。ただひたすらに怖かった。

 この恐怖から逃れるためなら何でもやる。例え手足を失う事になっても、死ぬよりはずっとずっとマシだ。


 誰か。誰か助けて!


 俺は自衛官が助けてくれる事を期待した。

 突然、通路の向こうから上級プレイヤー達が現れて、このモンスター達を倒して、俺を助けてくれるのだ。

 いや。現実は漫画やドラマのように都合良くは出来ていない。

 俺は死ぬ。周りのクラスメイトのように死体になる。あっさりと。


 この時、なぜか俺は死んだ隊長の言葉を思い出していた。


『ダンジョンの中では死ぬ時は死ぬ』

『死にたくない? 当然だ。俺だってそうだ。だったら這いつくばってでも生き延びろ』

『どんなに苦しくても足を止めるな。生きる道は前にしか伸びていない』

『前に前に進み続けろ』


 生きる道は前にしか伸びていない。

 前に。前に。

 俺はうつ伏せのまま、懸命に手を前に伸ばした。

 何かを期待していた訳じゃない。モンスターに押さえられた今の俺には、そのくらいしか出来なかったのだ。

 その手が何かに触れた。


 それは千切れた手首に握られた拳銃だった。

次回「覚醒」

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