その1 生き残った者達
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今から七年前。俺達がまだ小学生だった頃にそれは起こった。
後に”ダンジョン大災害”と呼ばれる事になる謎の現象。
世界中の研究者が、未だに原因も原理も解き明かせていない人類規模の大災害。
世界各地の大都市に、突如、謎の地下洞窟――ダンジョンが発生したのである。
日本で発生したダンジョンは二箇所。
ここ東京・墨田区と札幌・西区。
ダンジョンは生まれると共に、敵性生物――ホスタルクリーチャーと呼ばれるモンスター達を吐き出した。
モンスターは人間に襲い掛かると、無慈悲な虐殺を繰り広げた。
当時の目撃者の話によると、まるで地獄のような光景だったという。
その被害は東京だけでも優に五千人を超えたそうである。
この大災害に、当然、日本国政府も何もしなかった訳ではない。
緊急閣議が招集され、後の新型都市地下洞対策特別措置法の原案が出されると同時に、自衛隊の出動を承認した。
ここに自衛隊の創設以来、初の実戦が行われる事となったのである。
しかし、モンスターは強かった。いや、ありえない程強すぎた。
ライフル等の小火器はまるで役に立たず、すぐに重機関銃や無反動砲等の重火器の使用が許可された。
そこまでしても自衛隊の――いや、人類の武器はモンスター相手には非常に効果が薄かった。
モンスターは弾丸を食らいながら、まるでゾンビのごとく自衛隊員達に襲い掛かった。
自衛隊は完全に劣勢に立たされてしまった。
しかし、そんな厳しい戦いの中で、一部の隊員達は不思議な体験をしていた。
それが後に、『レベルアップ』と呼ばれる経験だったのである。
プレイヤーの誕生であった。
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隊長の指示を受けて、特別候補生クラスの二人が動き出した。
男子の名は五条昴留。特補クラスのクラス委員長だ。
成績優秀。運動神経も良く、背も高くて顔もいいという、まるで漫画の中のキャラクターのような完璧人間である。
これで嫌味なヤツなら、さぞかし男達のひがみが集中したのだろうが、性格もいいらしい。
女子の名は茂木帆之香。彼女も五条と同じ特補クラスの生徒だ。
艶のある黒髪を襟元で切りそろえた美人で、一年生の時は俺のいたクラスの委員長だった。
レベルを得た事で、二年になってからは特補クラスに行ってしまい、残念ながら俺達一般クラスの無能者とは縁遠い存在になってしまった。
とはいえ、今でもたまに廊下で元のクラスの女子と話しているのを見る事もある。
大人しくて誰に対しても人当りのいい優等生である。
言ってみれば、この二人は、俺達の学年のアイドルのような存在である。
そんな二人がダンジョンでレベルを得たと聞いた時、俺を含めて多くの生徒が「やっぱりな」と納得したのも当然だろう。
茂木さんが周囲に声を掛けながら俺の方にやって来た。
「みんな大丈夫? 無事なら返事を――あっ!」
彼女が息を呑んだ声がした。
クラスメイトの死体を――下半身が潰れて内臓がこぼれ落ちた死体を――見付けたのだ。
俺は、茂木さんの辛そうな様子を見て、なぜか自分が彼女に酷い事をしてしまったような気になり、慌てて声をかけた。
「あ、お、俺は大丈夫だ。それと、あっちにいる二人はヤバい。頭が割れて中身が潰れている。死体だ」
「えっ?! そ、そう。――ええと、中久保君、よね。ケガが大丈夫ならあっちに集まって頂戴」
茂木さんは少し記憶を探るような顔をした後、俺の名前を呼んだ。
確かに俺と彼女は同じクラスだったけど、それは一年生の時の話。しかも、ほとんど会話すらした事がない俺の名前を、覚えてくれているとは思わなかった。
こんな状況でありながら、俺は少しだけ心が弾むのを感じていた。
「わ、分かった。なあ、俺も何か手伝おうか?」
「いいえ、こっちはいいわ。それよりもみんなの所に行って頂戴」
「そ、そうだよな。分かった」
俺はのぼせた気持ちに水を差された気がして、恥ずかしくなった。
彼女はレベル持ちの特補クラス。俺は無能者の一般クラス。
彼女にとって俺は保護対象でしかない。そんな俺が彼女に手を貸そうなんておこがましいにも程がある。
俺達は彼女達の邪魔をしないように大人しくしているのが一番だ。
俺はいそいそと立ち上がりながらも、それでも僅かな見栄で平気な顔をしながら、彼女の指差した方へと向かったのだった。
この場所はちょっとした体育館程の広さの空間のようだ。
ダンジョンの中にはこういった大小の広場が所々に点在している。
広場の周囲は全て岩に囲まれているが、この広さのせいか、さほど圧迫感は感じない。
ダンジョンの中は暑くもなければ寒くもない。多少空気が埃っぽい所を除けば――そして危険なモンスターさえいなければ――むしろ過ごしやすい環境と言えるかもしれなかった。
俺の姿を見て、地面に座っていた男子が顔を上げた。
「よお。中久保も無事だったのか」
「ナベ。お前の方は大丈夫なのか? 顔色が悪いぞ」
渡辺は俺の友達だ。と言っても、休み時間に良く話す程度の付き合いで、一緒にどこかに遊びに行ったりする程じゃない。
彼は右腕を押さえながら座り込み、痛みに顔を歪めていた。
「腕の骨をやったかもしれない。さっきからズキズキ痛くて力が入らない。これってヤバいのかな?」
「だったら自衛隊の人達に見て貰った方がいいんじゃないか? 痛み止めを持っているかもしれないぞ。注射のヤツ。モルヒネとか言うんだっけ?」
ナベは小さく笑うと、「ハリウッド映画で覚えたんだろ」と言った。
俺は知らなかったが、モルヒネとは強力な鎮痛作用のある麻薬の一種で、米軍では鎮痛効果のあるトローチと一緒に兵士に支給されているという。
しかし、麻薬である以上、昔から依存症が問題となっており、そのためか日本の自衛隊では携帯が許可されていないんだそうだ。
この頃になると、生き残っていたクラスメイト達が俺達の周りに集まり始めていた。
「十人ちょっとって所か。・・・半分くらいやられちまったんだな」
「・・・そうだな」
俺はさっきの死体を――血だらけの床に転がった死体を――思い出し、気持ちが沈んだ。
黙り込んでしまった俺達の耳に、隊長が茂木さんと話している声が届いた。
「そうか。佐竹はダメだったか。――緊急事態だ。予定とは異なるが、君達、特補生達にも前線で戦って貰う。岸岡、吉田。彼らをお前達の下に付ける。スキルを聞いてフォーメーションを組め」
「はい」
どうやら茂木さん達も、自衛官と一緒にモンスターと戦う事になったようである。
万能超人・五条はともかく、茂木さんはあまり運動が得意ではなかった気がする。
俺は不安になって、彼女の整った横顔をジッと見つめた。
・・・何を考えているんだ俺は。
彼女は俺達、モブとは違う。レベルを持った人間。モンスターと戦う事の出来る人間――プレイヤーなんだ。
いつの頃からかインターネット上では、茂木さん達レベルを持った人間の事を”プレイヤー”。俺達レベルを持たない無能者達の事を”モブ”と呼ぶようになっていた。
俺達の関係をゲームのキャラになぞらえた皮肉なんだが、最初にこの言葉を知った時には「上手い事を言うヤツがいたもんだ」と、苦笑したものである。
ゲームの中でプレイヤーは、凄い能力を使って襲い掛かって来るモンスターと戦い、戦う力を持たないモブは、悲鳴をあげながらみっともなく逃げ回る。
ゲームと現実の違いは、ゲームではモブを操作するのはコンピューターだが、現実ではモブも人間である点くらいだ。
茂木さん達はプレイヤーだ。
それに戦い慣れした自衛官達も付いている。
自衛隊が実戦を経験していないのは昔の話。今ではモンスターを相手に激しく戦っている。
噂では日本の自衛官はかなりレベルが高く、この墨田区ダンジョンは世界的に見ても攻略が進んでいる部類に入るという。
いわば彼らは上級プレイヤー。
特にあの隊長は、素人の俺の目から見ても、鍛え上げられた格闘家のような独特の凄みがあった。
――この時の俺は勘違いをしていた。
モンスターとの戦いはレベルが全て。体を鍛えているとか、格闘技の実力があるとかは、ほんの補助的な要素に過ぎないのである。
後々、俺は身をもってそれを思い知る事になるのだった。
ナベのようなケガ人を含め、無事だった生徒達は全員集まった。
俺達、一般クラスの生徒が十二人。
茂木さん達、特補クラスの生徒が五人。
それに自衛官が三人の、合計二十人である。
ダンジョンに入った時には四十人以上いたので、大体半数が犠牲になった事になる。
俺達に一体、何があったのだろうか?
五条が隊長に尋ねた。
「あれは地震だったんでしょうか? 随分と激しい揺れでしたが」
「いや。ダンジョンの内部に地震はない。外で揺れがあったとしても、ダンジョンの中は伝わらないんだ。これは俺自身が何度も経験しているから間違いない」
「だったらあれは――」
その時、通路の様子を見に行っていた自衛官が、こちらに振り返った。
「宇津木3曹(※宇津木は隊長の名前。3曹は3等陸曹の略称で自衛官の階級)! 広場の外に学生がもう一人倒れています! おい、君。大丈夫か?!」
「どうした?! 何があった!」
自衛官は男子生徒に肩を貸しながらこちらに戻って来た。
その男子生徒の顔を見た途端、俺の胸は不快感でざわついた。
ナベが周囲に聞こえない程度の小さな舌打ちを漏らした。
「――金本か。あいつも生きていたんだな」
一年生の時、茂木さんがクラス委員長としてクラスの中心だったように、あの男子生徒も――金本もクラスの中心にいた。
ただし、彼女とは真逆の”悪い意味で”だ。
金本はおしゃべりな男で、知ったかぶりが酷い上に虚言癖が強く、平気で嘘やデタラメを言う。
本人は気の利いた皮肉を言っているつもりなのか、あるいは斜に構えているつもりなのか、何に対してもやたらと文句をつける。
いつも自分が話題の中心にいなければ気が済まない身勝手な性格で、クラスでは金本一派と呼ばれる四~五人のグループを作って、周囲に対して威張り散らしていた。
別に不良という訳ではないが、それだけに逆に対応が面倒で、目を付けられると粘着されてロクな目に合わないので、俺達はなるべく無視して関わり合いにならないようにしていた。
一年の最後のダンジョン実習の際、レベルを得たために、二年からは特別候補生クラスに移っていた。
俺達が、一般クラスになって良かった、と思った、数少ない出来事であった。
自衛官は金本から名前と、特補クラスの生徒である事を聞くと、嬉しそうに彼の肩を叩いた。
「そうか。なら、君は俺の指揮下に入れ。俺は岸岡だ」
「分かりました。岸岡さん」
金本は殊勝な顔で頷いた。
コイツはこういうヤツだ。
先生や上の立場の人間には従順で素直な顔を見せ、自分が下と見た者には横柄に振る舞う。
そう言えば、金本一派の中でパシリだったヤツ――つまりは、イジメの被害に合っているヤツがいた。
彼は今年も俺達と同じクラスで、一緒にダンジョンの異変に巻き込まれたはずだが、無事だったんだろうか?
俺がそいつの姿を捜そうとしたその時、隊長がみんなに振り返った。
「一般クラスの諸君、聞いてくれ! 今から大事な話をする! 諸君らの命にもかかわる話だ! 良く聞いておくように!」
次回「襲撃」