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柊シュリ


     *


「ハーイ、ウィルソン」

 筒鳥大学東キャンパスの食堂へは、待ちあわせ時間よりも少し早く到着した。

「ハーイ、ウィルソン」

 オリバー・ウィルソンは、身長一六〇のわたしと目の高さがほぼ同じで、八の字型の眉と垂れた目が印象的な白人男性だった。出入り口そばのテーブル席に向かいあって座ったウィルソンは、完成して間もないわたしの名刺を受け取るとハイテンションで喜んでくれた。名刺をもらったのははじめてなので大事にします――そういわれてなんだか誇らしくて照れくさかったが、悪癖である上から目線の仕切りたがりを披露してしまわぬよう、平静を心がけて、ただいま聴取中である。

「ハーイ、ウィルソン」

 ところでさっきから筒鳥大の学生がみな揃ってハーイ、ウィルソン。ハーイ、ウィルソンと声をかけてくるのが気になって仕様がないのだが、その都度ウィルソンは笑顔で応えている。

「ハーイ、ウィルソン」

 いまとおりすぎたのは、双子のように似た格好をしたボブカットの女子学生だ。ウィルソンが歯を見せて応じ終えたタイミングで、わたしは研究所からもってきたタブレットをテーブルの上に置いた。画面には研究所のアカウントでログインしているツイッターのプロフィールページが表示されている。

「カワイイですね、ヒイラギさんのアイコン」

 表示されているアイコンを指差して、ウィルソンは微笑んだ。アカウントアイコンに使用しているのは、所長が飼っているハムスターの写真だ。

「わたしが設定した写真じゃないんですけどね」

「ゴールデンハムスターでしょう?」

「詳しいんですね」

 写真のハムスターは、飼い主である所長が家を空けているので、現在、スルガさんが面倒をみている。ハムスターは、所長の出張期間中に所員の誰かがあずかる決まりになっているのだが、我が家には猫がいるのでリストからは外されている。猫が脱走しない限り、わたしがリスト入りすることはないだろう。それはさておき、教えてもらったウィルソンのアカウントページへ移動してみる――と、ツイート数は三〇〇〇弱で、トップに表示された文は句読点の位置がおかしい日本語で書かれていた。

 なぜわたしがウィルソンの……いや、ウィルソンさんというべきだろうか。それともミスターウィルソン? 留学生と話をした経験がないので、どう接して、どう呼べばいいのか迷ってしまうが――ここは日本人を相手にした場合と同様に、ウィルソンさんと呼ぼうか? ブラッド・ピットをピットさんと呼び、クリスチャン・ベイルをベイルさんと呼ぶ人に会ったことはないけれども。や、でもロバート・デ・ニーロはデ・ニーロさんか。

 …………。

 あれ。

 なんの話だったっけ?

 そうだ、そうそう、どうしてウィルソンさんのアカウントページの閲覧をはじめたかというと、金曜日から行方がわからなくなっている柿本さん、東条さん、雛岡さんのアカウントすべてを、ウィルソンさんはフォローしていると聞いたからだ。ネット上の足跡には個人を形成する嗜好やベースが顕著にあらわれる。ツイート内容はもちろんのこと、誰をフォローしているか、フォローされているか、使用頻度などから知れることは沢山ある。

「ヨコーヤくんは、ベストフレンドと説明したようですが、そんなには知らないんです、カキモトくんのことは。大学ではよく会いますけど、外ではあまり会いません。ぼくが一番よく会うのは、トウジョウくんです。トウジョウくんとは、いろいろなところにでかけます。トウジョウくんは、友達が多くて、人気者で、女の子の友達もたくさんいます。ぼくは、トウジョウくんをよく知っていると思います」

「……はあ。なるほど」

 なるほど――と答えたけれども、話がわかりづらかったので、理解するまでに少々時間を要した。奇妙なアクセントに違和感をもった〝ヨコーヤくん〟というのは、ウィルソンさんを紹介してくれた〈てらだや〉のバイト生・横谷さんのことであろう。横谷さんは、ウィルソンさんと柿本さんは親友のようだといっていたが、実際には東条さんと交流が深かったようである。

「ハーイ、ウィルソン」

 呼びかけられて、ウィルソンさんは愛想良く応じる。そばをとおる学生たちが必ずといっていいほど声をかける背景には、ウィルソンさんがオープンでフレンドリーな性格であることはいわずもがな、多くの友人を作るために、アクティブな活動を続けてきた積み重ねの結果であるようだ。こんなに慕われている人物を目の当たりにしてしまうと胸の奥のほうがキリリリリと痛くなる……かつてのわたしが、ウィルソンさんのように好かれているものと信じて疑わずにいた時期のことを思いだしてしまって、苦しくなってしまう。

 わたしは、人に慕われ、好まれるような人間ではなかった。手の届く範囲内の狭い世界しか知らない愚か者であった。高校まではよかった。よかったわけではなくて、気づきもしなかったというべきか。短大で、元職場で、わたしは自分の稚拙さと愚かさを思い知らされて、打ちのめされた。

「……さん」

「…………」

「ヒイラギさん?」

「え? あ。あ、ごめんなさい」声にのせて吐きだした息と同じ量の空気を、鼻からゆっくり吸いこんでまた吐きだす。「すみません。考えに耽ってしまって」

 咳払いしつつ、腰を浮かせて椅子に座り直しながら周囲を見回す。静かに息をしつつ、食堂内の空間をぐるりと。

 長く触れることなく、記憶からも欠落しかけていたたくさんの笑顔と弾んだ声とが、外光と蛍光灯の混ざった空間の中に充ち満ちている。

 ここは筒鳥大学東キャンパスの食堂。

 わたしはいま調査員としての仕事で聴取中。

 余計なことは、考えないように。

「失礼しました。東条さんについて、話を聞かせていただけますか」

「はい。もちろん。トウジョウくんは、親切で、面白くて、とても顔の広い人でして、よくイベントを企画するんです。お店を貸し切りにしてゲームをしたり、夏には海水浴場に大勢で行って、夜明けまで遊びました。海だけではなく、山や、川にも。トウジョウくんは、ぼくを、よく、イベントに誘ってくれます。最近は駅裏のお洒落な店で食事会をしました。はじめての人がたくさんいて、女の子もたくさんいて、トウジョウくんは、友達のたくさんいる、本当に顔の広い人です」

 異性との食事会というのはイベントというよりも合コンだろうといいかけたが、寸前で言葉をのみこんだ。東条さんもまたウィルソンさんと同様に、アクティブに動いて回る、フレンドリーな性格であるようだ。

「東条さんは、普段、柿本さんと雛岡さんとは、つるんで行動していないんですね?」

「つるん?」

「つるんで」

「つるんで?」

「えぇと……」おそらく、つるむという言葉を知らないのだろう。いいかたを変えなきゃ。どうしよう。どう尋ねようか。できるだけわかりやすく、丁寧に。「東条さんの企画するイベントに、柿本さんと雛岡さんが参加することはあまりないのでしょうか」

「ヒナオカくんはきます。ときどき、きます。海水浴場に行ったときはきました。山に行ったときと、川でバーベキューしたときもきました。ヒナオカくんは車で送ってくれるので、とてもいい人です。すごくいい人です。喋ってくれると、もっといい人なのですが」

「喋ってくれると?」

「ヒナオカくんは、あまり喋りません。大学でも、話しかけないと、自分からは話してくれません。だけど、カンジはいいです。いつもニコニコ、笑顔です。笑顔ですが、海水浴場でも、山でも、川でも、ヒナオカくんはひとりでいることが多くて、ひとりでいることが好きのようです」

「呑み会や、食事会には、参加しないんです? 雛岡さんは」

「食事会にきたことはないです」

「アウトドアのイベントのときだけ、雛岡さんは参加しているということでしょうか」

 遠出のときだけ声をかけられる友人……それって、雛岡さん本人ではなく、雛岡さんの所持する車が必要とされているんじゃないかって邪推してしまう。そういえば鈴鹿さんが足要員なんて言葉を使って雛岡さんのことを表現していた憶えがある。先週金曜の幽霊屋敷探索に雛岡さんが加わっていたのも、東条さんによる〝足〟の確保にすぎなかったのだとしたら――なんだか嫌な気持ちになってきた。

「カキモトくんは、バイトがあるので、イベントには参加することはできないようです。カキモトくんは、トウジョウくんと同じ高校だったと聞いています。同じ、九州の福岡、だそうです」

「高校が同じだったんですか?」思いがけない情報が得られた。ふたりが地方出身者であることは知っていたが、同郷で、しかも同校の卒業生であったとは。「だったら、さほどつるまなく……あ、すみません、えぇと、連れだってでかけることはあまりなくても、同郷の絆があるので、仲良かったんでしょうね」

「よいです。グッドフレンド、だと思います。トウジョウくんも、カキモトくんも、話すと、とても面白いですよ。あ、これですね」

 タブレットのタッチパネルに触れてフォロー一覧をスクロールしていたウィルソンさんが指をとめた。とめた指を口元に近づけてはなすする。さっきからウィルソンさんは頻繁に洟を啜っているような気がする。もしかしたら風邪をひいているのかもしれない。

「このアカウントが、ヒナオカくんです」タブレットを差しだしつつ、ウィルソンさんは弾んだ声でいった。

 アカウント名〝ヒナアサ〟とある、開いた本のページが写っているようなアイコンに目をとめる。わたしは鞄の中からペンとノートをだして、アカウント名の下に記された@ではじまるIDをメモした。いまどき手書きでメモを取るのは珍しいらしく、そうした行動をとるたびに「メモ用のノートをもち歩いているんですか」と嘲笑気味に訊かれることがよくあって辟易しているが、ウィルソンさんは違っていた。

「おしゃれなノートですね」

「ありがとうございます」

「ペンも素敵です」

「ど、どうも」

 どちらも妹のアカリからプレゼントされたものだ。アカリに感謝。

「トウジョウくんのアカウントは、〈フレグランス〉という、女性グループの人の写真を使ってますので、すぐにわかります。これですね。ん? 違う、違いました。これはトウジョウくんのお姉さんのアカウントでした。〈フレグランス〉のメンバーの、同じ人の写真をアイコンに使っているから間違えて……あ! いま、気がついたのですが、ヒイラギさんは――」

 ウィルソンさんが顔をあげてわたしを見たので、続く言葉を喋らせないために、素早く質問する。「東条さんの、お姉さんと知りあいなんですか?」

「ハーイ、ウィルソン」

 そこへ再び、学生が声をかけてきて、ウィルソンさんは学生らへ顔を向けた。

「ハーイ、ウィルソン」

 笑顔で応える。

 ピースマークのピアスをつけた男子学生がウィルソンさんの肩甲骨あたりを小突いた。

「ハーイ、ウィルソン」

「ハぁイ、ウィルソン」

 !

 ふいに――()()()()()()()()()()()。呼びかけた学生の声のひとつに嘲笑しているとわかる響きが含まれていることに。すると途端に目の前の光景が、周囲にある世界がまるで違うものへと変化した。さっきまでウィルソンさんはみんなから慕われていて、愛されている羨ましい好青年であったのに――

「ハーイ、ウィルソン」

 食堂に入ってくる際に声をかけた学生が、まったく同じ言葉を投げかけて、食堂からでて行く。

 その都度、ウィルソンさんは笑顔で応える。次の学生。ハーイ、ウィルソン。また次の学生。ハーイ、ウィルソン。みな同じ言葉をかけて、とおりすぎて行く。ハーイ、ウィルソン。ハーイ、ウィルソン。

「――ヒイラギさん?」

 名を呼ばれてあわてて正面を向く。思いに耽ってしまっていたわたしを心配そうに見ているグレーの目が、ふたつ並んでいた。

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