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プロローグ

 勇者は死んだ。


 手のひらから手首、腕へと滴り落ちる鮮血に、私は『ああ、魔族の血も温かいんだな』等と今更なことを考えていた。目の前の魔王は目を見開いて声も無くわななき、この状況が理解出来ずにいるようだった。


 考えもしなかっただろう。

「聖女」と呼ばれる「人間」が、魔王にとどめを刺すなんて。


 勇者は魔王の凶刃に倒れた。彼の装備していた伝説の剣も吹き飛ばされ、高い音を立ててふたつに折れた。

 導士も竜騎士も精霊使いも皆、死んだ。

 後に残るは武器も持たない小娘だけのはずだった。


 そう、私は武器を持っていない。

 聖職者として刃物の所持は禁じられており、使えるのはスタッフ戦棍メイスだけ。私は腕力がない為それらすら持たず、小さなワンドしか装備していなかった。


 ごぶり、とくぐもった音がして、魔王の口から泡立った血反吐が吹きこぼれる。私は刃を握りしめた手に力を込めて、尚も深く魔王の心臓を貫いた。


 この手にあるのは、伝説の剣。

 生前、勇者の愛刀だった。

 魔王の攻撃により真っ二つに折られた、その切っ先。


 勇者が倒れたその瞬間、私は反射的に駆け出した。

 勇者の命を救うより、この好機を逃したくなかった。

 今なら敵は完全に油断している。

 やれる。

 今なら。

 気付けば私は折れた刃を拾い上げ、我武者羅に魔王に向かっていた。


 刃を掴んだ手のひらからは、どくどくと血が流れている。痛いというよりただただ熱い。それでも私は折れた切っ先を握る力を緩めることなく、目の前で沈みゆく魔王を真っ直ぐにねめつけた。

 こいつさえ、こいつさえ倒してしまえば!


 なのに、ああ、どうしてだろう。


 私は勝った。勝ったのに。

 どうしてこんなにも虚しいんだろう。


 魔王は私を見つめ返すと、僅かにこちらへ手を伸ばしたものの、力なくその腕を下ろした。彼はもう、【最期】を受け止めるつもりなのだろう。怒りと驚きに満ちていたその瞳から、憎しみの色が失せていく。

 今は私を見ることもなく、その向こう、もっと遠くを見据えている。


「何を……何処を、見ているのですか?」


 ぽつり、魔王に尋ねると、彼は掠れた声を絞り出した。


「……何処……なのだろう……」


 彼の薄い唇の端から、鮮やかな赤が流れ落ちる。


「我々は、何処で……間違ったのだろう。一体、どこから……やり直せば、良かったのだろう……」


 知っている、分かっていた。

 彼の言う「我々」とは、魔族のことではない。

 魔族と、人間と、その全てのことだ。

 魔王自身と、ここにいる私のことだ。


 そんなの、私だって知りたい。

 多くの仲間を失って、沢山の命が奪われて、そしてまた私達も多くの魔族を屠ってきた。

 こんなのが正解だなんて思いたくない。

 だって、ほら。

 私の手のひらから流れ落ちる血が剣を伝って魔王に届き、彼の胸の上で彼の血と混ざろうとしている。一体、何の違いがあるというのだろう。どちらも真っ赤な命だったではないか。


 どこからやり直せば良かったのか。

 そんなの……。


「……私だって、やり直したい」


 目の前の魔王は、既にこと切れていたけれど。


「私だって知りたいよ、魔王。私達は殺し合わなくてはいけなかったの? 他に方法はなかったの? 本当に万策を尽くしたと言えるの? 貴方と分かり合うことは出来なかったの?」


 唇が震えて声が上手く出ない。それでも私は泣きじゃくりながら、尚も魔王の亡骸に詰問した。


「私、やり直したいよ。貴方を殺めなくて済む世界を、もう一度……もう一度やり直したい!」

「その気持ち、本当ですの?」


 突然広間に響いた声に、私は驚いてようやく刃から手を離した。崩れかけた魔王城を見回すと、倒れた柱の陰から、ほっそりとした人影が現れた。


「だ、誰!?」

「人に名を問うときはまず自分から……なんて、今はそんな状況じゃございませんわね。それに、わたくしは貴女の名など尋ねなくとも存じてますもの。勇者一行が一人、正教会に所属する聖女、ウサリコ・ベッケンバウアー。歳は確かまだ17……でしたわね?」


 高らかに響く凛と澄んだ声。

 私は何もできないまま、その場に立ち尽くしてただ瞳を震わせていた。


 コツリ、コツリ、靴音高くこちらへ近づいてくる一人の女性。

 踵の高い華奢な靴に、胸元の開いた漆黒のドレス。

 美しく巻かれた銀の髪は深夜に冴える月のよう。

 鮮血より紅い瞳はつんと吊り上がり、真っ白な肌に冷え冷えと映える。

 牡鹿のごとくに枝分かれした大きな角には銀の装飾具が下がり、シャラシャラと涼やかな音を立てながら煌めいていた。

 私のことを「まだ17」と小馬鹿にした口調で語っていたけど、彼女だってまだ22とか24歳くらいに見える。とは言え、魔族の年齢など本当は何百歳なのか、人間からは想像がつくものではないけれど……。


 身構える私に構うことなく、彼女は豪奢なドレスを翻し、ゆっくりこちらに向かって来ている。


 まだ、魔族の生き残りが居たなんて。

 もう私には、戦う力なんて残っていない。理力も体力も使い果たして、立っているのが奇跡のようなものなのに。


 私は身を固くすると、慌てて刃を――その先端が未だ魔王の亡骸を貫いたままの勇者の剣……だった刃先を、再び掴んだ。

 と、彼女の眼がふっと、哀し気に細められた。


「わたくしも、同じ気持ちですわ」

「え?」


 カツン、とヒールを高く鳴らして、彼女が急に立ち止まった。


「わたくしの気持ちも、貴女と同じ。やり直したい。魔族と人間が、憎しみ合う歴史が始まる前から」


 刃を握りしめた手のひらから、ぽたりと血が滴り落ちて、今は瓦礫と化した魔王城の床にぴちゃんと跳ねた。

 私は力を緩めると、緩慢な動きで、折れた切っ先から両の手を離した。


「聖女ウサリコ。貴女の力があれば、私達はやり直せる。そう、過去へと戻ることで」

「……過去へ……?」

「ええ。共に向かいましょう。全てを変えに、過去の魔界へ!」


 言うが早いか彼女は白い腕を高く掲げ、魔力を手のひらに集めだした。

 眩い光に目がくらみ、私は思わず両手を顔の前にかざし、固く強く瞼を閉じた。魔力の渦が嵐のように私を包む。激しい力の濁流に、成す術もなく飲み込まれる。


「……ウサリコ、お願い……魔王様を、どうか、救って」


 意識を失う直前に聞こえたのは、哀しくも優しい、彼女の消え入りそうな声だった。


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