第52話 守りたいもの
すみません、お待たせしております。
牛歩進行ですが、最後までお楽しみいただければ幸いです。
「もしもし、雅先生」
都が連絡を取った先は、晶の主治医である雅だった。
それ自体は別に驚くことではない。
ただ――
――やっぱり『雅先生』呼びは違和感あるよな。
晶の知る限り、都と雅は特に仲が良いということはなかった。
しかも連絡先を交換しているなんて……
もちろん、晶不在の期間に親しく関わるようになったという可能性はある。
とは言え、ふたりの共通点は他ならぬ晶ぐらいしか思いつかない。
その晶をして、ふたりがここまで接近している理由はわからない。
周りに目をやると、孝弘も伊織も首を横に振っている。
「はい。遅くにすみません。実は晶が倒れて……今はK市の水族館の医務室です」
都が現在の状況をかいつまんで説明している。
声はフラットなまま。途中でひと息入れた都は、思い切って言葉を紡ぐ。
「それで、倒れた晶が目を覚まして東京に行くと言ってるんですが」
声に微かな棘が混じっている。明かに晶の選択を良しと思っていない。
しばらくの沈黙ののち――都がスマートフォンをテーブルに置き、ディスプレイをタップ。
通話モードがスピーカーに変更される。
『そこにいるバカ、返事をしろ』
不機嫌と言う感情を凝縮したような声。あるいは地獄の底から響くような声。
徹夜明けの身体に鞭打って、頭のおかしいバカの相手をする際に喉を通って出てくるのは、きっとこんな声だろうなと思わされる。
当のバカとしては耳に届くなり全身を震わせるほどの圧力がある。おそらく錯覚ではない。
「あ、えっと……雅さん。ども~」
『病院へ来い。今すぐにだ』
にべもなく否応もない。
余計な修飾も何もない。
殺伐とした苛立ちがグサグサ突き刺さってくる。
「ちょ、ちょっと待って。オレ、明日は東京に……」
『お前の体調管理については、主治医である私の意見が優先される』
「それは……オレよりも?」
『そうだ。そもそもお前が無茶をしたからだろう。こんなことになっているのは』
うんうんと頷く孝弘。
伊織も控えめながら同意を示している。
沈黙を守っている都の顔には、表情らしきものは浮かんでいない。
誰からも援護は期待できそうになく、身体を強張らせつつも晶は自らの意思を口にする。
「ごめん、雅さん。オレ、明日は絶対に外せない」
『……正気か?』
「ああ。ここで退いたらオレの女優人生が終わる。それって、今のオレにとっては死ぬのとあまり変わりないんだ」
『私はそうは思わんが』
「そりゃ雅さんはウチの業界のことを知らないから……いや、別に責めてるわけじゃなくて。ただ……」
『ただ?』
「前に雅さんが言ってくれただろ。QOLが大事だって。仕事が充実してるならそれでいいって」
『命と引き換えにする価値があるとは思っていない』
「価値云々はオレが決めることだぜ」
『……ともかく、主治医としては認められん。今のお前をひとりで東京にやるなど冗談ではない』
「雅先生」
晶と雅の会話に割り込んできたのは、ずっと沈黙を守ってきた都だった。
『ああ、都君。わざわざすまんな。面倒をかけ……』
「先生。晶を東京に行かせてあげられませんか?」
都の口から飛び出した言葉に、医務室にいた誰もが驚愕に目を見開いた。
一番びっくりしたのは、他ならぬ晶だっただろう。
これまで一貫して晶の仕事にネガティブな態度を取ってきた都がこんなことを言うなんて……
晶はじっと都を見つめた。ディスプレイを睨み付ける幼馴染の顔には一部の隙もなかった。
★
長い沈黙があった。
誰もが身じろぎひとつしないまま、時計の針だけが音を刻む。
そして――
『都君……はぁ、なんとなくそう言ってくるんじゃないかと思っていたんだ』
何やらとんでもない言葉がスマートフォンから聞こえてきた。
呆れたような、感心したような、何とも複雑なため息とともに。
――え? 今なんて?
『TSなんてマイナーなジャンルについて教えてほしいと尋ねてきたときから、まぁ、そういうことなんだろうな、と』
「先生、それは今は関係ないですよね」
『そうか? ふむ……そういうことにしておこうか。それで、具体的にどうするつもりだ? 腹案はあるのか?』
「私が晶に付き添おうと思います。薬は……晶」
「え、オレ?」
「雅先生から薬貰ってるでしょ? 今持ってる?」
「あ、ああ。なんでお前がそんなこと知ってるの?」
「理由なんてどうでもいいでしょ。あるのね?」
紅潮した顔のまま、えらい剣幕で捲し立ててくる都。
その有無を言わせぬ勢いに負けて、素直に頷いた。
「薬はこちらにあります。あとは私が傍に居て状況報告をすれば」
『何の資格もない未成年に私が患者を任せると思っているのか』
「それは……」
都が言い淀む。
なぜなら答えは決まっているから。
雅の答えは『NO』だ。彼女は医者だから。
そしてひとりの大人でもある。ここで手心を加えることはない。
『なぁ、都君。ひとつ聞かせてくれないか?』
「……何をですか?」
『君は悠木君の芸能活動に対して否定的だったと記憶している。その君が、どうして命を軽視して仕事を優先する悠木君を助けようとする?』
「都……」
「私は……」
晶、孝弘そして伊織。
三人の視線を受けて言葉を詰まらせた都は、しかし再び口を開いた。
目をギュッと固く閉じたまま。
「私は……確かに晶の仕事があまり好きではありません。裸になって男に媚びるなんて最低だって今でも思ってます」
「待て、オレは裸になってはいないぞ」
「あきら、今はそういう話じゃないから」
「少しは空気を読め」
「あ、はい」
左右から突っ込まれた晶は、黙って体を縮こまらせた。
「ええ、そうです。私は晶の仕事が嫌いです。でも、晶は……晶は自分の仕事が好きだって言うんです」
目を見開いて、ハッキリと言い切った。
「私は……晶を守りたい。晶が好きなものを守りたい。だって、せっかく晶が自分で見つけた夢なんだから」
孝弘が瞠目した。息を呑む音が聞こえた。
晶がいないところで語り合っていた問題だ。
都は都なりにちゃんと晶のことを考えていた。
身体の問題だけでなく、心の問題まで。
なお、当の晶は首をかしげている。知らないから当然と言えば当然だが。
「これでは、理由になりませんか?」
『……』
目を開けた都が見据える先――スマートフォンの彼方にいる雅は沈黙を守っている。
この水族館から遠く離れた『遠野総合病院』の『特別総合診断部』の一室で。
『……ふぅ』
溜め息が聞こえた。スマホから。
『悠木君をひとりで行かせるなんて論外だ。都君が付き添うにしてもダメなものはダメだ』
「雅先生……」
『都君、そこのバカを駅まで連れてきなさい』
「え?」
『そこからウチに来るまでの距離と、新幹線の駅までの距離に大差はない。つまりどちらに向かうにせよ、そこまでは君頼りになる』
「先生?」
『駅から東京までは私が付き添う。主治医だからな』
もう一度ため息。深い深いため息だった。
雅らしくないような、雅らしいような。
「先生!」
「雅さん……マジかよ!」
『都君に感謝しろよ。お前ひとりだったら首根っこ引っ掴んで病室に叩き込んでいたところだ』
「はい、それはもう……」
『……まぁ、わかってないんだろうな、君は。そういうところは鈍感だからな』
「なんです、それ?」
「先生、そんなこと今はいいじゃないですか!」
慌てた口ぶりで遮ってくる都の声に、電話の向こうからクックッと笑い声が重なった。
『おいおい。私はこれからサービス残業サービス出張なんだ。少しぐらいいいだろう?』
「先生、もうひとつお願いがあるんですが」
『言われなくても予想はついているが、一応聞いておこう』
「私も東京には付き添います。晶を放っておけません」
そう言い切った都は孝弘に視線を向ける。
「す、すみません、俺もご一緒させてください」
続いて伊織にも。
しかし――
「ごめん、都。私、家で待ってる弟たちに晩ご飯作らないと……」
申し訳なさげな伊織に、都は軽く頷いた。
「ううん。弟さんのことも大切。伊織はちゃんと帰ってあげて」
「うん……ごめんね、あきら」
「そんなこと気にすんじゃねーって。ありがとな、伊織」
『金はあるのか? 新幹線代を4人分は結構きついんだが』
「大丈夫です」
都も孝弘も力強く頷いた。
『わかった。駅で落ち合おう』
その言葉を最後に通話は切れた。
スマートフォンをしまった都の手が、そのまま晶の額に伸びる。
「熱はないわね。薬飲める?」
「都……」
「今は変なこと言わないで。アンタはちゃんと事務所につくことだけ考えてなさい」
「お、おう」
頷いて、バッグから取り出した薬を飲み込む。
「アンタのことは、私が守るから」
小さな都の呟きが耳朶を打ち、晶の眦から一滴の涙が頬を伝って流れ落ちた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




