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治水ダム


     * * *


 ミラーや道路標識が伸びた枝葉で隠れてしまっている山道を十分ほど走り、ナビの画面に深角町の治水ダムをとらえた椎葉はアクセルを緩めた。

「そろそろ左手に見えてくると思います」

 助手席に乗る金子が窓を開け、流れ行く外の景色に注意を払う。

「金子さん、聖句の内容、憶えていますか」後部座席に座ったスルガが話しかけ、ふいの横Gで身体を傾かせた。「主への従順を示すには、あなたの罪は水の中に沈め、ただしき教会で願い求めなさい――書いてあるんですよね、イチイさんからの手紙に記されていた事柄が、額に入った聖句にそのまま。()()()()()()()()()()のを見ましたよね? 修繕したのはおそらく〝彼〟です。大事な聖句ですからね。割れた表面のガラスを取り除き、開いてしまった穴を塞いでいるときに、()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして気づいたはずです。文倉家が入水を選択したのは、聖句に書かれた教義に従ったからだと。自らも重い罪を犯してしまった〝彼〟は、()()()()()()()()()()()()()()()

「スルガくん。まだ治水ダムに着いてみないことには――」

「えぇ。そうです。そうですね。だけど考えれば考えるほど、イチイさんの推理を確固たるものにする映像が……なぜか映像なんですよね。映像として頭の中に浮かんでくるんです。〝彼〟が罪を犯している場面が、死体を運んでいる場面が、車ごと治水ダムへと死体を遺棄する場面が、そして祈っている場面が映像として――」

「このあたりだと思います。徐行します」遠慮なく椎葉が会話に割って入り、車の速度を落とした。

 点滅するハザードランプが白いガードレールすれすれまで近づく。

「情けない話ですが、耐えられませんでしたよ」スルガは続けた。後方に流れ行く樹木に目を向けて。「自分が情けなくて、あの場に居続けることが耐えられなくなって、無意識に足を動かして廃屋の前から逃げだしていました。そして気づけば車に乗って手紙に記されていた場所を目指しているんですからね。ぼくが間違わなければ……黄山さんもいっていたように、正しい道を一番に選んでいたなら……」

「やめろ。もう、いいだろう、スルガくん」

「よくありませんよ。調査の順番を間違えて、優先順位を誤ってつけたせいで、こんなことになってしまったんですから。黄山さんがいっていたとおり、名探偵の登場なんて必要ないシンプルな事件だったんですよ。それなのに……あぁあ、すみません」

 スルガは胸を押さえてしばし静止すると、ポケットの中からピルケースを取りだして、一錠を口に含み、水なしで飲みこんだ。

「大丈夫か」

「えぇ、大丈夫です。いっておきますけど、ヤバい薬じゃありませんからね」

「知ってるよ」

「イチイさんと出会ってからは、めまいや動悸などの身体症状は現れなくなったんですが……駄目ですね。これまでのお礼をしようと、いつも以上に張り切った結果がこれですよ。推理を働かせるなんて分不相応なことをせずに、普段どおり遺留品と向きあって、ぼくのすべきこと――できることだけをやるべきだったと、遅ればせながら気がつきました。駄目ですね。本当、前職で懲りたはずだったのに、気を抜くとすぐ調子に乗って、なんだってできると勘違いしてしまうんですから。命じられて動きはじめるくらいがちょうどいいんですよ、ぼくは。尻を叩かれてようやく動きだすくらいが」

「あのおばあさんにされたようにか」

「え?」口を半開きに固まってしまったスルガだったが、「あ、あぁ、文倉家の隣人の?」金子がいわんとすることを理解するなり自然と笑みがこぼれ、張り詰めていた車内の空気がここにきてはじめて緩んだ。「はは……いや、そうじゃなくて、そんな物理的な意味ではなくてですね」

「驚いたな、あれは」

「そう……ですね。かなり痛かったですよ。まだ痛みますし」

「嘘つくな」

 金子が笑い、スルガが照れくさそうに視線を下げたところへ、ハンドルを操作する椎葉が会話に割って入る。

「先のカーブでガードレールが切れています。あそこから治水ダムのほうへ、車を乗り入れられそうです」

「そうしてくれ」

 金子はシートベルトを外して腰の位置を移動した。

 視界が揺れ、遅れて身体が左右に振られる。

 車は山道をそれて未舗装の小道に入って行く。

 道の先に治水ダムの水面のきらめきが見える。

 車内を漂っていた和やかな空気は跡形もなく消え去り、乗車する者すべての目に覚悟をもった鋭さが宿った。

「……!」

「金子さん」

 上下左右に激しく揺れる、状態の悪い車内からでも、探しているものを見つけだすのは容易かった。

「椎葉、車をとめろ」

「金子さん、あれって――」

「署に連絡しろ。いますぐに」

 タイヤがとまるのを待たずに金子は扉を開け、雑草の生い茂る地面の上に降り立った。

 遅れてスルガが車外にでてくる。ふたりは慎重な足取りで小道を進んだ。

「……あったな」

「ありましたね」

 一陣の風が森に吹きつけ、目でとらえられる周辺の枝葉すべてを大きく揺らした。

 ふたりは足をとめて並んで立ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()の後面をまっすぐ見つめた。

「中途半端な仕事をしやがって。半分も沈んでないじゃないか」

「クレームは、実行した本人にいってくださいよ」

 時折雲の間から顔を覗かせる太陽の光が、高い位置の葉と葉の間をすり抜けてチカチカと目を射す。そのタイミングが背後から聞こえてくる停車した車のハザードランプの点滅音と一瞬だけシンクロした。

「……理の新生の精霊と同じ数の昼と夜を」

「なんだ?」

「聖句の一文です」喉元に手を添えて、スルガは暗誦あんしょうを続けた。「理の新生の精霊と同じ数の昼と夜を祈りすごせば――いくつだと思いますか? 聖句に記されていた〝理の新生の精霊の数〟って」

「金、土、日……」金子は指を折って曜日を数える。「今日は何曜日だったっけな」

「木曜です」

「だったら七か。七よりも多かったらいいんだが」

「だといいですね」

「手紙に記されていたように、望まざる〝結果〟は、すでにでていると思うか?」

「でていないことを望みます」スルガは首をすくめて、苦笑してみせた。「しかしイチイさんは間違いませんからね。ぼくとは違って」

「でていると思うのか?」

「でているんでしょう……きっと〝理の新生の精霊の数〟は七に満たないんですよ。イチイさんが手紙に記したように、望まざる〝結果〟はすでにでていると思います」

 スルガは大きく息を吐き、治水ダムに半分沈んでいる〝柿本がツイートに添付していた写真〟に写っていたものと同じ車体の後面を、諦めを含んだ寂しげな目で見つめた。

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