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柊シュリ


     *


 驚いた。スルガさんのいったとおりだった。

 国道の北に、その家は建っていた。国道から脇道に入って、舗装されていない山道をのろのろと進んだ先に写真で見たままの玄関が現れた瞬間、わたしは思わず声にだして喜んでしまったほどだ。

「地図で見る限り、国道に面している家は少ないみたいだね。ほとんどの家が山林の中に建っているから、探しあてるのに手間取るかもな。覚悟しておいてくれよ」

 スルガさんはそういったけれども、最初に入った山道がまさかの正解で、目指す幽霊屋敷に続いていた。わたしたちは柿本さんたちとさほど変わらぬ移動時間で目的地に到着したのだ。

「間違いなく、写真の幽霊屋敷ですよ!」興奮した鈴鹿さんの声が車体のバウンドにあわせて上下する一方で、

「焦らずゆっくり行こう。この先は私有地で、ぼくらは不法侵入者なんだからね」前方とバックミラーを交互に見ながらアクセルを踏みこむスルガさんの声は落ち着いていた。

 バスケットコートほどの敷地の庭には乗り入れず、山道上で停車したのは、柿本さんたちが残しているかもしれないタイヤ痕を踏み消さないためだろう。

 エンジンがとめられ、キーが抜かれる。もしや近くに柿本さんたちの乗ってきた車がとまっているのではないか。とまっていれば、いなくなった三人が無事でいる可能性はゼロに等しく――と、少々怖い想像をしていたのだけれども、杞憂に終わった。ここには誰も残っていない。柿本さんも、東条さんも、雛岡さんも去ったあとのようだ。

 なにしろ車がないのだから。

「ふたりは少し距離をおいて、あとをついてきてくれるかな。あぁ、そうだ、鈴鹿さん、タブレットは柊に渡してください」

 なぜかわたしに手渡される。

「頼むよ、柊くん」

 幽霊屋敷に着いたのだからタブレットは必要ないと思うけれども、頼むよといわれたので左手でもって、後部座席の扉を開けた。地面に足をおろすなり、カサササと足元で音が鳴って、羽のある白い虫が逃げて行った。

 さて。目的の幽霊屋敷は見つかった。これからスルガさんは、どう行動するつもりだろう。

 所長は幽霊屋敷を見つけたら調査終了といっていたが、スルガさんの肩にかかった鞄がいびつな膨らみかたをしているので、きっと、おそらく――科学捜査に必要な器具を詰めてもってきているに違いない(スルガさんは仕事が早くて正確ながらも、整頓の面で難がある)。この読みがあたっていれば、スルガさんは早速遺留物の有無を調べはじめるのだろうけれども、遺留物が見つかったところで、いなくなった学生三人の行方を掴めるとは思えない。よほどの手がかりが残されていない限り、お手あげではないのか。それともなにか策があるのだろうか。こんなとき、スルガさんの陶酔しているイチイさんがいてくれたら、あっという間に三人の行方を探しあててくれるのかもしれないけど。

「雛岡さんの車がとまっていれば、ぼくらが取るべき行動は明白だったんだけどね」ぼそりと呟き、スルガさんは周囲を見回した。声は低く、真剣な面持ちだが、どこか楽しんでいるようにもうかがえる。

 わたしも周囲を見回してみた。うしろから吹く風で髪が乱れる。右手で髪を押さえつつ、山道から敷地の庭へ視線を移動した。雛岡さんが車をとめた場所は庭の中だと思うのだが……タイヤ痕が残っているだろうか。

 スルガさんに目を向ける。スルガさんは足早に歩きはじめた。わたしがあとに続くと、倣うようにして鈴鹿さんも歩を進めた。鈴鹿さんはキョロキョロと辺りを見回して、不安げな様子である。ここはわたしが優しく声をかけるべき、と思った瞬間に目があい、なぜか迷惑そうな顔で視線をそらされた。

「…………」

 なんだろう。なんだか嫌な感じだ。

 わたしも顔をそむけて、緑を背景にして建つ幽霊屋敷を見つめた。

 知らず尖らせてしまっていた唇を横方向に引っ張り、奥歯を噛みあわせる。

 いよいよ。

 いよいよなのだから、気持ちを切り替えよう。

 わたしにとって初の現場調査だ。

 所長は「幽霊屋敷を見つけたら終わり」といっていたけれども、ここまできてなにもせずに帰るなんてありえない。三人の行方を掴めるかどうかは別として、できる範囲内の現場調査をわたしは望んでいる。とはいえ、わたしは助手的スタンスなのだから、なにをどう調べるかはスルガさん次第だ。


 探し求めていた幽霊屋敷は木造の平屋建てで、エンブレムの記された玄関は建物の左に位置していた。正面にならぶ大きな窓は雨戸が閉められていて、所々蔦に這わすのを許容している。右端には小窓と換気口。建物周辺は木々の枝が伸び放題で、庭も半ば庭と呼べないような状況になりつつあるが、不思議と荒廃の程度に物足りなさを覚えた。人の出入りが途絶えてからどのくらい経っているのだろう。建物の背後に鎮座した鬱蒼とした山林によって不穏さと禍々しさと近寄りがたさがプラスされているものの、幽霊屋敷と呼ぶには時間の経過が不足しているように思えてならない。

「子供が住んでいたようだね」

 地面を押さえつけるような足取りで進みつつ、スルガさんがいった。視線を辿ると、生い茂った雑草に埋もれて子供用の自転車が横倒しになっていた。わたしはできるだけ草の生えていない固く平坦な土の上を小股で歩いて、スルガさんの背中を追う。

 足元に、ハンドルを切ったあとと思しきタイヤ痕。雛岡さんの車がつけたものだろうか。痕はひとつだけなので、最近敷地内に乗り入れた車は一台のみのようだ――と考えたところへ「踏まないようにね」と注意された。タイヤ痕を避けて、スルガさんに追いつくべく、歩調を早める。

 家が近づいてくる。玄関の扉が、もう、すぐそこに。

「直に見ると印象がまったく違うなあ。うん、たしかに兎足氏のエンブレムだ!」

 急なハイテンションに驚いたが、驚いたのはわたしだけではなく、鈴鹿さんも同じだったようだ。ザッと大きな音をたてて、背後から規則的に聞こえていた足音がやんだ。振り返って顔を確認せずとも、鈴鹿さんがどのような表情をしているのか想像がつく。驚きから警戒。もしくは呆れへ。

「状態がすごくいいし、これ、絶対喜ぶよ、イチイさん。いやぁ、いいね。すごくいい。素晴らしい!」

 イチイさんのこととなると感情が制御できなくなる悪癖っぷりは、これまで見てきた中で一番かもしれない。さっきまでは『意外と冷静だな』と感心していたけれども、完全に別人である。んふふ、んふふとおかしな声を発したと思いきや、スルガさんは携帯端末を扉へ向けて、カメラのシャッターをでたらめに切りはじめた。依頼人である鈴鹿さんの存在を失念してしまっているに違いなく、これはさすがにまずいだろうと思って慌てて近づき、話しかける。

「スルガさん、スルガさん? そのくらいでいいんじゃないですか」

「なにが」

「なにがじゃありませんよ。しまってください、スマートフォン」

「どうして。できるだけいろんな角度から撮っておいたほうがいいでしょ。イチイさんは心待ちにしているんだから、たくさん撮って、たくさん送ったほうが喜んでもらえるよ」

「それよりも依頼を――」さらに声を落として、顔を近づけて、「鈴鹿さんの依頼を受けて、わたしたちはここにきたんですよ。あ、ちょっと、ちょっと待ってください。どこに行くんですか。スルガさん? だ、駄目ですよ! 窓! 窓を開けちゃだめですって。まさか中に入るつもりじゃないですよね?」急いであとを追う。追いかける。さすがにこれはやりすぎだ。不本意ではあるけれども、「研究所にかかってきた電話で、所長からいわれたんです。今回の依頼、イチイさんが無料で引き受けたら、行うのは幽霊屋敷の場所を探しあてるまでって――」

「行方不明の三人の調査は別途請求になると伝えておくよう、いわれたんでしょ。わかってるよ。以前にも似たようなことがあったからさ」

「前にも?」

「そ。ところで、柊さんはどう思ってる? 三人が連絡も取れずに、いなくなっていることについて。廃屋の前で写真を撮ったあと、彼らはどんな行動をとったと思う?」

「どんなって。家の中を探索したんでしょうけど……」

「だったら探索の様子をツイートするのが自然だよね。ここまでの道のりを写真つきで実況していたくらいだからさ。しかし三人はツイートしていない。あぁあ、鈴鹿さん、すみませんね、申しわけありませんが、もう少し待ってください」

 スルガさんは右手をあげて、やや離れた場所に立っている鈴鹿さんへ声をかけた。

 顎を突きだして不思議そうな顔をみせたが、鈴鹿さんは頷いて返した。わたしは取り繕いの笑みを顔に貼りつける。だけどすぐに引っこめてスルガさんに向き直り、小声で問いかけた。

「いなくなった三人は幽霊屋敷に入っていないっていうんですか。ここまできたのに玄関先で写真を撮ってすぐに帰ったと?」

「誰かに見つかって追いだされたのなら、あり得る話じゃないかな。だけど、ここじゃあ……国道から少し距離があるし、視界もよくないからねえ。お隣さんとはどのくらい離れているのかな。追いだすような人物が現れる可能性はかなり低そうだけど」

「かなりどころか」ほぼゼロのように思える。周囲は木々でおおわれているし、隣家はその木の向こう側だ。

「ほかに考えられる可能性は、ここに辿り着くこと自体が目的だったので、中に入ろうという考えには至らなかった――とすれば写真だけ撮って引き返したもの納得いく。いや、どうだろう。引き返すかな。もしくは入るつもりだったのに、急に怖くなって逃げ帰ったとか。とすれば、その後の足取りをつかむ手がかりは皆無だから、お手あげだ。三人の行方は警察に頼んで探してもらうしかない。しかし、家の中に入ったのなら、ツイートする間もなく、彼らの身になにかが起こったんだろう。できれば外れていてほしい推測ではあるけど……」鈴鹿さんに背を向けて声のボリュームを若干落とす。「もしもこの家が、幽霊屋敷と呼ばれて然るべき〝いわくつき〟の建物であるなら、無断で侵入を試みる者を好ましく思わない人物がいてもおかしくはない――そう思わない?」

「好ましくって……土地の所有者とかがですか」

「所有者でも管理者でも構わないけど、注目すべき点は、どのような〝いわく〟がこの家にあるかだ。それはいつから噂されているのか。幽霊屋敷と呼ばれているからには誰かが死んでいるのだろうから、犯罪に関わる話であるとも考えられる。殺人事件とか、一家心中とか。検索でヒットしないことを考えると、事件として扱われずに風化した犯罪である可能性もあるね。今回の依頼内容のように、なんの前触れもなく人が蒸発したのかもしれない。真相は殺人事件であり、被害者の死体は建物の裏に埋められて――」

「ちょ、ちょっと、なにをいいだすんですか!」たまらずわたしは口を挟んだ。冗談じゃない。冗談でもいってほしくない。ここが、この家が、わたしの目の前にあるこの家で殺人事件があって、家の裏に死体が埋められているとか、「やめてくださいよ!」

「絶対にないとはいいきれないんじゃないかな。殺人を犯して敷地内のどこかに死体を隠した〝殺人者A〟が実在しているなら、そいつは無断侵入を試みる若者を黙って見過ごしたりはしないだろう。ま、三人を相手にするのは簡単ではないだろうけど、方法はいろいろとあるからね。問題は侵入者の存在をどうやって知り得るかだが、こともあろうに柿本さんはツイッターで実況していたじゃないか。〝殺人者A〟が、この家を示す特定ワードの自動抽出を行っていたとしたら――」

「 ?」

 その口調に冗談めいたものがみてとれたので、今度は話を遮ったりせずに聞き流す。本気でいっているのではないだろう。そうだ、そうに違いない。わたしを怖がらせようとしているだけだ。スルガさんは推理小説の類が大好きで、ひとたびスイッチが入ると推理小説の中で語られるような〝突拍子もない推理〟を延々論じ続けるということも思いだしたので、しばしちゃんと聞いていますよというアピールで相槌をうちつつ、庭にとどまっている鈴鹿さんの様子を横目で窺った。鈴鹿さんは背を向けて国道のほうを見ていたが、耳をそばだてて、わたしたちの話を聞いているように思えた。実際、聞いているというか、聞こえているだろう。時間の経過とともにスルガさんの声は大きくなっていて、気づけば身振り手振りを加えて話していたから。

「と……いけない。このあたりでやめておこうかな。所長の耳に入ったら、科捜研の調査員たるものが適当な想像でものを喋るなって怒られそうだし、柊さんにも悪い影響を与えてしまいそうだからね。だけど、ま、玄関前で写真を撮って以降、柿本さんたちは実況ツイートを続けられなくなったんだ。意図的にやめたのかもしれないが、今日までの三日間まったくツイートしていないことを考えると、やはりここで中断せざるを得ないなにかしらの問題が起こったんだろうよ」

 スルガさんの主張に対していいたいことが多々あるけれども、玄関前で撮影した写真のアップ以降、ぱったりとツイートが途絶えているのは事実だ。殺人や監禁などという突拍子もない発想はさておき、柿本さんたち三人の思考や行動を変化させる〝なにか〟は、たしかに存在したのであろう。

 それはいまでもこの場所に残っているのだろうか。

 かたちとして残っているようなものなのだろうか。

 スルガさんへ目を戻すと、玄関の扉の上方――左隅に貼られているステッカーらしきものを見つめていた。眉根を寄せ、唇を尖らせて、考えこむように顎に手を添えている。

「スルガさん?」

「これって、なんだと思う」

「なにって……十字架っぽいものが描かれていますし、厳かな感じがしますから、宗教の信仰を示す証かなにかのステッカーじゃありません?」

「宗教か。いわれてみればそうも見えるね」

 スルガさんは携帯端末をかざして、ステッカーを撮影した。

「ステッカーの写真もイチイさんに送信するんです?」

「いや。画像を検索する。ネット上にある類似画像を探してみるよ」

 そういって端末の画面操作に集中する。

 ほどなく検索結果がでたらしく、スルガさんは端末の画面をわたしのほうへ向けた。

「もうわかったんですか?」

「柊さんの推測したとおり、宗教団体が配布しているステッカーのようだね。善き羊飼いの信徒。聞いたことある?」

 わたしは首を横に振った。

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