エピローグ 遺跡
俺はダンジョンの壁に背中を預けて座り込んでいる。
すぐ後ろには外へと続く階段。
目の前には唯一、生き残った女子生徒、茂木帆之香。
茂木さんはどこかに隠し持っていた拳銃を自分の頭に突き付けている。
彼女は自分の不幸体質が今回の事故を引き起こしたと思い込んでいる。
みんなを巻き込んで死なせてしまった。自分だけが助かるなんて許されない。
真面目な彼女はそんな風に思い詰め、自分で自分を追い込んでいたのである。
勿論、そんな事実はない。
ダンジョン転移は偶然の事故だし、クラスメイト達を殺したのはモンスターだ。
誰かが責任を取るような事じゃない。全ては彼女の妄想だ。
だが、長いサバイバル生活で精神的に疲弊し、罪の意識に硬く縛られた今の彼女には、俺の言葉が通じなかった。
引き金にかけた彼女の指に力が入った。
ヤバい。茂木さんは本気だ。
責任を取って、この場で死ぬつもりなのだ。
「形態変換!」
俺は咄嗟にレベルを解放した。
「精神集中! 蓮飛!」
そしてすかさずスキルを発動した。
その瞬間、俺の周囲の光景がスローモーションになる。
スキル【蓮飛】は、使用者の感覚を極限まで研ぎ澄まし、あらゆる攻撃を回避するというアクティブ系のスキルである。
本来、回避専用のスキルだが、実は攻撃にも使える事は、さっきの階層ボスの戦いでも実証済みである。
俺はスローモーションの世界の中、手近な小石を掴んだ。
狙いは茂木さんの上半身のどこか。
出来ればピンポイントに拳銃に当てたい所だが、座った状態ではコントロールもままならない。
かと言って、立ち上がろうにも、今の俺は右足が動かない。
体のどこかに当てて、彼女がひるむのを期待するしかなかった。
タイミング的に二投目はないだろう。
外せば終わり。次の瞬間、発射された銃弾は茂木さんの頭を吹き飛ばしてしまうに違いない。
俺は狙いを彼女の胴体――みぞおちの辺りに定め、石を投擲した。
ヒビの入った肋骨に痛みが走る。
その痛みのせいだろうか。小石は左上に逸れてしまった。
マズい! 外した?!
最悪の結果を予想して、ドキリと心臓が跳ね上がる。
だが、小石は茂木さんの左肩に命中。
痛みに彼女の顔が歪んだ。
パンッ!
乾いた音がダンジョン内に響くと共に、茂木さんの体がガクリと崩れ落ちた。
蓮飛の効果が切れると、世界は元のスピードを取り戻した。
今の俺の体力ではスキルを発動させておくのは、一~二秒が限界だったようだ。
茂木さんは糸の切れた人形のように、グニャリと崩れ落ちた。
頭が勢い良くダンジョンの床にぶつかり、ゴツンと大きな鈍い音を立てる。
明らかにヤバイ倒れ方だった。
俺は失敗したのか?
「茂木さん! 茂木さん! 大丈夫か?!」
俺は動かない右足を引きずりながら床を這い、彼女に近づいた。
心臓はドキドキと早鐘を打っている。
頼む! 生きていてくれ!
俺は怯えているのか?
今日までに俺は、稲代に五条、漆川、それに何人ものクラスメイトの死を目の当たりにしている。
今更、人の死にここまで動揺するとは思わなかった。
いや、違う。
これは恐怖だ。
一人になってしまう恐怖。
訳も分からない状況の中で、一人だけ取り残される恐怖。
思えば俺は今までの人生の中で、真に一人になった事は一度も無かった。
家族が家に誰もいない時でも、外に出れば道に車は走っているし、コンビニに入れば店員だっている。スマホを使えば友達と話だって出来る。
というか、現代社会では無人島に漂着でもしない限り、一人になる事など出来ないのではないだろうか。
「茂木さん、頼む! 頼むから、俺を一人にしないでくれ!」
茂木さんは倒れたままピクリとも動かない。
薄暗いダンジョンの中、彼女の黒い髪の一部が艶やかに光っている。
血だ。
弾丸は確かに彼女の頭に命中したのだ。
俺は焦りと恐怖で呼吸すら忘れていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
茂木帆之香が、襲い掛かって来た金本を射殺。その死体を五条がダンジョンの奥に始末してから十分ほど後。
周囲のモンスターを片付けた漆川が、彼らの下に戻って来た。
漆川は、いつもなら直ぐに彼を出迎えるはずの金本の姿が無いのを不思議に思った。
彼は五条に尋ねた。
「金本は?」
「――彼は茂木さんをモンスターから守るために戦って、やられてしまった」
漆川が茂木に振り返ると、彼女は怯えた様子で体を硬くした。
その姿はいつもの彼女らしく無いが、モンスターに襲われた直後と考えると、無理のない反応とも考えられた。
「ふうん。あ、そう」
漆川は彼らの態度に何らかの疑いを抱いた様子だったが、あっさりと引き下がった。
五条はホッとすると同時に、漆川の反応の薄さを意外にも思った。
「何?」
「あ、いや。金本と仲が良さそうだったのに、詳しい話を聞いたりはしないんだな」
漆川は心底不愉快そうに眉間にしわを寄せた。
「仲がいい? おい、冗談だろ。お前、同じクラスなのに、金本と話した事がないのか? まともな人間でアイツの事が好きなヤツなんているはずないだろ」
漆川の言葉は意外――という程のものではなかった。
五条も茂木も金本の性格の悪さは良く知っていたからである。
「誰があんなヤツと仲が良いもんか。『ざまあ』を決めるために放っておいたんだ。アイツが完全に調子に乗ったタイミングで、どん底に突き落としてやるつもりだったんだよ」
漆川は「まあ、死んだのならそれでいいけど」と、あっさり言い放った。
どうやら漆川は、彼なりの考えがあって――歪んだ復讐心を満たすために――今まで金本の好きにさせていたようである。
こうして金本の話はあっさりと終わった。
漆川は本当に金本が死んだ事を気にしていなかったが、二人が自分に何かを秘密にしていた事は感じていた。
もしもこの時、漆川が茂木帆之香の隠していた秘密――金本の死因と、ダンジョン事故の真実――を知れば、どうなっていただろうか?
金本の死はともかく、元々のルートが茂木帆之香の思い付きで変更されたせいで、彼らはダンジョンの変化に巻き込まれてしまったのである。
怒りのままに彼女に復讐する? あるいは、主人公気取りで彼女の事をヒロインだとでも思い込む?
結果として漆川は秘密を知る事無く、この後の階層ボスとの戦いで死んでしまった。
五条も死に、最後に残った茂木帆之香も、秘密を抱えたまま死を選んだ。
こうして中久保は、なぜ茂木帆之香がこうまでも罪の意識を感じていたのか、その真の理由を知る機会を永遠に失ってしまったのであった。
――いや。そうなったかと思われた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は茂木さんを背負った状態で階段を這いずっていた。
プレイヤーはレベルを解放している間は痛みに対して強くなる。
レベル29の身体能力(※俺は階層ボスを倒した事でレベルが二つ上がっていた)と、痛み耐性がなければ、とっくに音を上げていただろう。
茂木さんはまだ死んでいない。
出血のせいか顔色は紙のように真っ白だが、体温はあるし、浅くだが呼吸もしている。
そう。俺の悪あがきは無駄ではなかったのである。
俺の投げた小石は彼女の肩に当たった。
その痛みで銃口が逸れ、弾丸は彼女の頭をかすめただけで、致命傷には至らなかったのだ。
しかし、死ななかったとはいえ、弾丸が頭蓋骨をかすめたのは事実である。
その衝撃で彼女は意識を失ってしまった。
それに倒れた時に、硬いダンジョンの床で頭を強く打っていたのも気になる。
迂闊に起こすのは危険だ。一刻も早く病院に連れて行かなければ命にかかわるかもしれない。
俺が取るべき方法は二つ。
彼女を置いたままで外に助けを呼びに行くか、彼女を背負って二人で外に出るか。
今の俺の体で彼女を背負って階段を上るのは難しい。
なにせまともに立つ事すら出来ないのだ。自分の体も支えられないのに、女子とはいえ人一人背負って歩くのは不可能に近い。
だからと言って、彼女を置いて行くのも難しい。
外に続く階段に近いとはいえ、ここはまだダンジョン。人を襲う危険なモンスターが徘徊する場所に、意識の無い人間を一人で残して行くのはリスクが高すぎる。
そもそも、外に出たところで直ぐに医者が見つかるとは限らない。
医者を連れて戻った時には手遅れで、彼女は既に死んでいた、なんて事も起こり得るのだ。
「・・・連れて行くしかない」
俺は彼女と一緒にダンジョンを出る道を決意した。
そちらの方が彼女を救える可能性が高い。そう判断したのである。
――いや、違う。俺は彼女のそばを離れるのが怖かったのだ。
自分がいない所でひっそり死んでいるかもしれない。その恐怖に耐えられなかったのである。
(くっ・・・想像以上にキツイ)
プレイヤーはレベルを解放している間は痛みに対して強くなる。
だからといって、痛みを全く感じなくなるというわけではない。
俺は体中にビッシリ汗を浮かべながら、階段を登って行った。
何の事はない階段の一段一段が、俺には険しい障害に感じられた。
俺は先を見ないように――目の前の階段だけを見るようにした。
残りの段数を知ってしまうと、心が折れてしまうかもしれなかったからである。
(・・・まだか。まだ終わらないのか)
階段はいつまでも続いた。今の俺にとっては、永遠の拷問に等しかった。
俺は強い人間でもなければ、確固たる信念もない。
何度、茂木さんをこの場に投げ出して、自分だけ助かりたい。もう楽になりたい。そう思った事か。
しかし、混濁する意識の中、俺は、「後一段」「次の一段だけ」と、自分に言い聞かせながら、この地獄の責め苦を耐え続けた。
周囲は目に見えてハッキリと明るくなっている。
時々、顔を風が撫でる。
出口は近い。
俺の吐く荒い息の中、木立のざわめく音や、鳥の鳴き声が聞こえて来る。
そして遂にその時がやって来た。
階段の終わり。目の前には雑草の生えた石畳が続いていた。
とうとう俺達はダンジョンの外に出たのだ。
日差しが肌に照り付ける。
吹き抜ける風が頬を撫でる。
どれもダンジョンでは味わえない、数日振りの感触だ。
俺は意識が朦朧としたまま、顔を上げた。
目に飛び込んで来たのは、墨田区ダンジョン前に作られた自衛隊の駐屯地――ではない。
見た事も無い意匠の石造りの家々だった。
風化した建物はあちこちで崩れ落ち、壁の漆喰は剥がれ、石畳の隙間からは雑草が伸びている。
ここは都市ではない。かつての都市――遺跡だ。
昔は多くの人間が住む大都市だったのかもしれないが、今は見る影もなくうらぶれている。
――ダンジョンのせいか。
それは直感だった。
おそらく、かつてはこの世界を代表するような大都市だったのだろう。
その都市にある日突然、俺達の世界と同じように、ダンジョンが発生した。
ダンジョンからあふれ出たモンスターは人々に襲い掛かった。
こうしてこの都市は滅び、人のいない廃墟になってしまったのだ。
そう。俺達が必死にたどり着いた外の世界は、人間がモンスターに滅ぼされた後の死の世界だったのである。
俺は呆然としていた。
頭の中が真っ白になって何も考えられなかった。
これからどうするか。どうすればいいのか。
何一つ思い浮かばなかった。
ガサリ
何かが草を踏みしめる音がした。
俺は危機感も好奇心も無く、ただ、反射的にそちらに視線を向けた。
そこに立っていたのは、小さな影だった。
素朴な綿のシャツに、明るい金髪の長い髪。庇護欲を刺激する可愛らしい顔に、青い瞳。
そう。それは紛れもなく人間。
小学生か、小柄な中学生くらいの少女だった。
「※※※※※! ※※※!」
少女は知らない言葉で何かを叫ぶと、そのまま走り去ってしまった。
この世界には人間がいる。
そう思った瞬間、俺の目から涙がこぼれ落ちた。
それは安堵の涙であり、喜びの涙だった。
形態変換状態が解除されると同時に、体を激しい痛みが襲い、俺は意識を失った。
青い空には、見た事も無い大小三つの月が浮かんでいた。
俺が意識を取り戻すのはそれから二日後の事である。
――異世界に行ってからが俺の本番~無能者、プレイヤーとして覚醒する~【完】――