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その14 漆川貴紀

◇◇◇◇◇◇◇◇


 漆川貴紀はクラスでも存在感の薄い生徒だった。

 容姿も地味で背も低く、運動神経も悪く、成績も下から数えた方が早い。

 趣味と呼べるものはゲームくらいだが、それとて取り立てて他人より上手いという訳でもない。

 何をやっても平均以下の存在。それが漆川貴紀という少年だった。


 そんな彼の最近のお気に入りは、大手ウェブ小説サイトでネット小説を読み漁る事である。

 元々は、大好きだったアニメの原作を小説サイトで読み始めたのがきっかけだったが、今ではランキング入りしたタイトルのほとんどに目を通す程ドハマリしていた。


 中でも彼が特に好きなのは、いわゆる「ざまあ系」と呼ばれるジャンルである。

 内容を大雑把に説明すれば、「ずっと周囲から虐げられていた主人公が、ふとしたきっかっけでオンリーワンの能力を得て――あるいは自身の持つ能力の本当の使い方に気付き――成功者として成りあがる」といった感じのストーリーになる。


 この手の物語は、大抵、冒頭で主人公が敵役の男から、理不尽に酷い目に遭わされる場面から始まるのがお約束となっている。

 漆川は、この時の敵役が理不尽であればある程。デタラメであればある程好みだった。

 この手の話に常識やリアリティなんていらない。そんなものは書き手のブレーキだ。

 小説に――娯楽に小賢しい理屈は不要。せっかく気持ち良くなる為に読んでいるのに、中途半端に現実を挟んでくる意味が分からない。萎えるだけだ。

 自分が読みたいのはファンタジー小説なのだ。リアルな設定が望みなら、最初から一般小説を読んでいる。


 半年前。漆川は生まれて初めてダンジョンに入った。

 漆川はプレイヤーに憧れていた。

 この西浜高校を進学先に選んだのも、地元でダンジョン実習がある高校はここだけだったからである。

 ダンジョンで凄い力を得て一発逆転。今までの冴えなかった自分から脱却する。

 なにせレベルを得るための条件は、未だに判明していないのだ。

 全ては運否天賦(うんぷてんぷ)。だったら自分にだってチャンスはあるはずだ。

 

 しかし、漆川はレベルを得る事が出来なかった。

 やはり自分は無能(モブ)でしかないのか。

 中途半端に希望を持っていたが故に、味わった失望は大きかった。


 そして今回の転移事故が起こった。

 漆川はモンスターを倒す事でレベルを得る事に成功した。

 そう。夢にまで見た念願のプレイヤーになったのである。


 漆川は有頂天になった。

 彼の得たステータス――イディオムはディマンド型。

 身体能力の上昇値は控え目だが、成長(レベルアップ)と共に強力な攻撃スキル(アビリティ)を覚える、後衛のアタッカー職である。

 プレイヤーとなった事自体も勿論、嬉しい。

 だが、体を張ってモンスターと戦う前衛職ではなく、止めを刺す時だけ前に出て攻撃をする――攻撃を食らいにくい――後衛職であるという点は特に良かった。

 彼はオンラインのバトロワゲームでも一対一の撃ち合いを苦手としていた。

 敵からの攻撃を食らっていると、どうしても慌ててしまう。

 心に余裕がなくなり、普段ならやらない判断ミスや操作ミスをしてしまう。

 その結果、じり貧なり、相手にそこに付け込まれてしまう。

 ましてやこれはゲームではない。相手は人間を殺すモンスターなのだ。

 正面から戦うなんてとんでもない。漆川はモンスターの持つ殺意が――対面した相手から叩きつけられるむき出しの敵意が――恐ろしかったのである。


 レベルを得て以来、漆川の世界は変わった。

 モブの自分は、強力な攻撃スキル(アビリティ)を持つレア職に。

 プレイヤーとして幅を利かせていたエリート達は、逆にレベルを失って一般人(モブ)に。

 今まで自分を見下していたクラスメイトのほとんどは――無能だった惨めな自分を知っている者達のほとんどは――全員モンスターに殺されて、既にこの世にいない。

 新しい人生に、過去の惨めな自分はいらない。むしろそんな記憶はジャマだ。


 モンスターとの直接戦闘は――前衛職は――クラスメイトの中久保が引き受けてくれる。

 生意気な同じ組の女子、稲代は、クラスにすら付けない最底辺のプレイヤー、バランス型になった。

 苦手な女子が、使えない能力を手に入れて喜ぶ姿は、なんとも滑稽で胸のすく思いがした。

 特補生クラスの男子、金本は、自身の保身のために、常にまとわりついてチヤホヤと持ち上げて来る。

 そう。漆川は、金本が保身のために自分を利用している事を知っていた。

 なにせ去年は一年間、ずっと彼にパシリにされてバカにされ続けて来たのだ。金本(ヤツ)の下衆な人間性など骨身に染みて理解している。

 それでも黙って好きにさせていたのは、「あの(・・)金本が自分にへりくだっている」という事実そのものに――今まで自分を見下して来た人間を、今度は自分が見下す立場になったという現実に――愉悦を覚えていたからである。


 まるでネット小説が現実になったようなこの快感。

 そう。漆川にとって今の状況は、ずっと憧れて来た、「ざまあ」そのものだったのである。


 漆川にとって今の状況は「自分が主人公の小説」のような感覚であった。

 彼は突然、強力な力を得てしまったが故に――そしてあまりに彼にとって周囲の状況が理想的であったが故に――どこか現実感が欠けていたのだろう。

 漆川はこんなギリギリの状況にありながら、「多分最後には何とかなる」「きっと何とかなるはずだ」等と根拠のない甘えた考えを心の片隅に抱いていたのである。


 だが、現実は彼のそんな甘えを許さなかった。

 圧倒的な高レベルを持つ階層ボスの登場。

 稲代康江の死。(能力値が低かったとはいえ、彼女は漆川と同じプレイヤーであった)

 そして、太鼓持ちとして今まで自分を全肯定し続けて来た金本の死。


 漆川は、自分が主人公の世界が――彼を中心に回る優しい世界が――崩れていく音を聞いた。

 事ここに至って、ようやく彼は目の前の現実を直視せざるを得なくなったのである。


 漆川のか細い神経は、過酷な現実を前に完全に委縮してしまった。

 彼はいつも学校でそうしているように、自分の世界から他者を締め出し、自分の心を――ちっぽけな自尊心を――守ろうとした。

 いや。そうしたかった。

 しかし、今の彼は強力な攻撃スキル(アビリティ)を持つアタッカー。

 逃げが許されるような立場ではない。

 彼が戦わなければ、強力な階層ボスと戦う手段はない。


 ――そのはずであった。




「うわああああああああっ!」


 漆川は叫んでいた。

 人前でこんなに大声を出したのはいつ以来だろうか?

 彼は叫びながら、階段でのたうつ恐ろしい高レベルモンスターに向かって――階層ボスに向かって走り出した。


「漆川くん?!」


 特補生クラスの茂木帆之香の驚きの声が聞こえる。

 クラスメイトの中久保実はグッタリと倒れたまま動かない。

 ひょっとしたら死んでいるのかもしれない。

 もしそうなら自分のせいだ。

 中久保が死んだのも、特補生クラスの五条昴留(すばる)が死んだのも、全てはさっき怯えて動けなかった自分のせいだ。


 事前の作戦では前衛の中久保が階層ボスの攻撃を引き受け、隙を突いて自分が攻撃スキル(アビリティ)を当てる手はずとなっていた。

 中久保は新たに覚えたばかりのスキルを使い、どうにか階層ボスと互角に攻防を繰り広げた。

 そして最後はやられたフリまでして、攻撃の隙を作り出した。

 彼は完全に自分の役目を果たしてみせたのである。


 役目を果たせなかったのは漆川の方だった。

 中久保が作った値千金の隙。その貴重な時間を彼はみすみす無駄にしてしまった。

 目の前で繰り広げられた激しい戦いに怯え、体がすくんで動けなかったのである。

 いくらレベルを得てプレイヤーになったとはいえ――チート的な能力を得たとはいえ――本人の中身が変わった訳ではない。

 漆川貴紀はプレイヤーになろうが漆川貴紀だった。

 一般人(モブ)は力を得ても無能(モブ)のままだったのである。


 あの時。体がすくんで動けなかった漆川を見て、五条昴留(すばる)は瞬時に覚悟を決めた。

 彼は自分では到底敵わない事を承知の上で階層ボスに挑みかかった。

 目的は時間稼ぎ。漆川が攻撃に転じる時間、あるいは中久保が体勢を立て直す時間。

 その僅か数秒を稼ぐために、彼は無謀な行為に身を投じたのだ。

 五条は階層ボスに瞬殺された。しかし、彼が身を挺して作り出した時間は決して無駄ではなかった。

 この瞬間こそが真の貴重な時間(ゴールデンタイム)

 中久保は階層ボスの弱点を見抜き、的確にその一点を攻撃したのである。


 力。スキル。知恵。そして幸運。

 中久保の持つ全てを極限までつぎ込んだその一撃は、階層ボスの体の奥に隠された神経を断ち切り、その半身から力を奪い取った。

 正に大番狂わせ(ジャイアントキリング)

 だが、望外な戦果に対して払った代償もまた大きかった。

 階層ボスは残った半身を使って中久保を攻撃。

 彼は大きく跳ね飛ばされ、グッタリと倒れて動かなくなった。


「うわああああああああっ!」


 漆川は叫んだ。

 恐怖で目からは涙が、鼻から鼻水が垂れた。

 この時、動かなかったはずの体が何故か動いた。

 彼はナイフを振り上げながら走った。


 あるいはこの瞬間、彼はなりたかった自分に変わろうとしていたのかもしれない。

 彼が本当に望んでいたのは、レベルではなく変化。なりたかったのはプレイヤーではなく、今までとは違う自分。

 本当に欲しかったのは、イヤな事から逃げずに立ち向かう心。恐怖から目を反らすのではなく、正面から向き合う勇気。


 運動神経の鈍い漆川の動きは、お世辞にも素早いとは言えなかった。

 しかし、階層ボスの殺意は完全に自分の敵に――倒れている中久保に向けられていた。

 階段の下で震えているだけのモブ(ザコ)が、自分に立ち向かって来るとは思ってもいなかったのである。

 階層ボスは完全に不意を突かれていた。


「これでも食らえ!」


 漆川のへっぴり腰のナイフは、階層ボスの円筒状の頭に――強固な殻に包まれた胴体の表面に、浅く突き立った。

 しかし、それでいい。それこそがマリシャスである漆川の真骨頂。攻撃スキル(アビリティ)の発動の条件は今、満たされた。


「サンダー・カスケード!」


 漆川の覚えている中でも最大の攻撃スキル(アビリティ)。雷属性のスキルが叩き込まれた。

 階層ボスの体内に電気が流れ、無事だった左半分の六本の腕がビクリと跳ね上がった。


「死ね! 死ね! 死ね!」


 漆川は口の端から泡立ったよだれを垂れ流しながら、階層ボスの殻にナイフを押し当て続けている。

 カスケードは連続攻撃系の攻撃スキル(アビリティ)である。

 こうしている今も、階層ボスの体内には絶え間なく電流が流し込まれている。

 この電気の攻撃は、漆川が攻撃スキル(アビリティ)を止めるか、相手との接触が無くなるまで続く。

 階層ボスは人間であれば電撃死間違いなしの攻撃に晒されていた。


 この時、今まで倒れていた中久保が動いた。

 漆川は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で仲間に振り返った。


「な、中久保! み、見ろ! 俺はやったぞ! はははっ! とうとうやったんだ! 俺達の勝ちだ!」

「離れろ、漆川! 後ろだ!」


 その瞬間、漆川の胸を重い衝撃が貫いた。

 階層ボスの足。長く伸びた触手が彼の胸を背後から刺し貫いたのである。

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