第6話 再会ブルーコンタクト
『県立佐倉坂高校』本校舎2階。放課後の廊下。
晶に声をかけてきたのは、ショートボブの黒髪とさめざめとした美貌が印象的な少女だった。
彼女の名前は――誰かに紹介されるまでもなく知っている。
『仲村 都』
晶にとっては大切な幼馴染であり――初恋の相手でもあった。
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「生徒会が、どうかしたのかしら?」
感情の込められていない声は、夏の熱気にうだる廊下にあって寒々しく響いた。
晶の隣りに立っている伊織が『副会長』と呼ぶ声からは、仰々しい役職とはかかわりのない親しみを感じられる。
両者の間に友情が成立していることが見て取れて、少し嬉しくなった。
……にもかかわらず晶に対するこの塩対応。ツライ。心当たりがあるだけに、文句のひとつも口にはできない。
「都、この子、今日からうちのクラスに編入した『悠木 晶』さん」
紹介されてスルーするわけにもいかない。
先ほど思わず呟いてしまった『都』という声は、伊織の耳には届かなかった模様。
「いよう、久しぶりだなみや――」
「はじめまして、悠木さん」
以前のように挨拶しようとしたら、都が食い気味に被せてきた。しかも『はじめまして』ときた。
『TSシンデレラガール』として圧倒的な知名度を誇る『結水 あきら』を知らないわけがない。
そして都はTS前後の晶の姿を知る数少ない人物のひとりだ。気付いていないはずがない。
冷徹な反応を返したくなる気持ちは理解できるが、いくらなんでも『始めまして』はないだろう。カチンときた。
なお、西中出身者の大半は女性になった晶の姿を知らない。TSして以来、一度も学校に通っていなかったから。
「ゴホン……どうも、ご紹介にあずかりました『悠木 晶』です。はじめまして」
「……」
芸能界で鍛えた100%の笑顔と共に軽く会釈。
自分から言い出したくせに、都は軽く眉をしかめた。
平静を装っているものの、瞳に困惑の色を浮かべている。
――そっちが言い出したくせに、そんな顔すんなよ……
「それで、生徒会に何か用?」
耳元の髪を軽くかき分けつつ、何事もなかったかのように伊織に話しかけている。
……都は問題を棚上げするつもりのようだ。釈然としないが追い打ちはしない。藪をつついて蛇を出したら厄介だから。
「えっとね、あきらが――」
「あきら?」
澱んだ声だった。伊織が晶を呼び捨てにしていることが気に障ったようだ。
終始柔らかい笑顔を浮かべている伊織とは対照的に、都の表情温度がどんどん下がっていく。
伊織と会話しているくせに、顔――と言うか厳しい視線が晶に固定されているせいで、おっかないことこの上ない。
「高校生役の演技の参考のために、『これぞ高校生ッ!』っていうようなネタを探してるって」
「ふ~ん。それがどうして生徒会の話になるのかしら?」
生徒会なんて中学校でも存在するでしょうに。
都はそう付け加えた。あくまでも会話は都と伊織の間でしか成立していない。
思いっきり晶はハブにされていた。すぐ傍に居るのにこの距離感……寂しい。
――ん?
違和感があった。
どうして都と生徒会の話が結びつくのか。
編入初日の晶としては、そこがわからない。
「なあ伊織」
「伊織?」
ついには晶が伊織を呼び捨てにするところにまで都のチェックが入った。直接会話しようとはしない癖に聞き捨てならないらしい。
プレッシャーに耐えきれなくなって視線を逸らすと、先ほどまで遠巻きに晶たちを窺っていた生徒たちの姿がない。
現役TS女子高生グラビアアイドル兼女優である『結水 あきら』とお近づきになる機会を探るより、都のブリザードから逃げ出すことを選んだらしい。
まったくもって懸命だと言わざるを得ない。晶も彼らと同じ立場なら今すぐ回れ右して駆け出していただろう。
せめて一度撤退して対策を立て直してからでないと辛すぎる。
「いや、えっと……葦原さん?」
「ん?」
伊織の表情は変わらない。相変わらず穏やかな笑顔だ。でも妙な迫力がある。
このクラス委員長、柔和な見た目とは裏腹に実は相当肝が太いのではないかと疑問が湧いた。
その割には孝弘が相手だと委縮していたようだから……実は男性が苦手だったりするのだろうか。
気になると言えば気になるけれど、そこは後回しでもよかろう。当面の危機を潜り抜けることが先決だ。
「その……こちらの仲村さんと生徒会って何か関係があるのか?」
「『仲村さん』? あれ、私、都の名字教えたっけ?」
伊織は笑みを浮かべたまま首をかしげた。
都は残念なものを見る目を晶に向けながらゴホンとひとつ咳払い。
『互いに初顔合わせの設定を押し通しているのに、お前はいったい何をやっているのか? それでも女優か?』
物を言わない冷徹な瞳が、閉ざされたままの口以上に語り掛けてきている。
晶としては普通にアイコンタクトが成立する点に驚きを禁じ得ないのだが……
「……さっき聞いたような気がするんだけど?」
笑顔で惚けてみた。
頷く伊織、顔を顰める都。
ふたりの反応は何とも対照的だ。
「そうだったかな? まぁ、別に良いか。えっと、こちらの仲村さんは生徒会の副会長なの」
「え、生徒会? 副会長? マジかよ!?」
ついうっかり本音が零れた。晶は目を剥いて驚いてしまった。
作り込んでいたはずの笑顔の仮面には大きな罅が入ってしまっており、動揺を隠せていない。
――いや、いやいやいや……仕方ねーだろ、これは……
晶は内心で自己弁護に走った。もちろん誰にも聞こえない。つまり意味がない奴。
なまじ『仲村 都』という人物を知悉しているがゆえに、生徒会などというグループに所属しているという情報のインパクトが半端ない。
しかも副会長。生徒側のナンバー2ではないか。これは驚かずにいられようか。
何せ晶の知る都と言えば――
「私が生徒会の副会長だと、そんなにおかしいかしら?」
先んじて都が牽制してくる。嫌な以心伝心だった。
同時に目つきの鋭さが増した。真夏とは思えないほどに冷たい空気がヤバい。鳥肌が立ってきた。
確か温度の低下には限界があるはずなのだが……都の視線に限って言えば、物理法則は適用されない模様。
――マジで務まるのかよ、副会長なんて……いや、案外アリなのか?
沈黙したまま思考がグルグル渦を巻く。
都が副会長……一週回って適任のような気がしてきた。
頭の中がまとまらないまま、艶めく桜色の唇が開かれそうになったその瞬間――
「ううん、おかしくないよ。都は真面目だし、成績もいいし」
「へ、へぇ……そうなんだ」
伊織の助け舟のおかげで、辛うじて漏れそうになった本音を飲み込むことができた。
当の都は褒められてドヤ顔を晒している。
見慣れていない人間には落ち着いたままに見えるだろうが、長年にわたって幼馴染を続けてきた晶にはわかる。
あれは絶対にドヤ顔。思いっきり調子に乗っている。あと、目が全然笑ってないのが超怖い。
――どういう表情だよ、それ……
高校生の生態よりも、味がありすぎる都の表情の方が気になって仕方がない。
「そうねぇ……生徒会と言っても特に『女優の結水さん』が気にかけるようなことはないと思うけど」
「……そうなのか?」
立ち直った晶の問いに都は頷いた。ようやく成立した会話がこれ。
ショートボブの毛先が首の動きに合わせて微かに揺れた。
控えめに言って物凄く可愛い。ひとつひとつの所作に思わず目を惹かれる。
「貴女がどんな想像をしているのかは置いておくとして、生徒会なんて所詮職員室の使いっ走りみたいなものだし」
都の言葉は想像以上に身も蓋もなかった。
もう少しオブラートに包んだ表現を心がけないと、来年以降生徒会選挙の立候補者がいなくなるのではないだろうか。
この場には晶たち3人しかいないので誰にも聞かれていないとは思うが……
「だったら、どうして生徒会に入ってるんだ? 嫌なら辞めたらいいんじゃねーの?」
晶と都にまつわる蟠りとか幼馴染がどうとか、そういう話を抜いた純粋な疑問だった。
その言葉に、都は軽くため息をついた。
「普通の部活と違って、『思ってたのと違うから辞めます』なんて言えるものではないの。それに――」
「それに?」
ほんの一瞬、言葉を飲み込んだ都に続きを促した。
このあたりの会話の流れは、昔の関係を思い出させる。
「煩わしくはあるけれど……学校にとって、生徒にとって欠かせない存在でもあるわ」
やりがいはあるのよ。
都は誇らしげに胸を張り、ほんの少しだけ顔に穏やかな笑みを浮かべた。
やはり晶や孝弘でないと判別できない程度の些細な表情の変化だ。
「中学校までとは違うことをやりたいとも考えてたし、ちょうどよかったのよ」
あまり参考にならなくて悪いわね。
そう言い残して都は廊下を歩み去っていった。
気の利いたことのひとつも言えないままに、久々に再会した幼馴染の背中を見送っていると――
「ね、あきらって都と同中だよね?」
「ああ、西中な」
「ひょっとして……ふたりはお友達だったりした?」
「気づいてたんかい!」
晶は白い手の甲で伊織の胸にツッコミを入れた。
程よく膨らんだ柔らかくて暖かい胸の感触。
伊織はテヘヘと笑い、ペロリと舌を出す。
頭と一緒に三つ編みおさげが揺れる。
「その、何となくタイミングを逃したっていうか……都、機嫌悪そうだったし」
「そっちも気づいてたんかい!」
もう一度、少し強めにツッコんだ。
天使っぽいと思ってたのに……コイツはコイツで油断ならない人物だ。どうにも一筋縄ではいきそうにない。
晶は脳内メモの伊織の項目を『救世主』から『要注意人物?』に書き換えておいた。