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その18 茂木帆之香

◇◇◇◇◇◇◇◇


 今から二週間程前。

 西浜高校の生徒達の人生を大きく変える事となった、あの運命の日。

 彼らが、墨田区新型都市地下洞でダンジョン実習を行ったあの日の早朝。

 クラス委員の五条昴留(すばる)と、副委員の茂木帆之香は、ダンジョンの外の自衛隊駐屯地の一室で、彼らのクラスを引率する自衛官から事前連絡(ブリーフィング)を受けていた。


「以上が今日の探索ルートになる。ここへの帰着予定は19時から20時。少し厳しい行軍になるが、若い君達の体力なら大丈夫だろう?」


 彼らを担当する事になった自衛官、宇津木3等陸曹はそう言うと、男らしい顔に頼りがいのある笑みを浮かべた。

 彼は今でこそ後方で補給を担当しているが、昨年まではダンジョンの第一線――十五階層で戦っていた猛者。歴戦の勇士であった。

 なぜそのような人材が前線から下げられ、こんな場所で候補生の世話をしているのか?

 近年、陸上自衛隊では自衛官をダンジョンの奥に送り込み、積極的にレベルの底上げを行っている。

 現在判明しているレベルの上限は40。

 彼のように成長上限(レベルキャップ)に達してしまった者は、他の者達に経験値を譲るために後方に下げられているのである。


 二人は真剣な面持ちで、机に広げられたダンジョン内の地図に目を落とした。

 真新しい地図には、今日の行軍ルートが赤い線で引かれている。


「その地図は君達に預けておく。それはコピーだが外への持ち出しは厳禁だ。後、クラスの人間に見せるのは構わないが、一部でも写真に撮る事は禁止されているので、その点も注意するように。それと、ダンジョンから出る時には返してもらうので絶対に失くさないように」


 それから宇津木3曹はいくつかの注意を行った。

 ダンジョン内では写真や動画の撮影は禁止。スマホの電源は切っておく事。

 貸し出されたナイフは、自衛官の指示があるまで絶対に抜かない事。等々。

 そのほとんどは、二人が一年生のダンジョン実習時にされたのとほぼ変わらない内容であった。


「――といった所か。今の君達はまだ高校生とはいえ、レベルを得た特別候補生――予備自衛官だ。節度ある行動を期待する」

「「はい!」」


 二人は背筋を伸ばすと返事をした。ちなみに民間人なので敬礼はしない。

 宇津木3曹は二人のうち少女の表情が――茂木帆之香の表情が曇っている事に気が付いた。


「何か気になる事でもあるのかい?」

「あ、いえ。・・・あの、少しいいでしょうか?」


 茂木は躊躇いながらも、口を開いた。


「ダンジョン実習に参加するのは、私達のクラスだけではありません。一般クラスの生徒も参加します。あまり行軍時間が長くなるのは、彼らにとって負担が大きいのではないでしょうか?」

「それは・・・ふむ。確かにそうだな」


 特補生クラスのプレイヤー達と違い、一般クラスの生徒達はただの見学者。モンスターと戦う術を持たない弱者である。

 彼らにかかる精神的、肉体的な疲労は、特補生クラスの生徒達のそれと比べても極めて大きなものになるだろう。


 宇津木3曹は、しばらく思案顔で地図を眺めていたが、やがて二階層の通路を指差した。


「ならばこの通路を通るのを止めて、こちらの通路を通ろう。普段はあまり使われていない道だが、行程も大幅に短縮できるし、確か高低差も少なかったはずだ。歩くのもずっと楽だと思うぞ」


 宇津木3曹の提案に、茂木はパッと明るい表情を見せた。

 五条もホッと安堵の表情を浮かべた。


(まるでドラマに出て来るような、絵に描いたような美男美女だな。クラス委員を任されているという事は、二人共成績も優秀に違いない。きっと学校でもこの二人に憧れている生徒は多いんじゃないかな)


 宇津木3曹は五条達の様子を見ながら、そんな感想を抱いていた。


 それから数時間後。彼らはダンジョンの構造変化に巻き込まれてしまう事になる。

 場所はダンジョン二階層。

 そう。今朝変更したばかりの、あの通路である。

 彼ら四十五人はこの事故によって、異世界のダンジョンに転移させられてしまったのであった。




 転移直後の広場。

 無事な生徒の姿を探しながら、茂木帆之香は罪悪感に押しつぶされそうになっていた。


(どうしよう。きっと私のせいだ・・・)


 この時点で、彼女は自分達の身に何が起きたのか分かっていない。

 しかし、自分の意見で変更されたルートを通過している最中に、今回の事故が起きた事だけは分かっていた。


(あの時、私が余計な事を言わなければ、みんなが巻き込まれる事はなかったんだ)


 昔からずっとそうだった。

 旅行に行く事が決まると、必ずと言っていい程、雨が降ったり台風が来たりする。

 大阪の有名な進学校を受験した時も、前日に突然熱を出して試験に失敗した。

 それでも今回の不幸は極めつけだ。


 その時、彼女の目が、倒れている大人の姿を――彼女達を引率して来た自衛官の姿を――捉えた。

 彼は足を投げ出し、グッタリと壁に寄りかかるようにして座っている。

 茂木は慌てて男に駆け寄った。


「どうしたんですか?! 大丈夫です・・・か。ヒッ!」


 男の頭は潰れていた。

 頭部から流れ出した大量の血は、彼の顔を真っ赤に染めている。

 虚ろに開いた眼は瞬き一つせず、虚空を見つめている。

 呼吸はしていない。死んでいるのは明らかだった。


「――!!」


 血生臭い匂いが――耐え難い人の死臭が――鼻を突き、茂木は口を押さえて膝をついた。

 こみ上げて来る吐き気に涙が止まらなかった。

 心臓が早鐘のように脈打った。


(人が死んだ! 私のせいで!)


 目の前の死体から――自分の犯した罪から――目を反らす事は出来なかった。

 彼女は魅入られたように、自衛官の死体を凝視し続けた。


 私のせいでこの人は死んだ。

 あの時、私が余計な事を言わなければ。

 私の不幸に巻き込まなければ。

 この人はこんな風に死ぬ事はなかったのだ。


 それなのに、私はこうしてのうのうと生きている。


 そう思った時、彼女の手は衝動的に死体の右の腰。レッグホルスターに収まった拳銃へと伸びていた。

 小さな鉄の凶器は、冷たく、ずっしりと重かった。

 彼女は震える手で拳銃を握りしめた。

 死んで詫びるしかない。無意識にそう考えていた。


 しかし、彼女は行動に移す事は出来なかった。

 躊躇っているうちに、彼女の様子がおかしい事に気付いた五条が、こちらに声をかけたからである。

 茂木は慌てて立ち上がった。

 拳銃は咄嗟に懐に隠した。

 例え思い詰めていようとも――罪悪感に押しつぶされそうになっていようとも――それでも「死ぬのが怖い」という思いは強かったのである。




 自分のせいでみんなを殺してしまった。

 罪悪感が茂木帆之香の心をずっと縛っていた。

 同じクラスの男子生徒、金本に襲われた時。彼女は恐怖のあまり、隠し持っていた拳銃で彼を撃ち殺してしまった。

 銃声を聞いて五条が駆け付けた時、金本は既にこと切れていた。


「五条くん。私・・・」


 茂木は血の気を失った顔でガクガクと震えている。

 五条は彼女の乱れた着衣と金本の性格から、この場で起きた事件のあらましを察した。


「――茂木さんはここにいて。今は話している時間が無い」


 五条は金本の死体を担ぎ上げると、広場から出て行った。

 しばらくして彼が戻って来た時、背負っていた死体は無くなっていた。


「金本はモンスターに殺された。漆川にはそう言うから。分かったね」

「・・・ごめんなさい」

「謝らなくていい。君は被害者なんだろ?」


 五条は茂木から拳銃を取り上げるかどうか、少しの間考えていた様子だったが、結局何も言わなかった。

 彼女がどうやって拳銃を隠し持っていたのかは分からない。

 だがもし、漆川や中久保が金本のように彼女を乱暴しようとした場合、護身のための武器があった方がいいだろう、と考えたのである。


 茂木は仲間を殺してしまった自分を、五条が何も言わずに信じてくれた事で、僅かながら心が救われた気がした。

 実際は、金本の人望の無さが大きかったのだろうが。

 彼女はこの機会に、今までずっと気になって仕方が無かった事を彼に尋ねてみた。


「五条くん。私の事を恨んでいない?」

「恨む? 何を?」


 彼女は勇気を振り絞って、声を出した。


「わ、私達がダンジョンの事故に巻き込まれた通路。気付いていないかもしれないけど・・・あの場所、元々は通る予定じゃなかった通路なの。あの日の朝、私が引率の宇津木3曹に言った事で予定が変更されたじゃない。あの時に――」

「茂木さん」


 五条は手を上げて彼女の言葉を遮った。


「悪いけど、その話は考えないようにしているんだ。二度としないでくれないかな」


 もちろん五条は覚えていた。

 一般クラスの中久保は、五条の事を心の中で密かに『完璧超人』と呼んでいる。

 しかし、五条は大人びているように見えても、所詮は高校生二年生――まだ未成年の子供でしかない。

 ――あの日、茂木帆之香が余計な事を言い出さなければ、こんな事故は無かった。

 そんな考えが頭に浮かぶのを消し去る事は出来なかったのだ。

 そんな中、本人から直接話を蒸し返された事で、つい、心の声が――生の感情が――漏れ出してしまったのである。


「・・・ご、ごめんなさい」

「・・・・・・」


 茂木は辛うじて謝罪の言葉を口にした。

 何に対して、そして誰に対して謝ったのか。それは本人にも分からなかった。

 だが、五条にも突き放された事で、彼女は「もう、この世界には誰も私の味方はいないんだ」と強く感じていた。

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