その1 一筋の希望
湧水のある広場で、俺は特補生クラスの茂木さんから傷口の治療を受けていた。
自衛官の持っていた救急キットには本当に助かっている。
とはいえ、所詮は応急処置用のキットなので、大きなケガには当然、対応できない。
もっとも、仮に本格的な医療器具があったとしても俺達高校生にとっては宝の持ち腐れ。使いこなせはしないんだが。
俺は広場の中を見回した。
水場のそばにいるのは俺と茂木さんの二人。
少し離れた場所に、さっきの戦いの文句を言い続けているクラスメイトの女子――稲代と、彼女の愚痴を聞いている特補生クラスの完璧超人・五条。
俺達四人からずっと離れた場所、通路の辺りで話し込んでいるのが金本と漆川の二人である。
俺達は、ダンジョン内を移動中やモンスターと戦う時はともかく、最近では大体こんな感じでバラバラに過ごすようになっていた。
理由は漆川と稲代の仲の悪さにある。
俺達のクラス内でのヒエラルキーは――いわゆるスクールカーストでは――稲代は一軍。俺はせいぜい二軍、漆川は三軍といった所だった。
それがレベルを得た事で、俺達の立場は完全に逆転してしまった。
漆川は俺達三人の中では一番攻撃力のあるマリシャスのクラスに。
俺のクラス、ジャグラーも悪くは無いが、やはり純アタッカー枠のダメージディーラーやマリシャスに比べれば、一歩見劣りしてしまう。
極めつけはバランス型の稲代。これは最底辺の能力しか持たない、クラスにもつけない最悪のハズレ枠であった。
ここに教室内でのヒエラルキーは逆転し、漆川にとってみれば胸のすくような痛快な状況となってしまった。
アタッカーとなった漆川はここぞとばかりにイキリ散らした。
稲代も放っておけばいいのに、本人の気の強さが災いしてか、いちいち漆川の言葉に食って掛かるものだから、急速に二人の仲は険悪になっていった。
ただし漆川が調子に乗っているのは、特補生クラスの金本にも原因がある。
あいつが漆川を煽り立てて調子づかせているのだ。
金本、五条、茂木さんの特補生クラスのメンバーは、失った(あるいは封印されている)レベルを再度得る事は出来なかった。
俺達が弱らせたモンスターを彼らに殺させたが、何の変化も起きなかったのである。
特に金本は、銃弾を全て使い切るまで何度もしつこく試したが、結局、レベルを取り戻す事は出来なかった。
それからである。金本は露骨に漆川に取り入るようになった。
なにせ今はこんな状況だ。やはり戦闘力のある者の発言力はバカに出来ない。
金本は漆川を抱き込む事で、俺達よりも優位に立とうとしたのである。
残念ながら、今のところ金本の試みは上手くいっている。
漆川も、一年生の時には自分をパシリにしていた金本からチヤホヤされる事で、すっかりその気になっている。
五条もこれは良くないと考えているようだが、金本も漆川が自分の生命線だと分かっているため、なりふり構わずとにかく全力で懐柔にかかっている。
それに五条は稲代のメンタルもケアしなければならない。
すっかり不貞腐れた稲代は、もう五条の言葉しか聞き入れなくなっていたからだ。
五条は稲代を放置しておくことは出来なかった。
お前は何もしなかったのかって? どうやら稲代的にはまともな能力を得ている俺の事も妬ましいらしい。
今では話しかけても文句しか言われなくなってしまった。
俺としても不愉快な思いをしてまで、そんな相手と話すのはゴメンだ。
そして漆川を説得しようにも、あいつの側には四六時中金本がベッタリ張り付いている。
さすがにモンスターとの戦いの時には離れているが、その時は俺も戦いに集中しなければならない。
本来の俺のクラスは遊撃枠。不向きな能力で前衛をこなさないといけないのだ。
この辺の階層のモンスターは、弱い部類の敵でも十分に手強い。戦いながら他の事を考えているような余裕は無かった。
こうして俺達一般クラスの三人は、互いを避けるようになってしまったのである。
(せめて空腹でなければ、少しは今の雰囲気も和らいだかもしれないが・・・)
モンスターの肉は食べられない。有名な話だ。
正確に言えば食べる事は出来るが、胃で消化出来ずに腹を下してしまうのである。
一説によれば、モンスターは俺達の住む世界とは別の世界の生き物だと言われている。
違う世界で生まれ、違う生物体系から進化した全く別の異生物だから、その肉を俺達の体では分解・吸収出来ないというのだ。
俺達の食糧は、ダンジョンに入る時に外から持ち込んだ携行食料だけ。
その携行食料も、元々、日帰りの予定だったため、一人二個、コンビニで売っているようなエネルギーゼリーを渡されただけだった。
俺達は死んだクラスメイト達の遺体から無事だったそれらを集め、少しずつ大事に食べていた。
しかし、それも既に尽きている。
幸い、ダンジョン内はあちこちにこの手の水場があるため、水だけは不自由しないが、このままでは待っているのは飢え死にする未来である。
俺達はそうなる前にダンジョンを踏破しなければならなかった。
現在、俺達が上って来た階層は五つ。
少ないようだが、迷路のようなダンジョンをマッピングしながら手探りで進んでいるのだ。その分、手間がかかるのも仕方がないだろう。
それにモンスターとの戦闘もある。
俺がレベル5で覚えたスキル【狩人の目】があるため、手強い敵は避ける事が出来ているが、もしもこのスキルを覚えていなかったら、俺達はとっくにモンスターにやられて全滅していただろう。
「中久保、いいかい?」
ふと気が付くと、俺の前に完璧超人・五条が立っていた。
稲代は不貞腐れた顔のまま離れた場所で座り込んでいる。俺達とは話をしたくないようだ。
最近だといつもの事なので俺は時に気にしなかった。
「さっきの漆川の件か? 俺が何か言っても無駄だと思うぞ」
稲代は能力が低い事もあって、一人だけレベルが遅れている。
五条からの指示で、次のモンスターとの戦いでは彼女に止めを刺させるという話だったが、漆川は無視。勝手に止めを刺してしまったのだ。
とはいえ、これも漆川の独断では無く、裏にはあいつをそそのかした相手――金本がいるようだが。
「そっちで金本のヤツを何とかしてくれないとムリだ。仮に漆川のヤツが俺の言う事を聞いても、すぐにアイツがダメにしちまう」
五条は小さくかぶりを振った。
「その話じゃない。ダンジョンの話だ」
五条は折りたたんだ紙を取り出した。
枚数は五枚。俺達が今まで踏破して来た道のりを記した、五条の手作りの地図である。
ちなみに、ここまでの過程で人間には一度も出会っていない。
それどころか、人がいた痕跡すら見付けられずにいた。
「ここを見てくれ。今、僕達がいる場所だ」
五条は地図の一点を指し示した。
そうしておいて今度は別の地図を取り出した。
こちらは五条が作った手書きの地図じゃない。印刷されたちゃんとした地図だ。
自衛官の持っていた墨田区ダンジョンの地図である。
五条は二つの地図を横に並べた。
「縮尺の違いで分かり辛いかもしれないが、これが同じ配置なのが分かるか?」
「――なっ! おい、五条! こ、これって?!」
俺は驚愕した。
墨田区ダンジョンの地図は十五階層のものだった。
五条が言うように、確かに通路と広場、水場の位置が、手書きの地図と完全に一致している。
という事は、まさか俺達がいる場所は――。
「――何が言いたいかは分かるが、違う。ここは僕達のいた墨田区ダンジョンではない」
「は? いや、だってお前が言ったんじゃないか! これが同じ場所だって!」
そう。地図は完全に一致している。
ならばここは墨田区ダンジョンの十五階層のはずだ。
茂木さんもこの話を聞かされたのは初めてだったのだろう。俺の横で目を丸くして驚いている。
「違うんだよ中久保。僕は自衛官の宇津木3曹から十五階層の自衛隊のキャンプ地の場所を聞いている。・・・今、僕達がいるこの水場だ」
「なっ・・・」
俺は思わず絶句した。
この広場が? この泉以外に何も無い、ダンジョン内の極ありふれた広場がそうなのか?
もしも今いる場所が墨田区ダンジョンの十五階層なら、ここには自衛隊のテントが並んでいなければならない。
仮に彼らが何らかの理由で移動した後だったとしても、必ず遺留物や何やらの生活の痕跡が残っているはずだ。
しかし、ガランとした広場には、人間の営みを感じさせる物は何一つ見あたらなかった。
俺はしばらくの間、呆けた顔で広場を眺めていた。
地形が同じなのはただの偶然の一致なのか? 自然の気まぐれが生み出した珍しい現象。それだけだったのか?
俺は希望が見えたと思った瞬間に、絶望に突き落とされたような気分だった。
「五条くん、どういう事? なぜ、最初にこの広場に来た時に何も言わなかったのに、今になってこの話をしたの? ひょっとして、地形が同じ理由が分かったから?」
茂木さんが震える声で五条に尋ねた。
そうだ! 五条がこれをただの偶然だと考えているなら、今になって俺達にこの話をする理由がない。
こいつは自分の発見をひけらかすようなヤツじゃないし、今はそんな発見を無邪気に喜べるような状況でもない。
俺はゴクリと喉を鳴らすと五条の言葉の続きを待った。
「君達二人には話した事があると思うけど、僕は今回、僕達西浜高の生徒が巻き込まれたこの事故は、ただのダンジョン内の転移とは考えていない。もっと大きな、それこそ違う世界への転移なんじゃないかと考えている」
確かに、その話は前にされた覚えがある。茂木さんにも話していたとは初耳だが。
茂木さんも俺と同じ事を思ったのだろう。少し驚いた顔でチラリとこちらを見た。
「僕の考えはこうだ。
異世界にも墨田区ダンジョンと全く同じ構造のダンジョンがあって、僕達はそのダンジョン間を転移したんじゃないだろうか。
そして今、僕達がいるのはその同じ形のダンジョンの十五階層なんじゃないかって」
五条の推測は、この数日あてもなくダンジョン内をさまよっていた俺達に差し込んだ、一筋の希望だった。
次回「錆びた剣」




