プロローグ
閑散とした住宅街。そこから少し離れたところに、ポツンと一軒の家があった。庭には大量の花が植えてある。品種名まではわからないが奇麗に咲いていることから愛情をもって育てられていることは見受けられた。
その家の前にはまだ幼さが残る少女が1人佇んでいた。少女はドアを叩こうとしてはやめ、また叩こうとしてはやめを繰り返していた。しかし、決心がついたのかコンコンとドアを叩く。
すると家の中から物音が聞こえ、この家の住人が在宅なのがわかった。
待つこと数秒。
ギギギィと軋む音を響かせ、ドアが開くと同時に初老の男性が姿を現した。男性は長い髪を後ろに束ねており、その髪は見事なまでに白く染め上げられていた。体格も老人とは思えないほどしっかりしている。なにより男性の纏う雰囲気が一般の老人とはかけ離れている。
「どなたですかな?」
男性がそう尋ねると、呆気にとられていた少女はハッと我に返った。
「私はミラといいます」
続けてミラは語る。
「こちらにリアン・ヒストリアさんが住んでいると聞いて伺ったのですが...」
「...どうぞお入りください」
男性はしばらく黙った後、ミラを中に招いた。ミラを椅子に座らせ、前に紅茶の入ったティーカップを置いた。男性は自分の前にもティーカップをおき、ミラの対面に座った。
数秒の沈黙の後、男性はさて、と口火を切り話し始めた。
「私がリアン・ヒストリアです。この老骨にどんな御用ですかな?」
「その前に、どうしてこんな街から離れた場所に、しかも一人で住んでいるんですか?」
ミラはこの場所に来てからずっと疑問に思っていたことを聞いた。彼女が知っているリアン・ヒストリアという男ならば、こんな辺鄙なところに住む必要はない。逆にもっと豪勢な屋敷に住んでいてもおかしくはない。それにリアン一人というのも気になる。妻や子供はいないのだろうかとミラは思った。
リアンは目の前にあるカップを取り、紅茶を一口飲み、話し始めた。
「知人からよく聞かれますよ。なぜこんなところに住んでいるのかと。理由は特にないんです。一度ここに住んでからどうも居心地がよくなってしまって。存外悪くないものですよ。ここは静かですからね。何より夜になると星がとてもきれいなんです」
リアンはそれにと続けた。
「元々は妻と二人で暮らしていたんです。ですが数年前に死別しました。その悲しみを埋めるのにここはちょうどいいのですよ。妻の残したものの面倒もありますから」
リアンは少し悲しげな口調で告げた。愛する者との別れは誰もがいつかは経験する。幼いミラでさえその気持ちはわかる。自分の愛しているものとの別れを想像すると、目の奥が熱くなるように。リアンは自分の半身が裂けるような思いをしたのだろう。
「そう、ですか...。そうとは知らず無礼をお許しください」
「いいのですよ。もう数年前の話ですから。とっくに吹っ切れてます。それにいつまでもくよくよしていては妻に叱られますから」
リアンは眉尻を下げた笑顔を見せ、ミラを諭した。
「それよりあなたの要件を済ませてしまいましょう」
ミラは自分の首に下げてあったペンダントを外し、机に置いた。そしてリアンに見せるように彼の手元にズッと差し出した。
「...これは?」
「私がおばあさまからお借りしたものです」
リアンはそのペンダントをなぞるように指を這わせた。ペンダントはコインのような円形の金属でできており、表面には文様が刻まれていた。種類まではわからないが開花した花とその背面に二振りの剣が交差している文様であった。
それを見たリアンはバッと勢いよく顔をあげ、ミラを見つめた。
「それはラナンキュラスのオルレアンという花と初代の国王であるご兄弟が持っていたとされる二振りの剣を彫ったものです」
「...ええ。知っていますとも。昔あなたのおばあさまから見せていただいたことを覚えています。彼女はいつもこれを首から下げており、時折、切なげに、何かを思いだすかのように触っていましたから」
リアンはペンダントを見つめ昔のことを思いだしたのか、小さくフッと笑った。そしてペンダントをミラに返し彼女を見つめた。
「なるほど。どおりで」
「どうかしたのですか?」
「いえ、あなたを見てからどこか懐かしさを感じると思ったのですが、そういうことでしたか」
ミラはリアンが自分を見つめているようで見つめておらず、どこかそれよりも遠くを見ているような気がした。自分ではない誰かを。そしてそれはリアンが続けた言葉によってわかった。
「やはりあなたはあの二人のお孫さんなのですね。容姿や毅然とした態度はおばあさま譲りなのでしょう。そして何よりその紅く炎のように燃えるような瞳。それはおじいさま譲りですね。彼もあなたと同じ瞳をしていました」
「その話をもう少し詳しくお聞かせください!」
ミラは前のめりになるくらい自分の祖父の情報に食らいつく。
「おちついてください」
「し、しつれいしました...」
ミラは自分がはしたない態度をとってしまったことに顔を赤くした。しかしそれも仕方ないことなのだろう。彼女はリアンにそのことを聞きに来たのだから。ずっとわからなかったことがすぐ目の前にいる人によってわかるようになる。そのような状況で常に冷静でいられるのは余程肝が据わった人だろう。
「あなたはおじいさまのことをどこまで知っていますか?といってもほとんどなにも知らされていないでしょうが」
「はい。その通りです。私はおじいさまの素顔も名前さえも知らされていません。直接おばあさまに聞いても答えてくれず、おばあさまと交流の深い人に聞いても知らないのか、言えないのかわかりませんが教えてくれませんでした。それなら自分で調べようと思ったのですが何も成果は得られませんでした。」
ミラはしょんぼりとし、肩を落とした。
「わかったことといえば、昔おばあさまと出会ったこと、そして最後はいなくなったことくらいです」
「そうでしょうね。あなたのおじいさまについてはあなたのおばあさまが緘口令を敷きましたから、ほとんどの人はしらないでしょう」
「なぜ、おばあさまはそのようなことを...」
ミラは祖父についての緘口令が敷かれていたことを初めて知った。緘口令を敷く場合は主になにか悪事を働きそれを広めないように強制する場合と、一族の秘密を守り抜くための場合がある。ミラは自分の祖母が悪事に手を染めたなどということは考えられなかった。したがって、当時の何かの秘密を守り抜くためだと考えた。
「そうですね。これはもう教えてもいいでしょう。あなたのおばあさまはまだ早いと思い教えていないのかもしれませんが、もう良いでしょう。あなたのおじいさまについて、私が知る限りお伝えします」
リアンはそこでいったん区切り、おとぎ話を始めるかのように語った。
「これは語られることのなかった物語。あなたのおばあさまと...いえ、アリア・オルレアンとルイス・オルレアンの物語」