その6 けじめ
今回のサブタイトルを変更しました。
稲代を襲った階層ボス。
それは俺達が今まで戦って来たモンスターとは一線を画する、正真正銘の化け物だった。
不気味な姿に圧倒的な力。
正直言って、こうして生きている事が信じられないくらいだ。
恐怖で未だに俺の心臓はバクバクと脈打っている。
俺は冷たいダンジョンの床に仰向けに倒れたまま、ハアハアと荒い息を吐いていた。
「中久保。大丈夫か? 話は出来るか?」
特補生クラスの男女――五条と茂木さんが俺の顔を覗き込んだ。
正直なところを言えば、しばらく放っておいて欲しかった。
今は何も喋りたくないし、何も考えたくない。
だが、茂木さんの青ざめた顔を見た途端、そんな気持ちは消えてなくなり、申し訳ない気持ちになっていた。
俺にもっと力があれば。
階層ボスと十分に戦える力さえあれば、彼女にこんな顔をさせなかったのに。
俺はそんな事を思っていた。
「・・・ああ。構わない」
「階層ボスだが、実際に戦ってみてどう感じた?」
どう感じたって? 見て分からなかったのか?
圧倒的な力の差。ただそれだけだ。
「正真正銘の化け物だ。勝てる気が全くしなかった」
「・・・そうか」
スピード型の俺に匹敵する攻撃速度。六本の腕という手数の多さ。硬い骨。高炭素鋼製のナイフをくの字に曲げる圧倒的なパワー。
全ての能力が俺達を上回っている。
俺は気になっていた事を聞いてみた。
「それより、稲代は? 稲代はどうなったんだ?」
さすがに助かったとは思っていない。胸を貫かれていたし、激しく出血もしていた。
だが、死体がどうなったのか。仲間の命を救えなかった人間として、彼女の遺体がどうなったのか知っておかなければならない。そんな気がしたのだ。
茂木さんは辛そうに顔を反らした。
「中久保くん。稲代さんは――」
「稲代さんの死体は、階層ボスが持って行ったよ。どうなったのかは、ここからじゃ分からない」
・・・そうか。やはりそうだったか。
俺は奥歯を噛みしめると、恐怖をグッと飲み込んだ。
「中久保。急に立ち上がってどうしたんだ?」
「――稲代の死体を確認しに行ってくる」
「なっ?!」
少し離れた場所で俺達の様子を見ていた、特補生クラスの金本が、血相を変えて俺に食って掛かった。
「バカ野郎! さっきは全然歯が立たなかったじゃねえか! お前じゃ階層ボスに勝てねえんだよ! そのくらい分かれよ、このバカが!」
そんな事、お前に言われなくても分かっているさ。
今も恐怖で指先が震えているくらいだ。
だが、これは俺の「けじめ」だ。
「さすがにヤツと戦うつもりはない。稲代がどうなったのか、それを見届けに行くだけだ。この中でそれが出来るのはジャグラーのクラスの俺だけだからな」
俺の言葉に金本は――そして茂木さん達も――絶句した。
誤解が無いように言わせてもらうが、俺は別に正義感が強い訳でも、仲間意識が強い訳でもない。
むしろ情は薄い方なんじゃないかと思う。
バトル漫画やその手のアニメでは、大抵主人公は仲間想いの熱血漢だが、俺は彼らに憧れや共感を抱くよりも、見ていてイライラしたりうんざりする場面の方が多かった。
自分でもイヤになるが、俺というヤツはそういう人間なのだ。
だから今回の件も、稲代の死に怒りや責任を感じている訳では無く、何となく内罰的な気分になっていただけなんだと思う。
あるいは空腹と疲労、そして完膚なきまでに打ちのめされた事で、自暴自棄になっていたのかもしれない。
金本は顔を真っ赤にしていきり立った。
「勝手な事を言ってんじゃねえよ! 稲代が死んじまった以上、もう俺達の中にはお前と漆川だけしかプレイヤーはいないんだ! お前が死んだら誰が漆川の前衛をするんだよ!」
俺は金本の背後を――顔を背けながらも、チラチラとこちらの様子を気にしている漆川を――見た。
さっきの戦いで、漆川は完全にビビってしまい、後ろに下がったまま戦闘に参加して来なかった。
仮に次の戦いで俺が前衛を果たしたとしても、それで漆川が戦ってくれるかどうかは怪しい所だ。
俺は金本に向き直った。
「俺が死んだらどうするって? その時はお前がやれよ。自分が死んだ後のことなんて知るわけないだろ」
「なっ?! 中久保! テメエ!」
金本は一歩前に踏み出した。
なんだ? やるのか? モブのお前が、プレイヤーの俺と。
いいぜ、別に。
前からお前の事は気に入らなかったんだ。
金本は俺が全く動じないのを見て、「しまった」という表情を浮かべた。
コイツが懐柔している漆川の力は――プレイヤーとしての立場は、五条達には通じても、同じプレイヤーの俺には通じない。
むしろ、稲代が死んだ今、前衛の出来る俺は替えの利かない貴重な戦力となっている。
前衛は後衛がいなくても戦えるが、後衛は前衛がいないとまともに戦えない。
元々は前衛職――ダメージディーラーだった金本がそれを知らない訳はなかった。
「よせ。二人共」
だが、ここで五条が俺達二人の間に割って入った。
金本は顔を背けながら露骨に舌打ちをした。
五条もバカな事を。俺はうんざりした。
金本は助けられて素直に恩を感じるようなヤツじゃない。むしろ助けた五条を逆恨みするような人間だというのに。
あるいは五条もそれが分かっていながら、それでも助けたのかもしれない。
分かっていても放っておけない。さすがは完璧人間。損な性分だ。
五条は俺に振り返った。
「中久保。見届けに行くと言うが・・・分かっているのか? 敵性生物は人間を――」
「知ってる。モンスターは人間を食う」
モンスターは人間を食う。モンスターは獰猛な肉食獣だ。生き物なのだから殺した獲物を食うのは当たり前だろう。
だが、人間はモンスターの肉を食えない。正確には食べる事は出来るが、消化吸収出来ずに腹を下してしまうのだ。
なら、モンスターはどうなのだろうか?
実はモンスターの場合も同じなのだ。
いくら人間を食っても、結局は消化出来ずに排泄してしまう。
つまり、いくら人間を襲っても意味がないのだが、それでもモンスターは人間を殺し、そして食う。
人間を襲うのが、ヤツらモンスターの本能なのだろう。
モンスターが敵性生物と呼ばれる所以である。
「それでも行くのか?」
「・・・・・・」
俺は黙って背を向けた。何かを口にすると決意が揺らいでしまいそうな気がしたからだ。
茂木さんが青白い顔でジッと俺を見ていた。
(俺の事をとがめているのだろうか? クラスメイトの死体が食べられる所を見に行くような残酷なヤツだと)
俺は憂鬱な気分になったが、さすがに今更足を止める事は出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
二階層と一階層を繋ぐ階段の奥。
血まみれの下着姿の少女の死体に、異形の怪物がのしかかっていた。
階層ボスと稲代康江の亡骸だ。
だが、仮にこの場に稲代の両親がいたとしても、この死体を彼女だと断定する事は難しいだろう。
なにせ死体の顔からは皮膚がゴッソリとはぎ取られ、無残な赤い肉がむき出しになっているからである。
バキッ。ゴキッ。
骨の折れる鈍い音と共に、稲代の腕が、足が、へし折られ、引きちぎられていく。
階層ボスが稲代の死体を――人間の死体を――食べやすいように分解しているのだ。
吐き気を催す根源的な恐怖。
しかし、俺は血も凍るようなおぞましい光景を黙って見つめていた。
俺の力ではこの怪物には手も足も出ない。
ならば俺が稲代にしてやれることは、せめて目を反らさず、最後まで見届けやる事ぐらいしかないだろう。
現在、俺は階段の入り口の壁際に隠れて、階層ボスの様子を窺っている。
ここまで近付いても気付かれていないのは、俺がレベル10で覚えたスキル【隠密】の効果によるものだ。
アクションゲームの中には、敵に見付からないように隠れて立ち回る事を要求してくる物もある。
いわゆるステルスゲームと呼ばれるジャンルだ。
そういったゲームでは、敵の視界や、敵がこちらに気付いているかどうかは、画面上の専用のアイコンで表示される。
スキル【隠密】は、ステルスゲーム上では視覚的に表示されるそれらの情報を、直感や感覚で理解出来るようになる能力である。
つまりは、相手が俺に気付いているかが――あるいは注目しているかどうかが――分かるのだ。
ただし、分かるだけで、俺の気配が消えたり、敵に見付からないように姿を隠す能力では無い。
そう聞くと一見、微妙なスキルのように感じるかもしれないが、能力がシンプルな分だけに体にも負担がかからないし、何よりも意外と汎用性が高い。
遊撃枠のジャグラーとしては地味に便利なスキルなのである。
階層ボスは六本の腕で血まみれの死体を引き裂くと、胸の辺りに運んだ。
どうやらヤツの口は頭にでは無く、腕の付け根にあるらしい。
パキパキと骨を噛み砕く音と、ぐちゃぐちゃと肉を咀嚼する音が階段に響いた。
おぞましい光景を前に、俺は呆然と立ち尽くしていた。
(そう、か。そういう事だったのか)
なぜ、階層ボスは二階層まで俺を追って来なかったのか。
なぜコイツは、ボロボロのマントを羽織り、人間の顔の皮を求めるのか。
そして階層ボスの異形の姿――大きな円柱状の頭部に、長く伸びた六本の細い腕。
俺にはその理由が分かった気がした。
(・・・俺達はすっかり見た目の印象に騙されていた)
そう。全てはコイツの擬態だったのだ。
次回「次のスキル」




