第5話 放課後ガイディング
本日3話目。
高校生活一日目の授業は恙なく終了した。
授業終了を告げるチャイムと共に、晶の周りに集まろうとする生徒たちの前に敢然と立ちはだかる影ひとつ。
おさげ髪の隣人、伊織であった。
「ごめんね、みんな。私、先生から悠木さんを案内するように頼まれてるから」
クラス委員長の言葉にブーイングが巻き起こる。
「委員長だけひとり占めってズルくない?」
「だったら俺たちも一緒に回ればいいじゃん」
「そーだそーだ。横暴だ!」
――何なんだ、こいつらの言い草は!?
編入初日から揉めるのは良くないと我慢してきた。
互いの距離感がわからなかったから、余計なことを言わないよう気遣ってきた。
しかし――これはちょっと看過できない。身勝手にも程がある。
ひと言物申してやろうと腰を浮かしかけたその時、
「まあまあ、そう言わないで。これも委員長の仕事だから。ね?」
伊織が軽く頭を下げて見せると、教室内の空気は何となく沈静化してしまった。
彼女の言葉が持つ力。それはきっとこれまで積み上げてきた信頼の賜物。
あくまで穏やかな態度を崩さない伊織を見ていると、カッとなった自分が恥ずかしく思えてくる。
ついでに朝から晶に当たりが強かった女子たちの『いちいち囲んでんじゃねーよ』という横槍も入り、生徒たちはひとりまたひとりと立ち去っていく。
「よし、それじゃ行こっか、あきら君……あきらさん? ちゃん?」
「……面倒かけて悪いな、伊織。呼び方は好きにしてくれ」
「わーい。それじゃあきらって呼び捨てでいい?」
「おう、いいぞ」
ふんわりした雰囲気の中に芯の通った強さを見せる伊織には好感が持てた。
生真面目そうな、そして苦労人のような。そういう人間特有の優しさを感じる。
軽く頷いて微笑み合い、ふたり揃って鞄を持って教室を後にする。
チラリと孝弘の席に視線を送ると、そこに幼馴染の姿はなかった。
★
「今日は大変だったね」
伊織のねぎらいの言葉が意味するところは明白だ。
休み時間が訪れるたびに晶の周りにはクラスメートの人垣ができていた。
顔と名前が一致しない生徒たちから次々と浴びせられる質問に辟易していたのは事実だが、それを表に出すことはしない。
「いや、伊織の方が大変だっただろ?」
チャイムが鳴るたびに晶に群がる連中を捌いていた姿が思い出される。向けられる視線を物ともせずに。
晶の方は自業自得と言えなくもないが、伊織は完全にとばっちりだ。
嫌な顔ひとつ見せないものの、精神的な疲労は蓄積されているはず。
「ん? 私は何ともないよ?」
あくまでナチュラルな伊織に感嘆を覚える。
プロのマネージャーですら時々ウンザリしているというのに。
「マジか……凄ぇな。連中の方は……まぁ、しばらくすれば収まるだろ」
「収まるかなぁ」
晶は気付いていなかったが、実は余所のクラスからも少なくない生徒が2年C組に足を運んでいた。
上級生から下級生まで幅広く注目を集めまくっていることを察している伊織は、晶の楽観論に懐疑的だ。
佐倉坂高校における『結水 あきら』フィーバーは当面の間続くことになるだろうと予測している。
「……収まらなくても、もうすぐ夏休みだし」
「それは……そうだね。でも、夏休み明けが大変そう」
「そこまで続くか、この状況?」
「あきらはもう少し自分の影響力を省みた方が良いと思う」
晶を案内し始めてから、伊織はずっと居心地の悪そうな表情を浮かべている。
すれ違う生徒たちが見せる尋常でない反応を気にしている模様。
彼女はこれほどの注目を浴びたことがないようだ。無理もない。
晶だって芸能界に身を投じなければ、ここまで人目を惹くことはなかっただろう。
……幸か不幸かは定かではないが、今ではすっかり慣れてしまった。
それでも、ここはとりあえず遺憾の意を表明しておく。
「ええ~そうかぁ」
目前に迫っている夏休みは、学生にとっての一大イベントである。
一か月以上の空白期間を置けば、もう少し沈静化する……と思いたいところ。
ただでさえ仕事が入って登校日数が少なくなるのに、このままではまともな高校生活が覚束ない。
「芸能人がどうこうを抜きにしても、あきらは美人だしスタイルもいいし。男子が放っておかないって」
「どいつもこいつも暇人ばっかりか。容姿についての評価は否定しねーけど」
「……否定しないんだ」
「一応、この顔と身体はオレの売りなもんで。自分から値下げはしねーよ」
「なるほど。もう社会に出て自分でお金稼いでるんだもんね」
伊織は感心した様子で『ふー』と息を吐き出した。
晶は単純に見てくれの良さを鼻にかけているわけではない。
大事な商売道具としての価値を適正に評価するよう心掛けている。安売りはしない。
「そんなこと言うけど、伊織だってめっちゃ可愛いと思うんだが」
「え、そ、そんなことないよ」
いきなり褒められて顔を赤らめる委員長。ブンブンと頭を振るとおさげが揺れる。
根が真面目に過ぎるせいか、こういう話に慣れていないようだ。
そこがまた純朴そうに見えて……イイ。晶のように目立つだけが能ではない。
絶対こういうタイプは男子にウケる。元男子であった晶にはわかる。
「中学までのオレだったら、とてもじゃないけど声掛けらんねーわ」
「もう……からかわないでってば」
「いや、マジでマジで。伊織こそ意識した方が良いんじゃねーの?」
「むー」
伊織は頬を膨らませて抗議の意思を示してきた。
陰口ではないとは言え、高校生活における救世主的存在の彼女を機嫌を損ねるのは得策ではない。
この話はここまで。でも、伊織が可愛いのは本当だ。彼氏とかいるのだろうか? 気になる。
――ふむ……
頭を切り替えて校内の様子を子細にチェック。
晶がこの佐倉坂高校に足を踏み入れたのは、今日が初めてというわけではない。
……入学手続きは事務所のマネージャーがほとんど動いてくれたので何もやっていないが。
「この学校って、こんなんなってたっけか?」
見るものすべてが珍しくはありつつも、どこかしら記憶を刺激してくる。
すべての教室にエアコンが完備されているところとか、校内を照らす蛍光灯がLEDに置き換わっているところとか。
細かくチェックしていけば、もっと沢山の違和感ポイントがあるはずだ。いちいち列挙はしないけれども。
「ん? あきらって、この学校は初めてじゃないの?」
隣を歩いていた伊織がコテリと首をかしげた。
「ああ。中3の頃に体験入学で来たことある」
「あったね。体験入学。たった一日で何がわかるのって感じだったけど」
「だよな……って、伊織も来てたのか、あれ?」
「うん。ひょっとしたら、私たちどこかですれ違ってたりしたかもね」
廊下を歩きながら顔を見合わせてくすりと笑う。
そんなふたりを見て興味深げな視線を向けてくる者たちもいる。
校舎内に残っているのは部活動に勤しむ生徒だけではなかった。
教室に残って学業に勤しむ者、図書室で読書に励む者、特に理由などなく雑談に興じる者。
――う~む、これが高校なのか?
『中学校とあまり変わらないな』というのが率直な感想だった。
高校を舞台にしたいくつかの物語に目を通した印象では、もっと特別な世界だとばかり思っていたのだが。
大人と子どもの境界線をウロウロする生徒たち。将来を見据えた希望と不安がない交ぜで、恋に部活に青春三昧。
首をかしげると艶めく黒髪がサラリと流れ落ちる。ちょうどすれ違った男子が『うわぁ』と浮ついた声をあげた。
晶の目に飛び込んできたのは――掲示板に張られた手書きのポスター。『バスケ部、部員募集中!』の文字が躍っている。
「なんかこう、怪しげな部活とかないの?」
「いきなり何かと思えば……漫画とかアニメみたいな? う~ん、そう言うのはないかな」
「なんだ、つまらん」
「運動部に変な競技はないし。文化系は部室棟に行けば……ううん、あっちも普通だと思う」
軽音楽部、お料理研、演劇部、美術部、吹奏楽部などなど……
指折り数えて確認してはいるものの、佐倉坂高校歴一年と数か月の伊織としては特に思い当たることはないようだ。
彼女のようなタイプは部活動紹介のパンフレットなどにもキッチリ目を通しているはず。
つまり、この学校には面白おかしい部活はない。
「そうなのか? 普通かぁ。高校ってよくわからんな」
晶の慨嘆を耳ざとく拾った伊織が、怪訝な瞳で問いかけてくる。
「『よくわからん』って、どういうこと?」
頭の後ろで手を組んで、しばし瞑目。
背筋が反らされて人並み外れて豊かな胸が強調される。
伊織は頬を朱に染め、通りがかりの生徒が大きく目を見開いた。
……目を閉じている晶はどちらの反応にも気づかない。
――答えるべきか否か……って、別に隠す必要はねーか。
「実はさぁ……オレ、高校生役のオーディションに落ちたことがあってさ」
「うそ、『結水 あきら』でもオーディション受けたりするの? オファーとかバンバンあるんじゃなくて? え、今、落ちたって言った?」
伊織の声からは純粋な驚きが溢れている。今日イチかもしれない。
『TSシンデレラガール』として全国トップクラスの知名度を誇る女優『結水 あきら』と『オーディション』という単語、そして『落ちた』という情報が頭の中で上手く結びつかないらしい。
「普通に受けるよ、オーディション。もちろん貰ったオファーの仕事もやるけど。そんでさ、落とされた時に監督から『君は高校生を分かってない』って言われてな」
「へぇ~」
伊織の嘆息は複数の意図を含んでいるように聞こえた。
晶の地道な芸能活動に対する興味と、『高校生を分かっていない』という言葉に対する疑問。
「伊織の眼から見て『これぞ高校生ッ!』っての、何かある?」
無茶ぶりだった。とは言え……喫緊の案件ではないにしても、晶としてはバカにできない問題ではあった。
せっかくのJK女優なのにJK役ができませんでは旬を逃してしまう。
芸能界の最前線から退く羽目になったのだから、せめて何かしら学びがなければ勿体ない。
その真剣なまなざしにジョークの類ではないと察した委員長。真面目か。真面目だ。
唇の下に人差し指を添えて、心持ち視線をあげて思索に耽る。歩みに合わせておさげが揺れた。
「いきなり言われてもなぁ……『高校生とは?』って哲学的だね」
「他は……ああ、そうそう生徒会とかどんな感じ?」
いいこと思いついたとばかりに指を鳴らした。
生徒会といえば、校内に隠然たる権力を持つのがフィクションではお約束。
狭い生徒会室で頭脳エリートたちが権謀術数巡らせて、爽やかな学生生活を影から支配する。
『生徒による自治』などという怪しげなスローガンを掲げて、教師からの干渉を阻止していたり。
『恋愛は戦い』などと称してコントを繰り広げたり。いずれも酷い偏見である。
「生徒会が、どうかした?」
唐突に声が掛けられた。聞き覚えのある声だった。
真冬の早朝を思わせる、寒々しくも澄み切った声。
本能レベルで身体がビクリと震えあがった。
「あ、副会長だ」
「副会長?」
――大物じゃねーか。
伊織に続いて前を向いて――思わず『ヒッ』と息を呑んだ。
そこにいたのは――見覚えのある少女だったから。
あっさりしたように見えるショートボブの黒髪が、実は丁寧に手入れされていることを知っている。
整った顔立ちに凛とした眼差しは記憶の中の彼女より幾分大人びていて、『可愛い』と評するよりも『美人』と称する方が相応しかろう。
背は晶より少し低くて全体的なシルエットは慎ましやか。いや、訂正……細身……ではなくてスレンダーな美に溢れている。
「……都」
掠れた声が、リップで煌めく唇から漏れた。
『仲村 都』
孝弘と同じく、彼女もまた大切な幼馴染だった。
TSして街を離れて以来、没交渉であったことも共通している。
向けられた冷ややかな双眸に射貫かれて、晶の背筋に寒気が走った。
明日からは1日1話の予定です。
やっと幼馴染ふたりが出せた……