その13 擬態
「精神集中! 蓮飛!」
スキルを発動した瞬間、俺はスローモーションの世界に突入した。
感覚が鋭敏になり、空気の流れすらも手に取るように感じられるようになる。
蓮飛は、ほんの数秒間だけ、俺の知覚を極限まで高めるというスキルである。
だが、本来であれば蓮飛は回避に使用するアクティブ・スキルだ。
攻撃には攻撃スキルを使う方が、体に負担もかけずに有効だ。
しかし、一連の攻撃を自動で行う攻撃スキルは、逆に言えば使用者の意志で細かなコントロールが出来ない。
つまりは、狙った場所を正確に狙うのは苦手とするのである。
俺の狙いはただ一点。
俺は予備のナイフを引き抜くと、階層ボスに突き出した。
激しい動きに脇腹の傷の痛みが脳天を貫く。しかし、俺はあらん限りの意志の力で激痛を無理やりねじ伏せた。
プレイヤーはレベルを解放している時には痛みに対して強くなる。
もし、普通の状態だったら、到底耐えられずに悶絶していただろう。
階層ボスの腕が俺の攻撃から身を守ろうと動き出す。
ダメか?
いや、絶対に通す!
五条が――仲間が命を懸けて作ってくれたこのチャンス。無駄にしてたまるものか。
「五条オオオオオオッ!」
ナイフは腕と腕の僅かな隙間をすり抜けた。
蓮飛で感覚が強化されていなければ不可能だった。
会心の一撃。
正に針の穴を通すような攻撃だった。
ズクン
ナイフの先端が階層ボスの胴体――首の付け根に突き立った。
ギロリ。首の付け根にある二対の黒い玉が俺を睨み付けた。
俺の予想通り。やはりこの二つの玉は階層ボスの目玉だったのだ。
そう。俺が攻撃したのはコイツの胴体――ではない。
全てはコイツの擬態。
体に巻き付けたボロボロのマントも、獲物の顔の皮を張り付けた頭部も。ぎこちないこれ見よがしな二足歩行も。
全部コイツが獲物を――俺達人間を欺くための擬態だったのだ。
自然界の生き物の中には、別の姿に成りすます生物がいる。
例えばある虫は、自分は毒を持っていないのに、毒を持つ昆虫の姿を真似る。また、別の虫は、ありふれた自然物――葉っぱや木の枝の形にそっくり成りすます。
そして擬態を行うのは何も昆虫だけに限らない
ミミックオクトパスというタコを知っているだろうか?
インドネシア周辺に生息するこのタコは、ミミック――まねをする――の名の通り、他の生き物に擬態する事で知られているのである。
ミミックオクトパスは、体の色や模様を変え、足の動きを巧みに使い分ける事で、ミノカサゴやウミヘビ、カレイ等、複数の生き物の擬態を行い、獲物を捕食したり、敵から身を守ったりしているそうだ。
今回、俺達は階層ボスの見た目にまんまと騙された。
大きな円筒状の頭と二本の足。体にはボロボロのマント。
全体の印象で人型の(※腕は六本だが)モンスターだと思い込んでしまったのだ。
「ギギギギギギギッ!」
階層ボスの六本腕の中心。人間で言えば胸の中央に当たる部分の黒い塊が、異音を立てながら震えた。
そう。俺がコイツの正体を知るきっかけとなった箇所。
階層ボスの口だ。
あの時、階層ボスは稲代の死体をパラバラに分解すると、頭ではなく胸元に――この口の中に運んでいたのだ。
胴体に口がある異形のモンスター?
いや、違う。
そう気付いた時、俺は体に電気が流れた気がした。
これは胴体じゃない。頭だ!
そうか・・・そういう事だったのか。コイツは人型のモンスターじゃない。
イカだ。
イカ型のモンスターが、まるで人型のモンスターであるかのように擬態していたのだ。
屋台のイカ焼き等で、イカが頭に鉢巻を巻いているイラストを見た事はないだろうか?
実はあれは間違いで、イカの上に伸びているのは胴体なのだ。
これはイカの先祖が巻貝だったためである。
巻貝は丈夫な殻で自分の体を守っている。
イカは進化の過程で、逆に巻貝の殻を体内に取り込んだのだ。
イカをさばいた時に出て来る軟甲――板状の薄い甲羅――は、退化した殻の名残なのである。
しかし、中には殻を残したままのものもいる(※トグロコウイカ。深海に住むイカで体内にアンモナイトのような殻を持つ)そうである。
階層ボスの大きな円筒状の頭部も、実はイカと同じく、中身は内臓が詰まった胴体なのだろう。
やけに硬かったのも、殻を残したまま進化した、と考えれば納得がいく。
二本の足は長く伸びた腕で、触手も精密作業用に進化した腕。そして攻撃に使う六本の腕と合わせて合計十本。イカの腕と同じ十本である。
これ見よがしの二足歩行と、頭部にしか見えない位置にある筒状の胴体に完全に騙されてしまった。
階層ボスが人間の顔の皮を剥いで、胴体に張り付けていたのも、殻を頭に見せるためのカモフラージュだったに違いない。
だとすれば――相手がイカのモンスターだとするならば――狙うのは頭部に見せかけられた固い殻に守られた胴体ではない。
胴体の下。
一見胴体に見えるその場所と本当の胴体のつなぎ目。
俺がナイフを突き立てた場所である。
スローモーションの世界の中、俺のナイフはズッシリと重い抵抗と共にゆっくりと沈み込んで行った。
まだ俺が小学生の頃。父さんに連れられてイカ釣りに行った事がある。
その時、父さんは釣れたイカにハサミを突き刺して、イカを締めていた。
いわゆる「神経締め」と言うヤツだ。
この位置にはイカの運動を司る神経が通っているため、その神経を切って鮮度を落とさないようにするんだそうだ。
場所はイカの目と目の間。その少し上。人間で言えば眉毛の間くらいの位置。
イカの種類によっては、触手側か胴体側に向かって、斜めに突き刺す必要があるらしい。
階層ボスの神経が上下どちらにあるのかは分からない。
たまたま今回はしゃがんだ状態から突き刺したため、斜め上に――胴体側に向かって突き刺した形になる。
斜め上と斜め下。確率は二分の一。
どうだ?
「やった――のか?!」
階層ボスの右の腕。
ナイフを防ごうと体の前に伸ばした腕からスッと色が消え、半透明の白色になった。
イカの色が変わる仕組みは、オモクロームと呼ばれる色素が入った弾性小嚢が、広がったり縮んだりすることで起こる。
筋繊維が収縮すると弾性小嚢は広がり、色素が見えるようになって色がつき、逆に筋繊維が弛緩すると、弾性小嚢は縮んで色素が見えなくなるので白くなる。
階層ボスの腕が白くなったという事は、筋繊維が緩んだ――つまりは運動を司る神経が切れたという事である。
白くなった腕は力無くダラリと垂れ下がり、足にしていた腕からも力が抜けたらしく、階層ボスはぐにゃりと大きく体を傾けた。
階層ボスの腕はもう動かない。
攻撃も出来なければ、俺達を追う事も出来ない。
俺の――俺達の勝利だ。
「――いや、違う!」
確かに階層ボスの腕は白くなっている。
ただし、それは右半分だけ。
左半分は今までのように赤黒い色のまま残っていた。
(ナイフを突き立てた時、階層ボスに邪魔された事で少しだけ位置がズレたんだ! そのせいで完全には断ち切る事が出来なかった!)
イカを締める時にも、突く角度や場所がズレると半分だけしか締まらない事がある。
そんな時にはキレイにイカの半分だけが白くなり、半分は元のままの色を保つのだ。
そう。丁度今の階層ボスのように。
俺は慌ててナイフを握った手に力を入れた。
半分とはいえ、神経を断ち切る事には成功したのだ。コイツの神経がこの場所に通っているのは間違いない。
ならばこのまま傷口を広げれば、残りの神経も切断する事が出来るはずである。
だが、ここでタイムアップ。
無情にもスキル【蓮飛】の効果時間が切れてしまった。
スローモーションの世界から一転。時間が元の速さで動き出した。
(まずい!)
そう思った次の瞬間。俺は右足に強い衝撃を受けていた。
足が千切れたのではないかと思う程の激しい衝撃。
俺はひとたまりもなく吹き飛ばされた。
一体何が起きたのか分からなかった。
階層ボスが無事な左腕で俺の体を弾き飛ばしたのだ。
階層ボスは右半身が締められ、動かない状態だった。それに体勢も大きく崩れていた。
そのため攻撃は下にズレて足に当たり、威力も不完全なものになってしまったようだ。
俺はギリギリの所で幸運だったのだ。
もし、コイツの体勢が万全で、攻撃が体にまともに当たっていれば、ひとたまりもなかったのは間違いない。
俺は階段に倒れたまま大きく喘いだ。
足は?! 俺の足はどうなっているんだ?!
焦りながら見下ろすと、右足は太ももの肉が大きくえぐり取られ、大量の出血をしている。
神経が切れているのか、痺れるような感覚があるだけで、痛みはほとんど感じない。
階層ボスは?!
階層ボスは横倒しになったままもがいている。
どうやら右半身の自由が効かない状況に戸惑っているようだ。
奇しくも俺とアイツ。互いに右半身の自由を失ってしまったらしい。
だが、アイツには三本の左腕と左足にしていた腕。そして左の触手が残っている。
対して俺は脇腹を右足を痛めたばかりか、武器も失っている。
そう。俺のナイフはヤツの体に刺さったままだったのだ。
二本のナイフを失い、俺にはもう手持ちの武器が無かった。




