プロローグ ダンジョン
死体など、残酷描写があります。
あまり細かく描写するつもりはありませんが、そういった場面が苦手な方はご注意下さい。
俺は頭に鈍い痛みを感じて目を覚ました。
その途端、埃っぽい空気を吸い込んで、気分が悪くなって吐きそうになる。
周囲は薄暗い。そして硬く冷たい岩の感触。
俺はズキズキと痛む頭で考えた。
一体何が起きたんだ?
そうだ。今日は高校のダンジョン実習で、東京に来ていたんだ。そこで俺達は・・・
ダンジョン! ダンジョンが崩落したんだ!
思い出した瞬間、一瞬にして血の気が引いた。
地面の下で生き埋めになる恐怖。しかもここはただの地下じゃない。ダンジョンなのだ。
ダンジョン。
今から七年前。突然、世界各地の都市部に現れた謎の地下洞窟。
人間を襲う敵性生物――ホスタルクリーチャーと呼ばれるモンスター群が徘徊する、未だ人類の最深部への到達を拒み続ける未踏の地。
あの時。俺達は高校のダンジョン実習で、ダンジョン二階層の通路を歩いていた。
足元がグラリと来た。そう思った次の瞬間、通路全体が激しく揺れ始めた。
ただの地震ではない。
通路は上下左右、それこそデタラメに回転して、どちらが上でどちらが下かも分からなくなった。
俺は空中に放り出されたかと思うと、天井だか壁だかに勢い良くぶつかった。
激しい痛みに悲鳴をあげた――ような気がするが、よく覚えていない。
次の瞬間、今度は頭に強い衝撃を受けて、それっきり気を失ってしまったからだ。
最後に覚えているのは、頭が割れたんじゃないかと思う程の衝撃と、みんなの悲鳴。そして俺達学生を引率していた自衛官の叫び声だった。
俺は恐怖に駆られて跳ね起きた――いや。跳ね起きようとして、体の痛みにうずくまり、うめき声を上げた。
自衛官の持っていたハンディライトの明かりは消えている。
とはいえ、良く知られているように、ダンジョンの中というのは薄っすらと明るい。
周囲を見るのには困らなかった。
だから俺は見てしまった。
見たくもない光景が目に飛び込んでしまった。
これからしばらくの間、寝ようとして目を閉じる度に思い出す事になる、悪夢のような光景を。
俺のすぐそばには。
俺と同じ灰色の迷彩服を着た男子生徒が横たわっていた。
彼の手足はあちこちにねじ曲がり、後頭部は大きく陥没し、ポッカリと開いた眼窩からは眼球が失われていた。
「ひっ・・・」
一瞬、相手がクラスメイトだとは分からなかった。
それ程、彼の顔は生前とは変わっていた。
それは確認するまでもなく、死体だった。
俺の周りには他にも二つ。
下半身が潰れて、内臓がゴッソリこぼれ落ちた女子生徒の死体と、頭部がぐしゃぐしゃに潰れて性別も分からない生徒の死体。
そんな死体が、血で真っ赤に染まった地面に、まるで放り捨てられたゴミのように無造作に転がっていたのだった。
「はあっ、はあっ、はあっ・・・」
俺はブルブルと震える手で服の胸の辺りを鷲掴みにした。
心臓はバクバクと激しく脈打ち、今にも張り裂けそうになっている。
死んだ。
みんな死んだ。
生臭い血の匂い。こぼれ落ちた内臓。吐き気を催す糞尿の異臭。
死には男子も女子もなければ、キレイも汚いもない。
まるで現実とは思えない光景。
しかし、人間の死体は生々しく、圧倒的にリアルだった。
俺は死ぬのか? そこに転がっているクラスメイトのように。
このどことも分からない地面の下で。
いやだ。俺はまだ生きている。死にたくない。
体はあちこち痛むが、幸い、骨が折れたりはしていないようだ。
――今はアドレナリンが出ているのでそう感じるだけで、落ち着いたら痛みが襲って来るのかもしれないが。
俺は呼吸を整えながらゆっくりと顔を上げた。
どうやら俺の他にも無事な者達がいたようだ。
何人か、俺のように立ち上がろうとしている姿が見えた。
俺以外の全員が死んだ訳じゃない。
その事実に俺は一先ずホッとした。
「みんな無事か?」
聞き覚えのある声がした。
大人の低い声。俺達を引率していた自衛官。その隊長だ。
三十歳前後。日焼けしたガッチリ体型の、いかにも「体育会系」といった感じの人だった。
俺としては苦手なタイプだが、こんな状況で、しかも、頼りになる大人が近くにいてくれた幸運に、俺は涙が出そうになる程嬉しくなった。
隊長は続けて何人かの名前を呼んだ。
一人は返事がなかったが、残りの二人は返事を返した。
どうやら彼の部下の自衛官の名だったようだ。
返事が無かった人は、まだ気を失っているのか、あるいはこの近くにいないだけなのか、それとも俺の周囲に転がっているクラスメイトのように死体になっているのか。
隊長の前に部下が集まった。
次いで隊長は周囲を見回した。
「先ずはケガ人の確認が先決だ。――学生の特別候補生で無事な者は返事をしろ!」
隊長の声に、一組の男女が答えた。
「五条昴留。特に大きなケガはありません」
「茂木帆之香。私も大丈夫です」
五条と茂木さんか。
二人は特別候補生クラスの生徒だ。
どちらも委員長タイプの真面目な性格で、二人が無事だった事に俺はホッとした。
「五条特補と茂木特補だな。よし。二人が代表となって学生達を纏めるように。必ず俺達が全員無事に地上に戻してみせる。心配するな」
「「はい!」」
俺は「本当に大丈夫だろうか?」と、不安を感じたものの、それを口に出す事はしなかった。
つまらない事を言って、彼らの機嫌を損ねても何もいい事はないし、このダンジョンでは、俺のようなレベルを持たない無能者はただの足手まといでしかないからである。
そう。ここはダンジョン。
ここは彼らのようなレベルを持つ者達――プレイヤー達の世界。
人間を襲うモンスターが徘徊する人外魔境。
俺達、無能者は、彼らプレイヤーに守って貰わなければ生きられない、過酷な世界なのである。
次回「生き残った者達」