表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

その12 二つの賭け

 階層ボスの腕が俺の脇腹に叩きつけられた。

 体の奥でパシッという乾いた音がした。俺の肋骨が折れる音だ。

 激しい痛みに息が詰まり、目の前に星が瞬いく。

 頭がフワリとしたと思った途端、足元から階段がせり上がって来たかと思えば、ガツン。頬に強い衝撃があった。

 勿論、階段が起き上がる訳はない。俺が階段から転がり落ちたのだ。


 鼻の奥でツンと金属臭い匂いがする。

 ヌルリとした液体が口に触れる。

 鼻血が口に入ったのだ。

 呼吸をするだけで脇腹に痛みが走る。

 かなりの深手だ。


「ぐっ、ゲホッ、ゲホッ!」


 転がっている間に唾液が気管に入ったらしい。俺は血の混じった唾液を吐き出した。

 俺達プレイヤーは、戦闘中は強制的に痛みに対して強くなる。だからと言って痛みの感覚自体が無くなるわけじゃない。


「中久保!」

「中久保くん!」


 五条達の声が聞こえる。

 どうやら階段の出口近くまで転がり落ちてしまったらしい。

 俺は痛みを堪えて階段を見上げた。

 階層ボスはゆっくり近付いて来る。

 勝利を確信した余裕なのか? いや違う。元々コイツはこの程度の速度でしか歩けないのだ。


(動・・・け)


 激痛の中、俺はどうにか体を起こそうとした。

 持っていたナイフはどこかに吹き飛ばされている。

 二階層まで――五条達の所まで後もう少し。

 前回の戦いの時も、ヤツは階段の外までは追って来なかった。

 あそこまで行けば、今回も逃げられるかもしれない。

 それだけが今の俺の唯一の希望だった。


(いや、違う)


 何を弱気になっているんだ俺は。

 俺はグッと奥歯を噛みしめた。


 このケガがどの程度のものかは分からない。だが、到底一日や二日で完治するとは思えない。

 そして俺達には悠長にケガが治るまで待っている余裕はない。

 今、戦わなければ――この場で踏ん張らなければ――俺達に未来はないのだ。

 

(・・・ここは一か八か。やるしかない)


 これは賭けだ。


 俺は目を閉じると体から力を抜いてグッタリと横たわった。

 負傷して瀕死の重体。もう虫の息。そんな姿に見えるように念じながらも、神経だけは張り詰め、階層ボスの接近に備えていた。


「中久保! どうした?! 立てないのか?!」

「中久保くん!」


 五条達の叫び声が聞こえる。そして背後から迫る禍々しい圧迫感。

 階層ボスだ。ヤツがすぐそこまで来ている。

 心臓は恐怖でドキドキとうるさい程脈打っている。

 どうした? やらないのか?


 ギチッ!


 来た!

 俺の手足にヤツの腕が巻き付いた。

 痛みに思わず声が漏れそうになる。

 体が強引に持ち上げられると、そのまま壁に押し付けられた。

 目を閉じているので見えないが、ヤツがすぐ目の前にいる。目と鼻の先にいるのが分かる。


「中久保くん! 目を覚まして!」


 茂木さんが悲鳴をあげた。




 俺は手足を拘束された状態で、ダンジョンの壁に押し付けられていた。

 ここまでは読み通り。俺は(・・)最初の賭けに(・・・・・・)勝った(・・・)


 コイツは稲代を殺した時。食うよりも先に、まず顔の皮を剥ぎにかかった。

 皮を傷付けないためなのか、それとも少しでも死体が新鮮なうちに作業を終えたかったのか、その理由は分からない。

 あの時、階層ボスは六本の腕で稲代の死体を壁に押し付けると、新たに細い二本の触手を伸ばしていた。

 おそらく、腕の方は戦闘用で、皮を剥ぐという繊細な作業には向いていないのだろう。

 だから次は――


 シュルリ


 目の前で何かが動く小さな音が聞こえた。


 今だ!


 俺は閉じていた目を見開いた。

 最初に視界に飛び込んで来たのは、ヤツの巨大な円筒状の頭部だった。

 無数の干からびた皮――人間の顔の皮膚――に混じって、まだ乾ききっていない新しい皮膚が張り付いていた。

 稲代の顔の皮だ。

 それに気づいた時――クラスメイトの女子の変わり果てた姿に気付いた時――俺は一瞬、怒りで体の痛みを忘れた。


精神集中コンセントレーション ! スキル【刃渡り】!)


 俺の手足は階層ボスの腕に拘束されていて、ピクリとも動かせない。

 だから何だ? スキルは手で使う物だという決まりはないはずだ。

 俺はこっそり口に咥えていた小さな棒――胸ポケットに差していたシャープペンシルを勢い良く左右に振った。


 パシン!


 乾いた音と共にシャーペンは粉々に吹き飛んだ。

 衝撃と痛みに、一瞬、顎が外れたんじゃないかと思った。


「ギエエエエエエエエエッ!」


 金属が軋むような甲高い悲鳴があがると、階層ボスは、まるで体に電流でも流れたようにビクリと硬直した。

 俺は手足の拘束が解け、階段の上に崩れ落ちた。


 やったぜ!


 そう。俺が狙ったのは、階層ボスの首の付け根から伸びた触手。

 コイツがいつも攻撃に使っている長い六本の腕ではなく、獲物の皮を剥ぐ時に使う、細くて華奢な触手だった。




 これは賭けだった。


 最初の賭けは、階層ボスが俺を死んだと見て、これ以上、死体を傷付けずに皮を剝ぎにかかってくれるかどうか。

 次は、コイツの触手が見た目通りに華奢でデリケートな作りをしているかどうか。


 そして俺は二つの賭けに両方共勝った。

 スキル【刃渡り】によるパリィは、階層ボスの繊細な触手を弾き、大きな衝撃を与えた。

 階層ボスの動きは完全に止まり、無防備な姿を晒している。

 遂に掴んだチャンスだ。


 俺は痛みを堪えて息を吸うと、階段の下に控えている仲間に叫んだ。


「漆川、今だ! やれ!」


 階層ボスはパリィの衝撃で動けない。

 今が攻撃のチャンスだ。

 マリシャスのクラスを持つ漆川。その強力な攻撃スキル(アビリティ)をコイツに叩き込む時が、ついに来たのだ。 


 ――だが。

 漆川は動かなかった。

 あいつは怯えた表情で立ち尽くすだけで――ガクガクと震えるだけで、一歩も前に出なかったのである。




 ウソ・・・だろう。


 俺は目の前で起こった事が信じられなかった。

 漆川は動かなかった。いや、動けなかった。

 もし、自分の攻撃スキル(アビリティ)が通じなかったら。

 そう思うと恐怖で足が前に出なかったのだろう。

 漆川は階層ボスのあまりの強さ、恐ろしさに、この土壇場で怖気づいてしまったのだ。


 この作戦は漆川の攻撃ありきで――マリシャスの攻撃スキル(アビリティ)の火力ありきで立てられた作戦だ。

 漆川が動かなれば俺達に勝ち目はない。


 漆川、お前・・・


 その時、階層ボスの体がブルリと震えた。

 硬直が解けたのだ。


 俺が命を懸けてギリギリで勝ち取った貴重な時間(ゴールデンタイム)は、あっさりと終わりを告げたのである。

 今の俺は負傷で立ち上がる事も出来ず、策も尽き果てていた。

 恐怖と絶望が俺の胸を締め付けた。


 こんな・・・バカな話があるかよ。


 まだ現実を受け入れられない俺に、階層ボスの攻撃が襲い掛かる。

 俺は自分の命を奪う攻撃を――避けようのない死を――どうする事も出来ず、ただボンヤリと眺めていた。


「中久保! 逃げろオオオオオオッ!」


 その時、叫び声と共に、階段を駆け上がって来る影があった。

 腰だめにナイフを抱えた男子生徒――五条だ。

 五条は一か八か、俺が逃げ出すための時間を稼ごうと、無謀を承知で階層ボスに挑みかかったのだ。

 だが、今の五条はプレイヤーの力を失っている。

 一般人(モブ)が、この恐ろしい高レベルモンスターに敵う訳はなかった。


 階層ボスは途中で攻撃の軌道を変えると、無造作に五条の体を薙ぎ払った。


 バシッ!


 肉を打つ大きな音と共に五条の体が吹っ飛んだ。

 階段の壁に打ち付けられた五条は、後頭部が割れて大きな血の花を咲かせた。


 五条は死んだ。

 そして目の前には五条を薙ぎ払った状態の階層ボス。

 階層ボスの左腕は広げられ、無防備な胴体をさらけ出している。

 いや、違う。胴体じゃない。

 これはコイツの擬態(・・)だ。


精神集中コンセントレーション ! 蓮飛(れんとび)!」


 蓮飛(れんとび)は数秒間、極限まで集中力を高め、敵の攻撃を回避するというアクティブ・スキルである。

 使い勝手の難しいスキルで、俺は今までこのスキルを攻撃に使った事はなかった。

 だが、五条が命を懸けて作ってくれた僅かな隙。このチャンスを生かすためには、無理を承知でやるしかない。


「五条オオオオオオッ!」


 俺は腰から予備のナイフを引き抜くと、階層ボスの首の付け根に突き刺した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 五条君よく立ち向かった。 力を持たない者が振り絞った勇気こそがもっとも気高い勇気なのだ。 君こそ勇者だ。
[一言] 五条君も駄目だったか、チート貰えたローグの主人公と違って主人公補正だけで必死に戦っている中久保君はここで階層ボスをどうにか出来ても失った物が多すぎるな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ