第49話 プロジェクト・アクアリウム その5
イルカショーの終了タイミングに合わせて、晶と伊織は気合を入れなおした。
ここからは孝弘や都と距離を取りつつ様子を窺うというスニーキングミッションの始まりだ。
現代人の必須アイテムスマートフォンにはさっそく都からのメッセージが表示された。
『イルカショーすっごく良かった。それで、今どこにいるの?』
晶たちは互いに顔を見合わせる。
『今、サンショウウオを見てるところ』
『何でまたそんなところに……』
伊織の書き込みに対する都の反応が渋い。
日頃は超然とした姿ばかりを見せている都だが、実のところ彼女は両生類やは虫類が苦手だ。
亀はギリギリ許せるがカメレオンはダメというよくわからない基準を持つ。
当然ながらサンショウウオはアウトだ。なお、ウーパールーパーはセーフらしい。
ここだけ見ると実に乙女っぽいが、某G虫を見ると容赦なく潰しにかかるあたりは乙女っぽくない。
『可愛いぞ、サンショウウオ』
都を微妙に遠ざけたいという伊織の意図に乗っかる形でメッセージを打ち込む。
少し間が開いた。ディスプレイの向こうでどんな顔をしているのか、孝弘とどんな話をしているのか。
想像すると、何となくうすら寒いものを感じる。
『ごめん、私はパス。孝弘とクラゲでも見てるわ』
『おっけー。ゴメンね、私のわがままで』
上手く行った。
晶の前でニシシと笑う伊織の目がそう言っている。
「さて、それじゃ行動開始だね」
「ああ。あいつらはオレ等がサンショウウオを見てると思ってて、そんでクラゲを見に行くってことは……」
パンフレットを広げてマップを確認。
イルカショーとクラゲとサンショウウオ、そして晶たちの現在位置――イワシの水槽をチェック。
通路を征く客はそれなりに存在するから、あまりルートを外れた移動はないだろう。
割と素直なコースを選ぶと想定すると……
「こっちから回り込むのがよさそうだね」
「了解。あとはどれだけ接近できるかだな」
「迂闊に近づいてバレたら言い訳できないしね」
「かといって離れすぎてると、アイツらがどうしてるかわかんねーし」
「ま、そこらへんは少しずつやっていこうよ」
勇み足が過ぎるとすべてが台無しになる。
スマホに表示された時間を見るに、まだだいぶん余裕がある。
できれば今日中にある程度ふたりを近づけておきたいけれど、焦りは禁物だ。
――ここまでは上手く行ってる。焦るな……
自分はひとりじゃない。伊織だって協力してくれている。
逸る心を抑えつつ、晶は伊織の手を引いて館内を移動する。
★
少し離れたところにある大水槽で、半透明のクラゲがぷかぷかと浮いていた。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
暢気な生き物だな、というのがクラゲに対する晶の感想である。
「すっかり魅入ってるね」
「ああ」
クラゲの水槽の前で立ち止まっている都と孝弘――を遠くから観察しながら、晶と伊織は言葉を交わし合う。
こちらは暢気にクラゲを見ている余裕などない。
都たちに勘付かれないよう気を付けて、常にふたりを視界に収めておく。
一方でスマートフォンの監視も忘れてはならない。
ちょっとテンション高めの都が次々にラインを更新しており、これに対する返事が要求される。
晶たちもふたりで交代しながら、変位する状況に対応している。
「それにしても……」
孝弘たちの様子を窺っていた晶はため息をついた。
「どうかした?」
都が添付したクラゲの画像に感想を付けつつ伊織が問う。
「いや、孝弘の奴が情けねーなって。アイツ、手ぐらい握ればいいのに」
「え~、いきなりそれは難しくない?」
「そうか?」
晶は自分の左手を見た。伊織の手を握りしめている。
「わ、私たちはいいとして、都と高坂君は拗れてるんでしょ?」
「そりゃそうなんだけど。孝弘の奴、チャンスだってわかってんのかな?」
「チャンスって……いきなりすぎるよ」
「そうかぁ?」
せっかくロマンチックなシチュエーションでふたりっきりなんだからもっと踏み込めよ。
親友としてあの大きな背中に蹴りを入れてやりたくなる晶だった。
「高坂君ってシャイな感じだし、何かあきらに遠慮してるっぽい」
「そうかぁ?」
本作戦を立案にする際に与えた『孝弘が都に恋している』という重要情報は、伊織に特段の驚きを与えることはなかった。
「遠慮って言われても……オレ、TSしちまったし。アイツらがくっ付いてくれれば言うことなしって感じ」
「ふ~ん、あきらはそれでいいの?」
「いいも悪いもなくない?」
「どうだろうね。都の気持ちもあると思うし」
「それはなぁ……都って最近どうなん?」
「モテるよ、都。時々告白もされてるし」
「マジか。で?」
「全部断ってるみたい。誰かと付き合ってるなんてうわさ話でも聞いたことない」
「じゃあ大丈夫……なのかな?」
「う~ん、私からは何とも」
「孝弘にもチャンスはあるってことで前向きに考えよう」
「いいのかなぁ、それで……」
「何か引っかかることでもあるのか?」
「え? ううん、ちょっと……ごめん、何でもない」
今度は晶がスマホを弄っていると『あっ』と伊織が小さな声をあげる。
「どうした?」
「ふたりが移動する。えっと……」
パンフレットを見ながら行き先をトレース。
「ラインの方では何にも言ってねー……あ、ペンギン見に行くって」
「ペンギンペンギン……じゃあ、こっちだね」
「あいよ」
もはや阿吽の呼吸で追跡を開始するふたり。
人の流れを利用して悟られないように移動するのも慣れた。
「高坂君、ナイトみたいだね」
「アイツ、ああいうところは気が回るからなあ」
孝弘は自分の巨体を活用して人混みから都を守っている。
先日ショッピングモールに行った時にも頭を掠めたが、あの男は昔から都に対して優しい。
その姿勢は今も変わらないということだ。だが……
「何でエスコートしてやらねーんだ、あのバカ」
「え、何それカッコいい」
晶に対しては手を差し出してきたくせに、都に対しては手を差し出さない。
遠くから見ていると、あのふたりにはやはり距離を感じる。
「オレの時と違うんだが」
「高坂君、あきらにはエスコートするんだ?」
「したなぁ。ま、オレの場合は階段から転びかけたから危なっかしかったってのもあるんだろうけど」
「あきら、大丈夫なの?」
「みんなして心配するなぁ」
大袈裟なんだよと笑うも、伊織の表情は曇ったまま。
「だって……あの放送を見てたらみんな思うよ」
『あの放送』すなわち『TSシンデレラガール昏倒』の生放送だ。
全国放送されていたせいで見ている人間が多かった。
少なくとも羽佐間市に来てから晶と近しく付き合っている人間は全員見ている。
「病院にも行ってるし、そんなに気にすることないって」
「だといいけど。あ、都がペンギンに手を振ってる」
「アイツ、可愛いところあるじゃねーか」
「学校だとクールって感じなのにね」
「何でそんな風にふるまってんのかね?」
「逆じゃないかな。あきらとか高坂君の前でだけ素に戻ってるっていうか」
「あ~、そっちね」
相づちを打ちつつも内心では『どうだろう?』と首をひねる。
都は昔からツンツン気味の性質で、正義感が強いと言えば聞こえはいいが、割と当たりのきついところがある。
どちらかというと晶や孝弘に対しては余計に遠慮なくて、あんな風に笑っているところはあまり見た記憶がない。
「孝弘と何か喋ってんな」
「何話してるんだろうね?」
「ラインで突っついてみる?」
「ジャストタイミングだと怪しまれるよ。雰囲気は悪くなさそうだから様子を見よ」
「そうだな。焦りは禁物だな」
「うん。変に周りがおせっかい焼くより、ふたりに任せた方が良いと思う」
「……こうしてストーキングしてるオレ等が言えたことじゃないな」
「確かに」
都はペンギンたちの前に立って微笑んでいる。
孝弘はそんな都にスマホを向けて――
「あ」
「どうした?」
「ほら、これ」
伊織が差し出してきたスマートフォンには、ペンギンを背景にいい笑顔を浮かべた都の写真が添付されている。
「おお、やるじゃねーか」
などと軽口を叩く。
心の奥が、チクリと痛みを訴えてきた。
晶は、それに気づいて――わざと無視した。
――それはもう、オレには必要ない感情だ。
「あきら?」
「あ、いや、なんでもない。ふむ……これは作戦成功と言ってもいいんじゃないかね、伊織くん」
この写真を見るに、もはやあのふたりはデートしてると言っても過言ではなかろう。
わざわざ伊織に協力を仰いで骨を折った甲斐があった。
「そうですなぁ、あきらさん」
「「はっはっはっ」」
時代劇に出てくる悪代官と商人のように笑ってみると、周囲から露骨な視線を感じた。
ふたりしてゴホゴホと咳き込んで照れ隠しして――
「あ、なんか揉めてる」
「アイツら、何やってんだ!?」
これ以上介入する必要はないだろうと油断しかかったところでこの有様だ。
思わず頭を抱えたくもなる。
「あきら、メッセージ!」
「おう……って、なんて言えばいいんだ?」
「え? えっと……なんかこう、ふたりが仲良くしそうな感じで」
「わかんねーよ。とにかく気を逸らせるような……」
悩みつつポチポチと打ち込んでタップ。
『可愛すぎか』
『どっちが?』
すかさず伊織が合いの手を入れてくれる。
『都さま?』
『何で様づけなワケ? てゆーか、アンタたち今どこ?』
『えっと……サンマ見てる』
『晩飯のおかず選んでるのか?』
孝弘も乗ってきてくれた。
とりあえず危機は去ったようだ。
でも――何か勘違いされている気がする。
『あきら、ここは魚屋じゃないから』
『いや、違うからな。勘違いすんなよ!?』
おかしなキャラがついてしまった。
自業自得とは言え、やるせない気持ちが胸から喉を伝って口から零れ落ちた。
次回、第4章最終話!




