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柊シュリ


     *


 自宅リビングのレコーダーにアカリのDVDをセットする。壁掛け時計に目を向けると、針は午後六時ちょうどを指していた。そろそろアカリが帰ってきそうな頃合いだが、帰宅するまでに〈フレグランス〉のライブを観終えておきたい。鑑賞するまでに長い時間をかけてしまったことの反省からか、気づくとソファの上で正座をしていた。足を崩して楽な姿勢で座り直す。さっきまで足元を歩き回っていたネコさんの姿が見えなくなっている。どこに行ったのだろう。立ちあがって「ネコさん」と呼びかけてみたが、応答はなかった。そもそもごはんが欲しいとき以外は滅多に鳴かない猫なので、呼んでも返事するはずはない。鞄の中からスマホを取りだしてテーブルの上に載せ、再びソファへ腰をおろす。

 今日一日、わたしは筒鳥署で聴取を受けていた。長い一日だったけれどもさほど疲れを覚えていないのは、まだまだわたしは混乱の中にあって、興奮が醒めていないからだろう。語りたいことがたくさんある。筒鳥署で散々喋ったのに喋り足りない。そして知りたいことも山のようにたくさん。

 なによりも知りたいのは、雛岡さんに関することだ。

 神から赦しを得たはずの雛岡さんは、当然ながら警察に逮捕されて、現在取り調べ中である。雛岡さんは柿本さんと東条さんの殺害を認め、深角町の治水ダムに車ごと遺棄したことも詳細にわたって供述したと聞いている。

 水中に沈められた車は雛岡さんのもので、数年前に他界した両親の遺産で購入したものらしい。両親もまた熱心な〈善き羊飼いの信徒〉の信者であったことはいわずもがな、生前は家族揃って毎週日曜日に教会へと足を運んでいたそうである。両親の死後、雛岡さんは祖父母宅へと引き取られた。それからしばらくの間、教会へ赴く機会は減っていたようだが、車を購入してから再び礼拝へと足繁くかよいはじめたらしく、かよっていた教会というのが雛岡さんの発見に至った深角教会であり、教会の神父は、鏑木コウアンという五十代の男性だった。

 思うに、この人が諸悪の根源だったのではないだろうか。雛岡さんの件にしても、一家心中した文倉家の件に関しても、鏑木神父が異なった働きかけをしていれば違った結果が得られたように思えてならない。雛岡さんの逮捕時に森村刑事も同じ考えを抱いたようで、騒ぎを聞きつけて教会からでてきた鏑木神父とは容赦なくやりあった。その様は傍目はために見て、ひいてしまうくらい激しかった。

 ――あ、いけない。

 アカリのDVDはすでに再生されていたのに、音声をミュート状態にしていたから全然気づいていなかった。ボリュームをあげる。〈フレグランス〉のメンバーはまだステージにあがっておらず、画面には観客の様子が映しだされている。カメラは客席の前を自由に動き回っていて、最前列でおどけている女性の顔を至近距離から――

「え?」

 テーブルの端に載っているリモコンへ手を伸ばして〝早戻し〟のボタンを押す。再生。一時停止。

 我が家のテレビモニターいっぱいに、知っている顔が映った。

「――佐倉さん?」

 会うことは叶わなかったけれども、聴取のときに顔写真が机の上に置かれていたので断言できる。佐倉さんだ。佐倉さんは参戦していたのだ。〈フレグランス〉のフリーライブに。

「…………」

 わたしは事件発生以降、逃避するように佐倉さんのことを意識の隅へと追いやっていた。思いだしてしまうと、考えてしまうと怖くて怖くてどうしようもなくて動けなくなってしまうことがわかっていたからできるだけ考えないようにしていた。逃避していた。

「あ……」

 それゆえに不意打ち的な佐倉さんの登場はあまりに衝撃的で、心臓に冷水を注ぎこまれたうえに素手でねじられるような痛みを覚えて息苦しくなって「…………!」空気を肺に届けることができなくって胸をおさえ、おさえた途端タガが外れたように身体が跳ねて、激しく咳こんだ。長く――長く、咳がとまらない。身体が折れる。涙がでてくる。嫌な声と音が喉の奥から絶え間なく漏れてくる。

 思いだす。思い起こされる。

 否応なく佐倉さんの姿で、声で、頭の中が満たされていく。

 言葉が蘇る――ライブが行われたのは先週末の土曜日だ。佐倉さんは、先週末に『東条さんと〝大事な約束〟をしていた』といっていなかったか。東条さんにすっぽかされたので立腹していると話していなかったか。


『もしもし?』

 よく憶えている。

『――佐倉めぐみといいます』

 電話で話した佐倉さんの声をハッキリと。いまだによく憶えている。


『佐倉めぐみといいます』


 どうにか咳はとまった。

 ゆっくり丁寧に口から吐きだす息が怖いくらいみっともなく震えていた。

 小さく息を吸う。目頭を指先で拭う。テレビモニターには佐倉さんの笑顔が。

 再生ボタンを押して一時停止を解除する。

 カメラが動き、佐倉さんの姿が画面から消えてなくなる。

 音楽が鳴り、ステージが映しだされる。アカリがステージの中央に登場する。

〈フレグランス〉のメンバー三人に歓声が浴びせられ、

「……え?」

 直後に、またもや知った顔が映しだされた。

「え、えぇッ?」

 チリリと痛んでいた胸の痛みが一気に引いた。

 早戻し。再生。一時停止。

 見間違いじゃない。

 見間違いなどでは決してない。

「…………?」

 いま、目の前に、テレビモニターに映る映像をどう受けとめればいいのかわからなくて、だけれども嘘偽りのない現実であるのは確かで、

『――家族が被る迷惑がどれほどのものなのか、きちんと理解してんのか?』

 次々と脳内で再生される言葉と画と、そのときに抱いた感情とが衝突しあい、

『――イチイに恩義があるのかもしれねえが、あいつの研究所で働いてる間、絶えず家族は足を引っ張られ続けてるってことを自覚しろ』

 どうしてキツい口調で強くあたるのか。その一方でアカリ本人へはもちろん、アカリの所属する事務所や家族にはあたたかな気配りをみせる森村刑事の態度が不思議で仕様がなかったけれども、ここにきてようやく――

 ようやくわかった。

 謎が、

 疑問が、氷解した。

『――森村さん宛の伝言を、イチイから預かっていたことを思いだしました』

 文倉家の前で黄山さんがいった言葉を思いだす。

『ホール会場で顔をあわせてから、しばらくお会いしていませんけれども、その後もかわらずかよっているのですか――とのことですが?』

 知っていたのだ、黄山さんは。

 そしてイチイさんも。

 わたしひとりが、知らずにいたんだ。


 まっすぐ、テレビモニターに目を向ける。

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「ただいまあ」アカリの声がして玄関の扉が開き、直後に、どこかに身を潜めていたネコさんがトトトと軽快な足音をたてて姿を現し、玄関へ向けて駆けていった。

 手にしていたリモコンの再生ボタンに指が触れ、森村刑事の顔が画面いっぱいに映しだされたので、慌てて停止ボタンを押す。

 ソファから腰を浮かせて玄関のほうを見遣る。

「シュリ、帰ってるの?」母の声が聞こえた。

「おかえり」

 わたしは大きな声で応える。

「おかえりなさい」

 母とアカリに向けて、丁寧に、もう一度。

「帰ってるのなら連絡しなさいよ。遅くなると思って、チーズケーキ、シュリのぶんは買ってないからね?」

「あ。あぁ、うん」

 わたしの扱いは相変わらずだけど、まあ仕様がない。

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