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樫緒科学捜査研究所


     * * *


 ――聞き間違いだろう。そうに違いない。しかし〝カノ〟と聞こえた。楓乃さん、と。

「いま……なんと?」

 鈴鹿は取りつくろいの笑みを浮かべて、正面の椅子に掛けているスルガへ尋ねた。

 場所は樫緒科学捜査研究所内の、パーティションで囲まれた無機質な応接スペース。調査依頼の件で進展があったとの連絡を受けて、研究所を訪れた鈴鹿に投げかけられた最初の言葉は、調査報告ではなく、問いかけだった。

「楓乃さんという女性から、たのまれたのではありませんか」

 動揺を隠せなくてせわしなく目を泳がせてしまう。鈴鹿は素早く瞬きを繰り返した。

「昨夜、〈DORMOUSE〉を訪ねたんです。楓乃さんと会うことは叶いませんでしたが、行方がわからなくなっている三人の写真を従業員に見てもらったところ、東条さんが常連客であったとの証言を得ました。数ヶ月前までは週に二、三回顔をだしていたようですね」

「…………」

 鈴鹿は無言で返し、瞬きの速度をさらに早めた。

 スルガの隣に腰掛けている若い男性が咳払いする。男性はひとことも言葉を発しておらず、紹介されていないので何者であるのかすらわかっていない。

 男性はスマホを取りだして画面を指で操作すると、テーブルの上へそっと載せた。

「実際のところ、鈴鹿さんは、行方がわからなくなっている三人の誰とも、さほど親しくありませんよね? 筒鳥署へ赴いた理由は、好意を寄せている楓乃さんに懇願されたからでしょう?」

「…………」

 鈴鹿は唇を歪めて視線を下げた。

 いいたいことが喉元まででかかっていたが、口は開かずに耳を傾ける。

 若い男性が二度目の咳払いをする。

 真似るようにスルガも咳払いして、わずかな間を空けたのちに問いを続けた。

「ただし――楓乃さんは仲介役を務めていたにすぎなくて、本当の依頼人は別の人物だったのですよね? 好きな女性が自分以外の男性の心配をしているなんて、気分のよいものではありませんからね……あぁあ、すみません」

 失礼な物言いをしたことの反省から〝すみません〟と口にしたと思いきや、直後に顔をしかめて胸のあたりを摩りはじめたスルガの様子から、身体の調子がよくないので断りを入れて、話を中断しただけのようにうかがえた。

「失礼しました。起きてからあまり体調がすぐれなくて。複数の人物が絡んでいる〝ややこしい〟話なので、ここからはキーマンである東条さんを中心に話を進めます。行方のわからない三人のうち、〈DORMOUSE〉の常連客であったのは東条さんひとりだけのようなので、心配されていたのは東条さんとみて間違いないでしょう。さっきもいいましたが、東条さんは週に二、三回、〈DORMOUSE〉に顔をみせていたようです。従業員の中に気に入った女の子がいたんでしょうね。もしもその子が楓乃さんなら、楓乃さんは週末しか働いていないので週に複数回顔をだす必要はありません。つまりは、楓乃さんではない、頻繁に店にでている従業員の誰かを、東条さんは気に入っていたということです」

「あ、は……はあ」

 スルガはどこまで知っているのだろう。どこまで真実をつかんでいるのだろう――鈴鹿は不安と恐れと恥ずかしさが溢れだしはじめているのを悟られまいとして視線をそらし、口元を左手で覆い隠した。

 スルガのいった言葉を頭の中で復唱する。

 自身が過去に取ってきた行動を回想する。

 毎週末、〈DORMOUSE〉を訪ねていた。

 欠かさず〈DORMOUSE〉を訪ねていた。

 訪ねた目的は楓乃に会うためだった。

 楓乃の顔を見るためだった。

 楓乃と話をするためだった。

 楓乃に会うためだけに毎週末〈DORMOUSE〉を訪ねてお金をおとした。

 スルガから指摘された事柄に誤りはない。

 鈴鹿は、楓乃に、好意を寄せていた。

「その従業員の名は、仮名でAさんと呼んでおきましょうか。Aさんと東条さんとの密接度は推測の域をでませんが、東条さんはある時期から、とある女性――こちらはBさんと呼びましょう。Bさんと交際をはじめて〈DORMOUSE〉に顔をださなくなったようです。もしもAさんと深い仲になっていたうえで、その関係を保ったまま秘密裏にBさんとつきあいはじめたのなら、とんでもない話ですよね。そんな中、先週の金曜を境に東条さんとまったく連絡が取れなくなったAさんは、ひどく不安に思ったはずです。おそらく東条さんを知る人に声をかけまくったことでしょう」

「その中のひとりが、楓乃さんだったんですよ」ここではじめて、スルガの隣に座る男性が言葉を発した。「楓乃さんは、東条さんと同じ筒鳥大の学生である鈴鹿さんと親しかったうえに、鈴鹿さんの伯父は筒鳥署の署員ですから、おのずと鈴鹿さんへ話が回ったのでしょう」

「警察の組織力を用いれば、すぐ行方を突きとめられるような気がしますからね」スルガが補足した。「実際には、警察ではなく、うちの研究所が調査することになりましたが。このことはAさんにとっては予想外で、不安を募らせていったはずです。筒鳥署へ赴いた鈴鹿さんがうちの研究所へ足を運んだことは……あぁ、そうだ、鈴鹿さんに訊きたいことがあったんですよ。以前お訊きしましたが、再度お尋ねします。正直に答えてください。鈴鹿さんは筒鳥署に出向く際、事前に誰かに連絡を入れていましたよね?」

「え……」鈴鹿はそらしていた顔を戻すなり、スルガの視線を真正面から受けとめて動揺した。「えぇ。楓乃さんへ、家をでる前に、メールしました」動揺から即答してしまった正直な回答によって、スルガが語ってきたことが事実に沿っていると認めたも同然であると気づきもせず、鈴鹿は繰り返し頭を上下させた。

「おそらく、そのメールはAさんに転送されたと思います。メールを読んだAさんはいてもたってもいられなくなって、自らも筒鳥署へ足を運んだでしょう。樫緒科学捜査研究所にも。その後も鈴鹿さんの尾行を続けていたなら、東条さんが最後に訪れたあの廃屋にも辿り着いたでしょうね。きっとぼくらの取る行動が気になって仕様がなくて、建物の陰から覗いたりもしたと思います」

「じ、じゃあ、あのとき覗いていたのは」

「えぇ」

「里香さんだったんですか」

「――ありがとうございます」スルガは口の端をわずかにあげた。「その名前が聞きたかったんです」

 隣に座った男性がテーブルに載せていたスマホを手に取り、電話をかける。相手はすぐにでたらしく、男性は興奮した声でまくしたてるように喋った。

「確認できました。里香です、金子さん。やはり里香でした。間違いありません」

「金子? 金子って、伯父さんですか。もしかして、電話の相手はトモアツ伯父さんですか?」鈴鹿が問う。

「少し前まで、金子さんもここにいたんですよ」椅子から立ちあがって研究所の奥を指差しながらスルガはいった。やや低く、落ち着いたトーンで。「コーヒーでもどうですか。おそらく、これからとても喉が乾くことになると思いますので、遠慮なくどうぞ」

「喉が、乾く?」問うた直後に、電話で話していた男性が表情を一変させて鈴鹿の正面へ移動したので、回答は容易に想像がついた。男性は筒鳥署の警察官であり、これから事情聴取がはじまるのだ、と。

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