その8 生きたがり
◇◇◇◇◇◇◇◇
中久保実がレベル上げのためにダンジョンの奥に去った後、五条達は階段の近くにある広場まで移動していた。
面積は教室の半分程。ダンジョンの中では比較的小さめの部類に入る広場だ。
現在、ここにいるのは、特補生クラスの茂木帆之香と金本の二人。
クラス委員の五条は、階段まで階層ボスの偵察に。そして一般クラスのプレイヤー、漆川は、広場周辺のモンスターの討伐に出かけていた。
金本はバックパックを枕に、地面に横になっていた。
疲労は十分に溜まっているはずだが、神経が高ぶっているのか、それとも空腹のせいなのか、なかなか眠気がやって来なかった。
(くそっ! 本当だったら、今頃ダンジョンから脱出出来ていたはずだったのによ! 中久保のヤツめ、ちょっと強いモンスターが出たからって、ビビってんじゃねえよ! あいつマジで使えねえ!)
ビビって動けなかったのは、もう一人のプレイヤー、漆川の方である。
中久保は返り討ちに遭いかけたものの、単身、階層ボスに挑んでいる。
そういう意味では、本来、彼が憤るべき相手は中久保ではなく、漆川の方である。
しかし、ここが金本という人間の理解し難い所だが、彼にとって自分が頼っている相手の力は、自分の力と同じ意味を持つのである。
子供にとって、親の金で買ってもらった物は自分が手に入れた物と変わらない。
それと似たような理屈で、金本にとっては、学校の担任や仲の良い先輩、直属の自衛官の持つ力や権力は、”自分が苦労して手に入れた力”なのである。
苦労も何も、金本自身は、相手に取り入るだけで何の努力もしていないのだが、それを本人に言っても決して理解する事は出来ないだろう。
自己評価が極端に高い金本が、客観的に自身を振り返る事など不可能だからだ。
金本は寝苦しさに何度目かの寝返りを打った。
ふと目を開けると、広場の壁際にクラスメイトの茂木帆之香の姿があった。
彼女は体育座りでピクリとも動かずにふさぎ込んでいる。
金本はボンヤリと、茂木のズボンのすそからチラリと覗く細い足首を眺めていた。
薄暗いダンジョンの中、女子の白い肌は妙にまめかしく、怪しい光を放っているように感じられた。
金本はまるで明かりに誘われる虫のように、フラリと体を起こすと茂木に近付いて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
茂木帆之香は深い考えに沈んでいた。
目は閉じているが寝てはいない。
肉体的にも精神的にも疲れが溜まり、体は泥のように重かったが、それでも寝る気にはなれなかった。
目の前で元クラスメイトの女子が階層ボスに殺されたから?
もちろんそれもある。
だが、事故の最初から、クラスメイトは大勢死んでいる。
現在、生き残っているのはたったの五人だけ。その中でも女子は、もう彼女一人だけになっていた。
(なんで私が・・・どうして私なんかが生き残っちゃったんだろう)
何度も自分に問いかけた言葉である。
みんな死にたくなかったはずだ。もっと生きたかったに決まっている。
それでも命を失ってしまった。
そして最後に残ったのが、よりにもよって今回の事故の原因を作った自分だけ。
この世に神がいるのなら、それは余程ひねくれた性格の悪い神に違いなかった。
(本当なら私が一番に死ぬべきだった。それがなんで最後まで生き残っちゃったんだろう)
稲代康江が階層ボスに殺された時。彼女は「とうとうこの時が来てしまった」と思った。
断罪者が現れた。自分の犯した罪を清算する時が来てしまった。やはり自分は助かってはいけない人間だったのだ。と。
茂木は諦めた。いや、諦めようとした。
しかし、いざその時が来てしまうと、やはり怖かった。
死を前にして、「死にたくない」と、強く思ってしまった。
彼女は自分の事を”生きたがり”だと思った。
自分は死ぬべきだ。死んで楽になりたい。そう思っていても、それでも死ぬのが怖い生きたがりだと。
茂木はふと、この場にいない男子生徒の事を思い出した。
中久保実という男子は不思議な人間だった。
あまりクラスには馴染まず、どちらかと言えば一人でいる時の方が多かった。
茂木は小学生の頃から真面目でよくクラス委員長を任されていた関係もあって、男女を問わず中久保のような生徒を何人も見て来た。
得てして彼らはクラスに居場所が作れず、自分から心の壁を作っている者達だった。
しかし、中久保はそんな彼らとはどこかが違っていた。
そういった生徒に良くある、陰にこもった卑屈な感じがしなかった。
一人でいても、クラスメイトの誰かと話していても変わらない。
おどおどする事も無く、黙り込む事も無く、彼は一人でいても誰と何をしていても常に自然体だった。
やがて彼女は、彼は自分の居場所を作れなかったのではなく、「何とも思っていない」という事に気が付いた。
クラスなんて別にどうでもいい。友達がいようがいまいがどっちでもいい。
良く言えば孤高。悪く言えば周囲に――ひょっとして自分自身にすらも――関心が薄い。
中久保実という男子はそういう性格だったのだ。
幼い頃から常に優等生だった――悪く言えば大人や周囲の期待におもね、常に自分を取り繕って来た――茂木帆之香とは正反対。彼女は中久保のような人間がいるなど考えた事もなかった。
それは衝撃だった。
それからだった。
彼女は時々、中久保を目で追うようになっていた。
自分に無い価値観を持つ人間として興味が湧いたのである。
あくまでも彼の個性に関心があっただけで、そこには男女の感情は入ってない。
彼女の理想の男性は、いつも優しく包容力があり、自分を理解して受け入れてくれる。そんな人物である。
中久保の性格は全く彼女の好みから外れていた。
だからこれは恋愛感情ではない。
彼女はそう思っていた。
その時、彼女は何かの気配を感じて目を開いた。
彼女のすぐ目の前には、良く知っているクラスメイト――金本の顔があった。
金本の目は暗く、獣欲で濁っていた。
金本は力ずくで茂木を押し倒した。
ダンジョンの硬い床に後頭部を打ち付け、茂木の目に涙が浮かんだ。
「金本くん! 何をするの!」
「うるせえ! 黙ってろ!」
金本はクラスでも背が高く、体格が良い方である。
そんな男子が全力でのしかかって来たのだ。茂木のような少女の力ではどうしようもなかった。
男子の手が乱暴に胸をまさぐり、無遠慮に細い腰を撫でる。
少女はおぞましさと後頭部の痛さ、そして恐ろしさで悲鳴をあげた。
「くそっ! 暴れるんじゃねえよ!」
金本は利き手で暴れる少女を押さえ付けながら、逆の手で少女の服をはぎ取ろうとしているが、どうにも上手くいかないようだ。
だからと言って服を引き裂こうにも、彼らの着ている自衛隊の迷彩服5型は、力任せに破れるようなヤワな作りはしていない。
金本は息を荒げながら、大きな舌打ちをした。
「ちっ! こうなりゃ・・・。コッチに来い!」
「きゃああああっ!」
金本は片手で少女の髪を掴むと、乱暴に引っ張った。
そうして自分のバックパックの場所まで連れて行くと、荷物の中から大型ナイフを取り出した。
「いいか! 暴れるとケガするぞ! ジッとしてれば痛い思いをする事はないんだ!」
目の前に大型ナイフの刃を突きつけられ、少女は青ざめ、恐怖に目を見開いた。
金本は、ガクガクと震える少女を床に組み敷くと、ナイフを彼女の襟元に突っ込んだ。
冷たい刃物が白い首元に触れた瞬間、少女はビクリと体をこわばらせた。
恐怖に怯える少女の姿は金本の被虐心を刺激した。
(・・・俺は今、茂木を犯そうとしている)
背徳感が金本の背筋を駆け抜け、腰に熱い刺激を与えた。
しかも相手はただの女子ではない。すこぶるつきの美少女、茂木帆之香だ。
彼女と同じ特補生クラスになって半年余り。幾度教室で、彼女の胸元や、スカートから伸びた足に目が釘付けになっただろうか。
ネットで彼女に似たAV女優の写真や動画を見つけては、よくダウンロードしておかずにしたものである。
少女は覚悟を決めたのだろうか。白い顔からは表情が抜け落ち、体から力が抜けていた。
「そ、そうだ。そうやって大人しくしてれば、俺だって乱暴にしないんだよ」
金本はホッとすると、服を切り裂こうとナイフに力を入れた。
その時、茂木の手がナイフの刃に伸びた。
「お、おい、止めろ、ケガするって」
金本は彼女が手でナイフの刃を掴もうとしているのかと思い、慌てた。
しかし、彼女の手はナイフを避け、上着の内側に入ると脇の辺りをまさぐり始めた。
「ん? 何だ?」
金本は一瞬、それが何なのか分からなかった。
茂木が懐から取り出した角ばった黒い鉄の塊。それには小さく桜にアルファベットのWが彫刻されていた。
桜は陸上自衛隊のマーク。そしてWはウエポンの頭文字。
それは陸上自衛隊の正式採用銃SFP9だった。
銃口は真っ直ぐ金本の顔に突き付けられていた。
カチリ。
茂木は親指で銃の撃鉄を起こした。
これで後は引き金を引くだけで弾丸が発射される事になる。
自衛隊のSFP9は手動安全装置が付いていない。携帯する際にはデコッキングレバーでハンマーを降ろすのだ。
「よ、よせ!」
パン!
乾いた破裂音がダンジョンの広場に響いた。
茂木帆之香は拳銃を手にボンヤリと立ち尽くしていた。
銃口からはまだ火薬の匂いが漂っている。
そして彼女の足元には、クラスメイトの金本が、物言わぬ死体となって転がっていた。
金本は突然自分を襲おうとした。
ただひたすらに恐ろしかった。
これもきっと、みんなを巻き込んでしまった自分に与えられた罰に違いない。そう思った。
「・・・ゴメン金本くん。私・・・怖くて、つい」
恐怖がピークに達した時。彼女は無意識に銃を抜いていた。
ダンジョン間の転移で命を失った自衛官。佐竹陸士長が持っていた銃である。
彼女は佐竹陸士長の死体を発見した際、彼の銃をコッソリ手に入れていたのである。
茂木は金本の死体を見下ろした。
銃弾は金本の眉間に命中。脳を破壊して後頭部から抜けていた。
即死である。
彼女は大きく天を仰いだ。
「本当は私なんかが生きてちゃダメだって分かってるのに。私って、やっぱり生きたがりなんだな」
茂木の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
次回「経験値稼ぎ」




