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柊シュリ


     *


「訪ねるのが遅すぎたな。こんなに暗かったらなにも見えやしねえだろ」と森村刑事。

 出発前は強く反対し、筒鳥署へ戻って聴取を再開するといっていたが、長栖さんがどこかへ電話をかけ、その電話を代わった途端、森村刑事は文句をいわなくなった。電話の相手が誰だったのか知らないが、話していた感じからして上役の人だったのだろう。そしてわたしたちは佐棟町に建つ幽霊屋敷こと、文倉家に到着したのであるが、

「どのへんが幽霊〝屋敷〟なんだ? 幽霊ハウスに改めたほうがいいんじゃねえのか」

 森村刑事は到着してから、ずっと愚痴り続けている。

 一方で長栖さんは冷静沈着だ。最初にここを訪れたときのスルガさんと同じく敷地外に駐車して、降車するなり靴カバーを履いた。タイヤ痕を踏み消さないよう注意して歩き、玄関のアプローチで手袋をはめつつ目配せしてきたので、わたしはキャリングケースを開いて調査の準備をした。

「家の中、真っ暗なんじゃねえのか」と森村刑事。

「玄関にLEDランタンを置いているそうです。スルガさんがそういってました」

「悪魔の紋章みたいだな」

 なにをいいだすのかと驚いたが、どうやら森村刑事は、玄関の扉にあるエンブレムを見て、悪魔の紋章と表したようだ。いわれてみればたしかに、見方によっては紋章に見えなくもないし、人によっては禍々しいものに映るだろう。

「有名な建築デザイナーの作品であることを示す、エンブレムだそうです。イチイさんがそのデザイナーの大ファンだそうでして、写真を撮ってまわっているみたいです」

「イチイが? ははは。だったらますますあの噂話が本当に思えてくるな」

「噂話?」

「樫緒イチイが、悪魔に魂を売ったって話だよ」

「……?」なに?

 なにをいってるのだ、森村刑事は。

「聞いたことないか。樫緒イチイに備わった特異な推理力は、悪魔に魂を売った見返りで手に入れたって話を。こんな紋章を撮って喜んでるのなら、本当に魂を売ったんじゃねえのか、あの男は」

「森村さんッ?」長栖さんが叱るようにいい、「馬鹿なこといってないで、早く準備してください」手にもった新しい靴カバーを突きだした。

「冗談の通じねえやつだな」

「柊さん、準備はできた?」

「あ、はい。いえ、ちょっと待ってください」

「あ、とか、え、とか多すぎるんだよお前は。それに、はい、なのか、いいえ、なのか、はっきりしろ」

「森村さんこそ、喋ってばかりいないで準備してください」

「いまやってるだろうが。ったく、いちいち……」

「準備できました。行きましょう、長栖さん」

「おい、ちょっと待て!」急いで靴カバーを履き、森村刑事は咳払いして背筋を伸ばした。「ほら、いいぞ。なにからはじめるんだ? 指紋採取か。それとも靴跡か」

 わたしも森村刑事を倣って背筋を伸ばす。

 さわさわと葉擦れの音をたてる、玄関アプローチ横の樹木に背を向け、手にもったALSを顔の位置まであげて解説。

「科学捜査用のライトを使って、血痕を調べます。スルガさんの話によると、怪我を負った柿本さんたち三人は、リビングから玄関まで、引き摺られて運ばれた可能性があるそうです」

「その話が本当なら、三人とも無事じゃねえだろ」

「気にしないで。柊さん、早速はじめてくれる?」

「わかりました」

 さあ、これからだ。調査員としての現場初調査だけれども落ち着いて。焦らずに、ゆっくり丁寧に。そしてなによりも、また調子に乗って過信してしまわないよう注意して。

「扉を開けます」宣言してノブに手をかける。

 待った。

 まずは扉から調べるべきだっただろうか?

「鍵は開いてんのか」

 森村刑事の問いに答えるよりも早く、扉を開くことによって回答を示した。開けてしまったものは仕様がない。まずは玄関からだ。玄関と通路の床から。ライトを照射して血液の有無を調べよう。

「おい、無視してんじゃねえぞ」

 文句をいわれたけど答えずに集中。

 家の中に入るなり、埃っぽいにおいが鼻先をかすめた。それと柑橘系の香り。床を拭き掃除する際に使用した洗剤のにおいとスルガさんがいっていたのを思いだす。

 足元に置かれたふたつのLEDランタンに目がとまったので、まずは両方とも明かりを点けてみた。

「なんだあ、この飾りは。家の主人はどこぞの宗教の信者か」

 玄関を見回しながら森村刑事がいった。

「もう少し、声のボリュームを絞ってくださいよ」開いた扉を手で支え、まだ家の中に入ってきていない長栖さんが文句をいう。

 玄関と廊下はスルガさんの撮った写真で目にしていたが、実際見てみると意外に広く、そして綺麗だった。右側に設置されたシューズボックスへ目を向ける。シューズボックスの上に載せられた天使の描かれているレリーフに目がとまる。レリーフもまた抱いていた印象と異なっていた。サイズが大きくて、かなり高価そうだ。

「メアリー・セレスト号の話を思いだすな。住人はどこに消えたんだ?」と森村刑事。

 メアリーセレストゴー? 意味がわからないので、質問にのみ回答する。

「住んでいた家族は、深角町の治水ダムに入水したそうです。家族三人で、車ごと」

「一家心中か。聖書には自殺は罪って書かれてるんじゃねえのかよ」

「宗派によって見解が違うんじゃありません?」うしろ手に扉を閉めつつ、呆れた様子で長栖さんが意見する。「壁のカレンダーに〈善き羊飼いの信徒〉とありますよ。森村さんのイメージしている宗教とは考えが異なるんでしょう」

 あぁあ、いけない。会話のほうに意識を奪われて、手の動きをとめてしまっていた。役割をこなさなきゃ。ライトにフィルターを取りつける。肩にさげた鞄の中からゴーグルを取りだしておく。わたしはわたしの仕事を。わたしの役割を。

 腰を落として周囲を観察。手にもったライトを廊下の床へ向けて照射した。

「えぇええっ!!」

「ど、どうしたの、柊さん?」

 あんなに、冷静に、落ち着いてと自分にいいきかせていたのに大きな声をだしてしまった。だけど仕様がない。この結果を目にしてしまったら、「スルガさんがいっていたとおり、()()が、()()()()()()()に――」

「なに? なんだって?」

「照射している場所を見てくださいッ!」オレンジ色のゴーグルを森村刑事に手渡す。

「血の跡があります! 何者かが三人を引き摺って運んだんですよ!」

「貸せッ、ライトを貸せ!」

 ゴーグルをかけた森村刑事に、ALSを奪われた。

「森村さんッ?」長栖さんが呼びかけるも、森村刑事は応じずに廊下の床の上へ足を載せ、ライトであちこち照らしながら前進した。

「ちくしょうッ、なんだよこりゃあ。右の部屋がリビングか? リビングまで続いてるのか?」

 床の上には轍のように血の跡がついている。

 玄関、縦に伸びた廊下、そして右側の扉の先にあるリビングへ跡は続き、

「スルガさんの話によれば――」

 周囲が明るくなった。振り返ると、長栖さんがLEDランタンを手にもって暗がりを照らしていた。顔を戻す。森村刑事はリビングの中へ。リビングへ入るなり森村刑事は悔しがるような声をあげた。「ここか。ここだな、ちくしょうッ」

「森村刑事?」あとを追って、わたしもリビングへ。

「くそッ。駄目だな、こいつは……長栖! この様子じゃあ、東条は殺されてるぞ」

「どうしたんですか、森村さん?」LEDランタンを掲げた長栖さんがリビングへきた。

「見ろよ、長栖。ここだ、照らしてる床を見ろ」

 床へALSのブルーのライトが向けられていたので、「これを使ってください」鞄からオレンジ色のゴーグルを取りだして長栖さんに手渡した。

「血の跡が見えるだろ。誰かが大量に血を流してる。この場所で殺されて、廊下を経由し、玄関まで運ばれたんだ。あぁあ、くそッ。東条はすでに死んでるぞ。殺されてる。このありさまで生かされているはずがあるか。なあ、そうだろ、そうだよな」

「……え? え、えぇ」急に話を振られたので、「え」と口にだしていってしまったが、森村刑事は指摘しなかった。

「東条に会って話を聞くのは無理だな。間違いなく殺されてるぞ、東条は」

「……森村さん」

「見ろ。そこも、あそこもだ。そこら中、血液の反応だらけじゃねえか。拭いた際に広がったのか、それとも――」

「森村さん?」

「大量の――」

「森村さん! 少し黙ってください!」

 急に長栖さんは大声で怒鳴りつけて、右手を前に突きだした。

 わたしは驚いて硬直してしまい、怒鳴られた森村刑事も目を丸くしてその場で固まってしまった。

「聞こえませんか」

「え?」なに?

「聞こえるでしょう?」と長栖さん。

「なに……なんだ? なにいってんだ、長栖」森村刑事の声には震えがまじっていた。

「聞こえませんか?」

「だから、なにが?」苛立ちと怯えの中間あたりの声で、森村刑事が問い返す。

「声ですよ。誰か――人の声。女の人がすすり泣いているような声が聞こえませんか」

「――は?」

 え、なに? 女の人?

 女の人の声って……?

「おい、ふざけるな、長栖。こんなときになにを――!」

( !)

 ああぁ!

 聞こえた。本当に聞こえた。

 女の人の声が。

 かすかに。かすかにではあるが、すすり泣いているような女の人の声が。

 ――嘘、

 信じたくない。

 森村刑事にも聞こえたらしく、言葉は続かず、表情は一変している。

「聞こえたでしょう? 聞こえましたよね? 誰かがいます。どこか――どこかに女の人が。女性が泣いています」

 あぁああ、嘘。いやだ。いやだいやだいやだいやだ。

 なんで? なんで女の人が? 女の人の泣く声が?

〝入水〟

 いやだ。

〝一家心中〟

 思いだしてしまう。嘘。まさか、そんな。

「どけ。おい、どけッ柊! 廊下――廊下だ。廊下から聞こえるぞ!」

 わたしを押し退けて廊下へと移動し、うるさい足音を響かせながら廊下の奥へと駆けた森村刑事が、どこかの扉を勢いよく開けた。

「うわぁああ! お、おい! 動くな! 動くんじゃねえぞッ!」

 なに?

 なんなの?

「長栖ッ、ここだ、こっちだ。風呂場にこいッ!」

 風呂場? 風呂場が一体――と、気がつけばわたしは長栖さんに腕をつかまれていて、引っ張られていて、廊下を進み、森村刑事の声が聞こえてくるほうへ連れて行かれていて、

「長栖ッ、中だ! バスタブの中にいる」

 風呂場の扉の前に立っている森村刑事は狼狽していた。風呂場のほうを指差してバスタブ、バスタブだ! と繰り返して、わけがわからぬまま腕を引かれたわたしは風呂場の扉の前へ。中を覗きこみ、

「――ひッ」

 みっともない声をだしてしまった。

 女性が。女の人が。バスタブの中に女の人が座りこんでいて、肩を震わせて、嗚咽をもらしていて、口元を押さえて泣いていた。

 髪が長く、色白の肌。

 知っている。

 憶えている。

 ()()()()()()()()()()()()()()


「り、りっちゃんさん……ですか?」


 名を呼ぶと、バスタブの中の女性はゆっくり顔をあげて、わたしを見た。

 視線が重なる。

 やっぱりそうだ。


 彼女だった。

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