その11 スキル【刃渡り】
俺達は一階層に続く階段へと――階層ボスの元へと――戻って来た。
戦いを前に俺は五条と茂木さんに振り返った。
「もしも階層ボスが倒せそうにない場合。俺達は一か八か階段の突破を狙う。その時は二人も遅れずに付いて来て欲しい」
これがゲームなら、中ボスを倒さなければ先に進む事は出来ない。だが、現実にそんなルールはない。
階層ボスは稲代の仇だ。無念を晴らしてやりたい気持ちはあるが、俺達の目的はあくまでも一階層への到達であり、ダンジョンからの脱出である。
そのためには、必ずしも階層ボスを倒さなければならない訳ではないのだ。
五条と茂木さんは頷いた。
「その時は全員で出来るだけ固まって走ろう。そうすれば誰かは一階層に到達出来るはずだ」
なる程。
全員バラバラに走るには階段は狭すぎる。中途半端に散らばるくらいなら、いっそ固まって走った方が逆に生存率が上がるかもしれない。
「分かった。それで行こう」
俺はナイフを抜くと、予備のナイフをベルトに差した。
最初は十本以上あったナイフも、今ではまともに使える物は四本だけ。
そのうちの二本は俺が、残りの二本は漆川と五条がそれぞれ持っている。
俺は階段に一歩足を踏み入れた。
その瞬間、階段の奥で禍々しい気配がゾワリと蠢く。
階層ボスだ。
誰かの喉が緊張にゴクリと鳴った。
「さあ。ボス戦の始まりだ」
階段の奥から異形のモンスターが――階層ボスが――姿を現した。
全高約三メートル。全体のシルエットはやや歪な人型をしている。
長く伸びた硬い円柱状の大きな頭部に、昆虫の足のように節くれだった六本の細い腕。
犠牲者からはぎ取ったらしき、ボロボロのマントを羽織っている。
「・・・覚悟を決めたつもりだったが、やっぱり怖いよな」
俺は腰を落とすと、慎重に階層ボスとの間合いを計った。
ジリジリと近付くが、ヤツは凍り付いたように微動だにしない。
――やはりそうか。
俺は確信した。
「俺の予想通り。お前は待ち伏せ専門のハンターだったんだな」
魚にしろ、昆虫にしろ、動物にしろ、肉食の生き物の中には、待ち伏せで狩りをするものも数多い。
彼らは物陰にジッと身をひそめ、獲物が接近するや否や素早い動きで襲い掛かり、一気に仕留めるのである。
前回の戦いで、俺は階層ボスの攻撃のあまりの速さに翻弄されてしまった。
しかし、良く考えれば素早いのは六本の腕による攻撃だけで、本体の動きはそれ程でもなかった気がする。
いや、むしろ遅かった記憶がある。
ヤツが二階層に逃げた俺を追って来なかったのは、広い場所では――足の速さでは――人間に敵わないと知っていたからじゃないだろうか?
そう。コイツの弱みは足の遅さ。
鈍重な動きが弱点なのだ。
とはいっても、コイツの長い腕と素早い攻撃、そして破壊力は桁外れだ。
言ってしまえば、コイツは腕での攻撃に能力値を全振りしているモンスターなのだ。
ダンジョンの階段は、コイツにとっては理想的な狩場に違いない。
相手が足を使って逃げ回れない狭さ。そして放っておいても勝手に獲物が向こうからやって来る立地の良さ。
自分の欠点を補い、相手の長所を潰せる。階層ボスがこの場所から動かないのも当然と言えるだろう。
ヒュン!
空気を切り裂く鋭い音。
その瞬間、俺はハッと我に返った。
何をしているんだ俺は! 敵の目の前で考えにふけるなんて!
まるで殺してくれと頭を差し出しているようなものじゃないか!
俺は咄嗟に上半身を反らしてスウェーバック。
目の前ギリギリを階層ボスの腕が通り過ぎる。
ドッと背筋に冷や汗が伝う。
コイツの速さはやっぱりヤバイ。出来ればしばらくは間合いを見極めたかったが、そんな悠長な事を言っていられない。
「最初から全力でいくしかない! スキル【刃渡り】!」
俺はナイフを体の前に構えると、スキルを始動。
ナイフはフラフラと小刻みに揺れ始めた。
そして、スッとナイフが横に動いた。その瞬間――
ギイン!
ナイフを持った手にズシリと重い衝撃が来た、と思った途端、まるで金属を打ち鳴らしたような甲高い音が響いた。
俺のナイフが階層ボスの攻撃をはじいたのだ――と、理解する間もなく、俺の手は忙しくナイフを振っていた。
キンキンキンキンキン!
立て続けに響く金属音。
まるで鞭のように振り回された敵の腕は、全て俺のナイフによってはじかれていた。
そう。これがスキル【刃渡り】の能力なのである。
アクションゲームを遊ぶ人間なら、『パリィ』という言葉を聞いた事があるだろう。
パリィとは敵の攻撃を武器や盾で受け流し、無効化するアクションの事を言う。
ゲームによって性能や効果の違いはあるものの、大抵の場合はパリィが成功すると敵の体勢は崩れ、プレイヤーが一方的に攻撃する事が可能となる
刃渡りは、このパリィを自動で行うスキルなのだ。
その原理上、刃渡りは武器や盾が無い状態――つまり素手では行えない。
そしてゲームのパリィとは違い、攻撃をはじいたからといって、必ずしも相手の体勢が崩れてくれるとは限らない。
更にゲームと違う点としては、こちらも完全な無傷とはいかない。
攻撃の受け方にもよるが、ナイフだったら刃が欠ける事だってあるし、ナイフを握る手にも衝撃が残る。
便利だからと安易に多用していると、いざ攻撃、と思った時には、武器はボロボロに、手は痺れてナイフも握れない、なんて事も起こり得るのだ。
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!
後、キンキン、キンキンうるさくて耳が痛い。
鼓膜にダメージが残りそうだ。
まあ、こればかりはどうしようもないのだが。
階層ボスは腕を鞭のように振ったり、逆に槍のように真っ直ぐ突き出したりと、様々な攻撃で俺に攻め込んだ。
しかし、刃渡りのスキルはその全てを見切り、自動的に受け流した。
というか、まさかここまで効果のあるスキルだったとは。
俺は刃渡りの想像以上の力にドン引きしてしまった。
最悪、階層ボスの攻撃力が刃渡りの能力を上回っていて一発も受けきれなかった、なんていう可能性だって覚悟していたのだ。
これは予想外の大健闘と言ってもいいだろう。
とはいえ、今の状況はジリ貧だ。
さっきから攻撃に転じたいとは思っているだが、どうにも隙が見つからない。
六本の腕の一本や二本をはじいた所で、敵の体勢を崩す事は出来ないようだ。
それに、いかにコストの軽いスキルとはいえ、長時間の使用は俺の神経と体に負担をかける。
次第に手が痺れ、感覚が無くなっていくのが分かる。
このままどこまで刃渡りを維持できるだろうか・・・。
(くそっ! いい加減にしろよこの野郎! 好き放題、いつまでも攻撃を続けやがって!)
俺は心の中で毒づいた。
なぜ心の中なのか。
息が上がって声が出せなくなっていたからだ。
(ここは一旦後ろに下がって仕切り直すか? いやダメだ。今耐えられないなら、次はもっと耐えられない。俺の手がもたない。だが、そろそろスキルも限界だ。どうする?)
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!
階層ボスの攻撃はまるで止まる気配がない。
流石は高レベルモンスター。無限に攻撃出来るのではないかと疑う程のスタミナだ。
逆に俺の方はダメージの蓄積だけでボロボロだ。
スキルが切れた瞬間、ヤツの攻撃は瞬時に俺の命を奪うだろう。
それが分かっていてもどうしようも出来ない。手の打ちようがない。
(漆川が攻撃を入れるための隙を作るどころか、こうやって耐えているだけで精いっぱいだ。くそっ! まさかこれほどの化け物だったなんて)
敵の攻撃が肩をかすめた。刃渡りは反応していたが、手が痺れているために、動き出しがほんの一瞬遅れてしまったのだ。
肉を抉られた痛みが走る。
ヤバイ。本格的にヤバイ。
(どうにか反撃して隙を作らなくては!)
攻撃を。何としてでも攻撃をしなくては。
追い詰められた俺は相当に焦っていたのだろう。
そして焦りというのは往々にしてミスを招く。
更にはミスに不運が重なった。
「なっ?!」
階層ボスは六本の腕で攻撃をしている。
ヤツは自分の攻撃の軌道が重ならないように――そして俺に反撃のチャンスを与えないように――少しずつタイミングをずらして腕を振り回していた。
その時、俺がいなした敵の腕が、たまたま別の腕の軌道上に重なった。
バチィン!
鞭を打ったような音が響くと共に腕同士が接触した。
はじかれた腕は至近距離から――そして予想外の角度から――俺に襲い掛かった。
(しまった!)
捌くのも避けるのも不可能な角度、そしてタイミングだった。
腕同士の接触で、階層ボスの腕にもダメージは入っただろう。だが、俺が受けた被害の方が大きかった。
ヤツの腕は俺の脇腹に叩きつけられていた。
激しい痛みに息が詰まり、目の前に星が瞬いた。