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善き羊飼いの教会  作者: 今日のねこさん。
(善き羊飼いの教会)Overview
1/41

prologue

『あなたの罪は水の中に沈め、ただしき教会で願い求めなさい』

 ふいの一撃いちげきで左目がつぶれた。

 恐ろしさで顔をあげられず、うつ伏せた惨めな姿勢で周囲をうかがおうと試みるものの、視界のほとんどがフローリングの床で占められているうえに、闇が覆いかぶさっているので上手くものを捉えられない。

 くそッ。

 向こうに行け。行ってくれ、向こうに。

 おれは気を失っている。失っているから動くことはない——そう理解して、頼む。頼むから、お願いだから向こうに。

「……!」

 あらぬ方向から呻き声がした。

 その声にあいつは注意をひかれて、おれから目を逸らしたのがわかる。いまだ。ゆっくり息を吐き、音を立てないよう一気に吸いこむ。吸いこむなり喉と鼻腔とで痛みを伴う嫌な臭いが暴れ回って、堪らず激しく咳きこんだ。

 ちくしょうッ。

 床が鳴った。靴の音が。近づいてくる。薄汚いフローリングの床に右の眼球が触れてるから、足音が、振動が、否が応にも直に伝わってくる。

「……どうしてこんなこと」あいつの声。

 嘆くようなその声が耳に届いたと同時に、闇に沈んだ黒いスニーカーが目の前を横切った。待て。待てよ、おい。どうして? どうしてだと? どうしてこんなことをだと? 訊きたいのはおれのほうだ。おれをめちゃくちゃに殴っておいてなにいってんだ?

 顔は果たしてどこまで原型を留めているのか不安で恐ろしくて仕様がなくて、なによりも状況をつかめていないことが恐怖で脅威で——あぁあもう駄目だ。

 耐えられない。

「……!」

 足音が妙な響きかたをした。

 あいつはどこにいる? どこへ行った? 顎と首と腕に力を入れて顔の向きを変えようとするが、意思に反して身体のパーツはどれも動かず、そのくせあちこち震えてやがる。胸のあたりには違和感があり——身体と床との間に細長い異物が挟まっているようだ。ゴルフクラブだろうか。そうだ、きっとそう。殴られる直前まで手にもっていたゴルフクラブだろう。ならばあいつを一撃で黙らせるに充分な武器が手中にあるってことだ。身体が動きさえすれば、身体を浮かすべく手足に腰に背中に意識を集中させて、

( !)

 肩口に激痛が。さらなる一撃が。おぞましい風切り音が頭上で繰り返されて意識が飛びかける。息ができなくなる。

 頼む、頼むから、お願いだからやめろ、やめてくれ、やめてください。お願い——お願いです。お願いですから。息。息が。息ができ、

 ゆるして。

 ゆるしてください。

 どうぞ、

 どうか、

 お願いですから。

 凶器の振り下ろしがやむまで口の中で、頭の中で繰り返して、気がつけば床は頬は顎は溢れでた唾液と涙でぐしゃぐしゃになっていて、拭き取ろうにも手が動かなくて、動かす気力もなくて、

「どうして。どうして、こんな——」

 再び嘆くような声がして床が軋んだ。

 スニーカーの靴底が見えて、あいつが離れて行くのがわかって、は、と吐きかたを忘れていた息が口から漏れだして強張っていた顎と首と肩から力が抜けるものの、去り行く者の手に握られた禍々しい棒状の凶器が目にとまって身体が強張り、震えが激しくなる。逃げなければ。ここから、この場から、この家の中から逃げださなければならないのに——誰か。誰か、助けて。助けて助けて、助けてといわずにはいられなくて考えずにはいられなくて、自力で逃げるほかに術などないとわかっているのに助けを求めずにはいられなくて、身体の震えが喉に、肺に、みっともない声とともに吐きだされた胃液臭い息が埃を舞いあげて眼球に接して涙で流れ落ち、直後に嗅ぎ取った埃っぽい空気が鼻腔で暴れまわって——吐く。吐きたい。嘔吐しそうだ。

 誰か。誰でもいい……だけれども誰が助けにきてくれる? 笑える。笑えてきた。辺鄙な場所に建つ幽霊屋敷へ誰が助けにきてくれる? 誰も知りはしない。おれが、おれたちがここに、幽霊屋敷にいることを知っている者など——

「あぁああア」

 沈黙を保つべき場面でありながら、驚くほど大きな声が口から漏れてしまった。思いだしたからだ。重要なことを。これまでの行動を。幽霊屋敷に忍びこむまでに、おれが取ってきた行動を。

 希望はある。

 知っている者はいる。おれたちがここにいることを知っている者はいるはずだ。大袈裟ないいかたをすれば、全世界の人間が知っていてもおかしくはない。なにしろツイートしていたのだから。ここまでの道のりを写真つきでツイートしていたのだから。最後のツイートは幽霊屋敷の前だった。家の前で撮った写真を添付した。写真を見れば、おれがここにいるとわかるのだ。あぁあ、頼む。気づけ、気づいてくれ。誰でもいい。誰でもいいからおれのツイートを見て、気づいてくれ。おれの身に起こっていることに気がついてくれ。そうしたら、助けがきたらなら、助けてもらえたなら——

 視界が濁ってきた。焦点をあわせられなくなってきた。

 暗い。よく見えないが、まだだ。耐えろ。あと少しだけ。あと少し耐えれば大丈夫。絶対に誰かが気づく。気がついた誰かに助けてもらえる。耐えろ。耐えてくれ。そして殺す。殺してやる。あいつを殺してやる。絶対に殺してやる。

 どこだ。どこに行った?

 あいつはどこだ。

 ちくしょう。暗すぎてなにも見えない。

 あいつはどこだ。


 どこに行った!

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