第8話 突撃メッセージ
伊織が予見したように、翌日以降も晶の周りには常に人だかりができていた。
幸いと言うべきか、彼らと会話することに違和感や困難を覚えることはない。
一方で気づかされるのは、晶に近づいてこない生徒たちの存在だ。
現在の人垣は基本的にコミュニケーション能力が高く友好的な人間で構成されている。
その反対の性質を持つ人物――敵対的な態度を隠そうともしない一部の女子や、いわゆるマイノリティ勢だって高校生であることに変わりはない。
しかし、残念なことに晶は彼らと話をする機会を得ることができていない。
マジョリティの生態を観察するだけでは『高校生を知る』という目標を達成することは叶わない。
昔は割と誰とでも会話していた記憶があるのだけれど……今となっては同じ手管は活用できない。
「あ……」
晶の視線の彼方で席を立った男子がひとり。目下のところ、彼こそが2年C組において最も気になる人物である。
生徒たちの壁の向こうで、巨体をせせこましく座席に収めていた幼馴染の『高坂 孝弘』だ。
それとなく観察している限りでは、学校での孝弘は常に厳つい顔に難しい表情を浮かべたまま。
高校生らしくない立ち居振る舞いで、周囲の人間からあからさまに浮いてしまっている。
兎にも角にも寡黙な男だ。よく言えば落ち着きがあり、悪く言えば威圧感が半端ない。
決して陰気というわけではないことは10年来の付き合いで理解しているが……
――あっちもほっとけねーな。
「悠木さん、どうかした?」
晶の様子が気になった生徒のひとりが尋ねてくる。
確か水島という男子だったはずだ。編入してから数日で、微妙に顔と名前が一致しない。
いかにもオシャレに気を遣っています的な整った容貌は、以前の晶であれば嫌悪感を抱いていただろう。
今の晶の胸中には、そういう感情は湧いてこない。
有限である時間やエネルギーをどこに投入するかは個人個人が判断することであって、それぞれに尊重されるべきだと認識している。
ただし、他人に迷惑をかけない範囲に限定されることは言うまでもない。
閑話休題
「ああ、いや……さっき教室を出て行った男子なんだけど」
「え? ああ、高坂か。あいつのことはよくわからないな。ゴメンね」
さわやかスマイルと共に吐き出された言葉から、微かな棘を感じる。意識しすぎか。
もっとも、水島からはネガな印象は受けない。悪気がない分だけ余計に質が悪いとも言う。
……クラスメートから『よくわからない』などと評されてしまう孝弘に対して苛立ちを覚える。
「へぇ、そうなのか。顔の広そうな水島でもよくわからねーなんてなぁ」
笑顔を崩すことなくコメントを返しつつ、心の中ではイライラが募る一方で。
言葉にできない分だけ、余計に感情が波を打つ。
――あのバカ、高校生にもなって昔に逆戻りかよ!?
人前だから、舌打ちは我慢した。
★
晶と孝弘の関係は10年以上前、幼稚園時代にまで遡る。
そのころから同年代に比して体格に優れていた孝弘は、目立つ外見とは裏腹に意思表示が下手だった。
自分の考えを口にするのが苦手なタイプで、傍から見ていた晶は『アイツ、いつも損しているな』という印象を持っていた。
対する晶はというと……大人相手にも物怖じすることなく、同年代の子どもとも普通に遊ぶ、どこにでもいるような子どもだった……と思う。
周りからどのように評価されていたのかは知らない。
きっかけは幼稚園の先生の言葉だったと記憶している。いわゆる『あの子とも仲良くしてあげてね』的な奴。
子どもからすると有難迷惑だったりするのだけれど、当時の晶は特に疑問を抱くことなく孝弘に接近した。
ほかの園児たちは自分たちよりも図体のデカい孝弘にビビって気後れしていたけれど、孝弘よりもっと大きな大人の存在を思えば何を恐れることがあろうか。
後から考えると、この発想はどうかと思わなくもないものの……何はともあれ晶による一方的な『今日からオレがお前の友達だからな』宣言から、ふたりの関係は始まった。
孤独な園児をそのままにしておかないという先生たちの思惑どおりに事は運んだのだが、予想を外してしまった部分もあった。
きっと彼らは晶が孝弘を引っ張り回して、最終的にほかの園児たちの輪の中に溶け込めるようにしてほしかったのだろう。
実際の晶がしたことと言えば、孝弘の話を辛抱強く訊いたくらいのもの。決して無理やり身体の大きな少年を振り回すことはしなかった。
概念を知悉しないままにデリカシーを意識していたのだと思う。可愛げのないガキと言うなかれ。
……ちなみに引っ張り回す役は、のちに知り合うことになる、もうひとりの幼馴染が担当することになったわけだが。誰あろう都である。
小学校に入学する頃には、晶と孝弘そして都の3人は行動を共にすることが多くなった。
小学校高学年のあたりから孝弘の背がぐんぐん伸び始めた。
決して口には出さなかったが、当時の晶は高身長の幼馴染に対し密かにコンプレックスを抱いていた。
中学校に入学する頃には孝弘は学年一の大男に成長しており、それに目を付けたバスケ部から勧誘を受けた。
3人が通っていた西中は部活必須だったので、特にやりたいことが見つからなかった晶たちは流されるままにバスケ部に入部。
バスケ部では孝弘は大活躍したものの、晶の方はそれなりと言ったところ。都は女子バスケ部で無双していた。
そして中学3年生の夏を目前に控えたある日――晶が突然ぶっ倒れた。TSである。
★
自室のベッドで寝っ転がって過去に思いを馳せ、ここ数日の状況を振り返る。
観察した結果、孝弘は……晶と出会う以前とあまり変わらない状態に戻ってしまっている。
今となっては晶しか知る者のいない昔の孝弘の姿と被って見える。当の本人が孤立気味な状況を問題視していない点も酷似している。
主義主張は個人の自由……と言いたいところだが、一足先に社会に出てしまった晶としては物申さずにはいられない。
――それに、なぁ……
クラス委員長である伊織との微妙な距離感も見過ごせない。
機嫌の悪い都を前にして一歩も引かない彼女ですら、孝弘を前に怖気づいていた。
あの様子から推測するに……周りの人間はコンタクトを取ろうとはしないだろう。
あまり望ましい状況ではない。晶にとっても、クラスメートにとっても、そして孝弘自身にとっても。
「とは言うものの、どうしたもんかね……」
天井を眺めながら独り言ちた。ひとり暮らしは独り言が増える。
教室では取り巻き(と言う表現は嫌だが)が多くて物理的に接近できない。
放課後に追いかけようとしても、奴はすぐに姿を消してしまう。
伊織曰く、孝弘は文芸部に所属しているとのこと。予想外にも程がある答えだった。
『マジかよ!?』
『マジもマジ。……晶と高坂君は幼馴染なんだよね?』
逆に伊織に関係を訝しまれる始末。
記憶にある孝弘と文芸部という単語のイメージが、どうしても結びつかない。
目的地は判明したのだから文芸部の部室に行けば……と思い立って実際に足を運んでみた。
文芸部は本校舎から離れた部室棟(築数十年のオンボロ木造)の1階の端にある。
そこまで突き止めてはいるのだが、会えない。あからさまに避けられている。
思い当たるところがアリアリの晶としては愚痴ることすら儘ならない有様で……会話の取っ掛かりすら見えないまま日々を過ごしている。
夏休みは着実に迫ってきている。孝弘の予定は定かではないが、晶は仕事にレッスンにと大忙しだ。
このままではマズい。2学期まで放っておくのは精神的に耐えられない。焦りを覚える。
枕元に手を伸ばした。充電中のスマートフォンを引っ掴んで画面をタップ。
そこに表示されたのは――ラインアプリ。
初日に伊織と別れる際に連絡先を交換しており、2年C組のグループにも招待されている。
ログに目を通してみたのだが……中では特定の生徒がダベっていた。メンバーは固定されており、他の生徒は姿を見せない。
クラスの連絡用という名目のはずだが、これではまるで役に立たない。別途連絡専用のグループが作られているのは、さすがに呆れざるを得ない。
まあ、それはそれとして――
「コイツを使えば……」
晶のスマホは中学時代に持っていたものとは別のもので、幼馴染たちの連絡先は登録されていなかった。
今は……孝弘のIDが手に届くところにある。このチャンスをみすみす逃すのは、あまりにも勿体ない。
「でも、これっていきなりメッセージ飛ばしていいのか?」
晶は秀麗な眉を寄せた。どうにも距離感を計りかねている。
上京して以来、様々な分野で関わってきた人たちとは、ごく普通に連絡先を交換してきている。
とは言え、その大半の面子とは仕事の関係ぐらいでしかメッセージのやり取りはしない。
お互いのプライベートにはあまり深くかかわらないことが、暗黙の了解として成立していたから。
孝弘はクラスメートであり、幼馴染ではあるが……晶の方から関係を切った間柄でもある。
「いや、でも……イマドキこれくらいは普通か? つ~か、この『友だちリスト』って呼び方がなぁ……」
液晶とにらめっこしつつ煩悶し、ベッドを転がりまわった結果――晶は孝弘を友だちリストに追加してメッセージを送った。
嫌がられるのではないかと不安がよぎりはしたが、他に対話の機会を作る手段が思いつかない。
『話がしたい。部室か自宅か好きな方を選べ』
よくよく考えてみれば、晶は孝弘のIDを記憶していないが自宅の場所はわかっている。
引っ越したという話は聞かないから、どうしても話をしたければ家に突撃すればよかったのだ。
さすがに孝弘に迷惑が掛かる気がしなくもないので、本能的に避けていた選択肢ではあるのだが。
なお、電話で済ませるという発想はなかった。内容が内容なので……できれば直接、しかも余人を挟まずに話したい。
「既読がつかねー。アイツ何やってんだ、もう……」
誰も聞いていない愚痴が、室内にやけに大きく響いた。
心臓がバクバクと鼓動を打ち、スマートフォンを握る手に汗が滲む。
画面を睨み付けること暫し――ようやく既読が付いた。
『部室で』
「もっとなんか言うことねーのかよ!」
あまりにもそっけない返答に、晶は思わずスマートフォンを投げつけた。
自分のメッセージも大概酷いということは棚に上げている。
理不尽な八つ当たりを受けた小さな精密端末は、ふかふかの枕に当たってぼすっと落ちた。
――まぁ、何はともあれ一歩前進ってことで……
『明日の放課後、逃げんじゃねーぞ』