第51話 目を覚ましたら
お待たせしております。
『TSシンデレラガールの凱旋』最終章が始まります。
闇に捕らわれていた。
全身に絡みつく重力と、どこまでも落ちていく感覚。
動くことはおろか、呼吸をすることもままならない。
何も見えず、聞こえず、声も出ず。
――誰か……誰か!
意識だけはいまだ残っているものの……徐々に霞がかって消えていくような感覚がある。
何もかもが曖昧で闇に溶けていくような恐怖に抗うために、心を強く意識する。
自分は誰だったか? 『悠木 晶』だ。最近は女優の『結水 あきら』でもある。
何をしてたのか? ダブルデート。もう終わるところだった。今日は楽しかった。
どこにいるのか? 水族館。駅に向かう真っ最中だった。
なぜ駅に向かう? それは――
思考にノイズが走った。
大切な人たちがいた。
そして、大切なものがあった。
自分は欲張りで、どちらも失いたくなくて、それで――
「……きら」
聞き覚えのある声と共に、闇の中に光が差し込んだ。
身動きの敵わない身体に活を入れ、必死に手を伸ばした。
――オレは、こんなところで立ち止まってられねぇんだ!
★
目蓋を開けると、白々とした明かりが目に飛び込んできた。
清涼感に溢れた、人工的な空間。
夏の猛威を感じさせない冷風が肌を撫で、背中には柔らかいベッドの感覚があった。
「……知らない天井だ」
「ボケてる場合か」
呆れたような声が返ってきた。
低くて重い声は、しかし安堵に満ちた穏やかなもので。
ぼんやりしてきた視界がクリアになると、見慣れた顔が揃っていた。
背の高い怜悧な顔立ちの男子――幼馴染の『高坂 孝弘』
ショートボブのツンツンした美少女――幼馴染にして初恋の相手『仲村 都』
人の好さげなウェーブ髪の少女――羽佐間市に戻ってきて知り合ったクラス委員長『葦原 伊織』
――ああ……
今日は彼らとともに水族館にやって来て、ダブルデート(と言う名目で孝弘と都をくっつける作戦)を楽しんだ。
そして『まぁ何とかうまく行ったかな』と帰宅して――
「あれ、ここはどこだ?」
否、帰宅ではなく、水族館を後にして駅に向かう途中だったはずだ。
なぜなら晶は明日東京で仕事があるから。
今日のうちに上京し、世話になっている芸能事務所に顔を出す予定になっていたのだ。
「ここは、水族館の医務室よ」
都の声。こちらもホッとした風であった。
「熱中症はないにしても、あまり動かすべきではないと思ったから」
最寄りの施設である水族館の医務室に連れてきた。
伊織は声を震わせながら、晶が意識を失った後の顛末を説明してくれた。
「なるほどなぁ」
断線気味だった記憶をより集めてみると、なるほど妥当な判断だと思えた。
意識を失ったまま自宅まで……と言うには遠い。重くはない。
うんうんと頷いて納得しかかった晶は、次の瞬間慌てて身体を跳ねさせた。
「そうだ、時間! 今何時だ!?」
「今か? 午後6時過ぎだ」
弾かれたように問いかけると、仰け反っていた孝弘が応えてくれた。
「ヤベェ、行かねぇと」
上体を起こすとふらつきを覚えた。
ベッドに手をついて身体を支える。
「バカ、急に動くな」
「行くってどこに行くつもりなの、アンタ?」
「あきら……」
三者三様の視線。
口調は優しくも厳しい。
身を案じてくれているのは嬉しいが、それどころではない。
「今日中に東京の事務所に行かねーとマズいんだよ」
予定ではダブルデートの後で新幹線に乗ることになっていた。
急のアクシデントで意識を失ったため、予約していた便はすでに発車してしまっているだろうが。
自由席でもいいので今からでも……
「お前、バカなのか?」
孝弘の声には、深い怒りが籠っている。
「バカとは何だバカとは」
「バカにバカと言って何が悪い。そんな体調で東京? 無茶しすぎだ!」
「無茶じゃねーし」
「無茶以外の何があるんだ。無理・無茶・無謀の大バカだ、お前は!」
いつもは平静を保っていることが多い孝弘が、珍しく声を荒げている。
その変貌に驚きはしたものの、晶が意見を翻すことはない。
「うっせーな。行かなきゃならねーんだよ、仕事なんだよ」
「口を開けば仕事仕事って、そんなに仕事が大事か?」
「ああ大事だね。オレ、仕事大好きだし」
「それは……俺達よりもか?」
「え?」
痛切な声で問われて、言葉に詰まった。
「お前がいきなり倒れて、俺たちがどんな気持ちだったと思う?」
「いや、別にそこまで言うことなくね?」
「いいや、言う。ただでさえTSの後遺症で体調に問題があるんだろう? もし何かあったらって考えるのはそこまでおかしいことか?」
「孝弘……お前」
「俺は、もうお前を失いたくないんだ」
羽佐間市に戻って来てから割と早めに仲直りした。
それから後は……割と控えめに晶を見守ってくれていた。
だから、孝弘がどのような思いを抱いていたかなんて……
「病院だ」
「はぁ!?」
「今日はこれから病院に行って先生に見てもらうべきだ」
何なら検査入院してもいい。
東京から羽佐間市に引っ越してきた最大の理由は体調不良だ。
これを回復させることは最優先であるべきだ。
孝弘の主張は筋が通っているから、反論の言葉はどうにも感情的になってしまう。
「バーカ、入院なんてできるか。絶対に東京に行くからな」
「晶、お前!」
「やけにこだわるわね」
激昂仕掛けている孝弘との口論に差し挟まれた冷たい声。
「都……」
振り向くと、もうひとりの幼馴染は腕を組んでベッド上の晶を見下ろしている。
「アンタが仕事仕事って言うのは今に始まったことでもないけど、さすがに命が懸かってる状況で無理を押し通そうとするほど馬鹿じゃないと思ってた」
「……それ褒めてんの? 貶してんの?」
「別にどっちでもないわ。ただ気になるだけ」
「都! そんなことは今はいいだろう!? このバカを病院に連れて行って」
いつもとあべこべだ。
日頃は冷静かつ穏当気味なふたり。
晶が絡むと孝弘は甘くなり、都はあたりがきつくなる。
でも――今日は正反対。
晶の身を案じる孝弘が先に我慢の限界を突破し、都は逆に落ち着きを見せている。
勢い込んでいた孝弘と都の視線がぶつかって――どちらも退かない。
しばしふたりで見つめ合って、晶に顔を向けてくる。
「晶……何かあるのか?」
「晶、答えなさい」
不安げに尋ねてくる孝弘と断定口調の都。
声を出すことなく状況を見守っている伊織。
それぞれの思惑を孕んだ眼差しが自分に注がれるのを感じて、晶は小さく口を開いた。
「それは……」
「それは?」
言うべきか、言わざるべきか。
逡巡の後、晶の唇が再び言葉を紡ぐ。
「……明日は発表会なんだ」
「発表会?」
訝しむ孝弘に頷きかける。
「ああ。オレ、今度映画に出ることになってさ」
まぁ主演じゃないんだけど。
晶の言葉に孝弘たちは驚き、お互いに顔を見合わせた。
★
「それは……おめでとう、なのか?」
「おめでたいに決まってるだろ」
戸惑い気味の孝弘に返す言葉が強くなる。
「と言われても、素人の私たちにはよくわかんない」
「あ、そう」
「ちなみにアンタにとって、それは命を懸けるに値するほどのことなの?」
都の問いはあくまで静かで、そして鋭い。
その切れ味に慄きつつも、晶は首を縦に振った。
「映画出演はもちろんいい話なんだけど……オレって病弱設定とかないのに、あの時ぶっ倒れただろ? あんなことが続くとスポンサーが二の足を踏むわけ」
『TSシンデレラガール昏倒』の報が流れた時も、テレビドラマ『鏡中の君』の関係者に対する誹謗中傷はあった。
真剣な抗議もあったが、中には『結水 あきら』への気遣いを装っただけの、どこぞの誰かの暇つぶしも含まれていた。
そして――そのおふざけが晶から未来を奪いかねないのだ。
「そうなるとオレは仕事がなくなって……後はわかってくれ」
『結水 あきら』を起用すること自体がリスクとなる。
たとえ晶が唯一無二のTS女優だとしても、他に代役がいないとしても。
「だから……『オレは元気だ。大丈夫だ!』って見栄を張らなきゃならないんだ」
都と正面から視線をぶつけ合った。
ふたりの間に不可視の火花が散り……それでも晶は退かない。
これまでは都に対してどこか腰が引け気味だったけれど、この瞬間、『悠木 晶』あるいは『結水 あきら』は『仲村 都』に遠慮しない。
先ほどまでは勢い込んでいた孝弘すらオロオロするほどの対峙を経て、都はスマートフォンを取り出した。
「都? 誰にかけるんだ?」
晶の声に都は答えない。
無言でディスプレイをタップし、ほんの僅かだけ硬直。
そしてそのまま自分の耳にあてた。
「都?」
再度の問いにもやはり答えはない。
都は通話に集中している。コール中のようだ。
トントンと中指を叩く仕草。あれは苛立ちがヤバいときの奴。
ややあって相手が通話に出たのだろう――都は口を開いた。
「もしもし、雅先生。少しお話が」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これまではある程度書き貯めてから毎日更新というスタイルで来ましたが、
最終章は1話ごとに時間をかけて更新する形になりそうです。
最期まで気長にお付き合いいただければ、幸いです。




