第4話 囲まれてトーキング、チラリとウオッチング
本日は3話投稿の予定です。
これは2話目。
「えっと先生、オレの席はどこになるんですか?」
何気なく呟いた晶の声に教室が静まり返った。
生徒の大半――即ち男子たちの瞳に浮かぶ期待の色。
対する女子は興味半分、それ以外の感情も見受けられる。
ありふれた夏の日の教室は、一瞬で異常な緊張感に包まれる。
誰もが固唾を飲んで教師の言葉を待ち、そして――
「そうね、悠木さんの席はあそこ。窓際の後ろから2番目」
担任の声に落胆の溜め息が教室に響いた。
窓際ということは隣の席はひとつだけ、しかもそこに腰かけているのは女子だった。
頷いて教壇を降り、指定された指示された席に向かう最中にも、晶はひたすら注目を集めまくる。
中には小声で『よろしく』とフライングしてくる男子もいる。
隣席の女子が立ち上がって右手を差し出してきた。握手を求めているらしく、晶もまた右手で応える。
三つ編みおさげの髪が可愛らしい女子だ。全体的に真面目な雰囲気を纏っており、何となく委員長っぽい。
「私は『芦原 伊織』。このクラスの委員長をやっています」
「オレは『悠木 晶』だ。よろしくな」
やっぱり委員長だったかとは口に出さない。
教室に入る前からしっかり作っている完璧な笑顔を向けると、伊織はナチュラルな笑顔を返してくる。晶の胸中をチクリと罪悪感が刺した。
いい人っぽい。おそらく晶の周りにおかしな人間が集まらないよう、あらかじめ調整されているのだろう。
担任教諭の苦心が偲ばれる。隣人への挨拶もそこそこに、さっさと椅子に腰を下ろして前を向く。
ホームルームの時間にそれほど余裕があるわけでもなく、あまり邪魔はしていられない。
「さて、一学期の期末考査も終わって夏休みまであと少し。みんな気が抜ける頃合いだろうけど、くれぐれも羽目を外し過ぎないようにね」
「先生、夏休み前から羽目を外すのはどうかと思います!」
生徒の真面目なツッコミに教室が湧いた。
晶は期末考査を受けてはいない。代わりに編入試験を受けており、ちゃんと合格している。
日本におけるTS関連のあれやこれやは諸外国に比べてかなり整備されており、晶のような突発的な学校への編入にもきちんとマニュアルが存在している。
……実際のところ件のマニュアルは小学生を基準に作成されており、高校2年生などというタイミングで制度が適用された事例はほとんどなかった。誰もが手探り状態なのだ。
「悠木さんは夏休みまでの期間で少しでも学校に慣れてね。みんな、ちゃんとやさしくすること。いいわね」
「「「「「は~い」」」」」
「羽目を外しちゃダメよ」
「先生、しつこい」
その後、担任はいくつかの連絡事項を告げて教室を去った。
一時間目は自習となっており、教師が部屋を出るなり晶を中心に人だかりができる。
「はぁ、本当に『結水 あきら』だ。マジで感動した!」
「あの『結水 あきら』と同じ空気が吸える。天国か、ここは!?」
「ね、学校はどんな感じ?」
「家ってひとり暮らし? それとも実家通い?」
「引退って噂は本当なの?」
などなど……ひっきりなしに質問が飛んでくる。
TSする以前はごく親しい友人しかおらず、これだけの人数から一気に話しかけられることはなかった。
晶は聖徳太子ではないのだから、すべての質問に一度に応えることはできない。
それでも、一年ほどの芸能界生活の経験によってコミュニケーション能力は高められている。
大勢の人に囲まれることにも慣れた。ドラマの撮影を始め様々な仕事で多くの人間と関わってきた。全国区に顔と名前が売れて相当な人数のファンを抱える身だ。
下手に街を歩くとファンに身バレしてひと騒動、なんてこともあるわけで、たかが1クラス分の人数程度……と侮っていたのが運の尽き。
アグレッシブな高校生の攻勢を舐めていた。ボディーガードを兼ねているマネージャーが傍に居てくれないせいで、抑えが利かない。
――冷静に、冷静に対応……って、最近の高校生ってこんなにグイグイ来るのか!?
笑顔を崩さないようにするために、いくばくかの努力を要した。
焦ったところでいいことなんてない。口を滑らせないよう気を付けつつ、当たり障りのない範囲で答えを返していく。
「もともとこの学校を受けるつもりだったから、なんか変な感じがするな」
「家は……秘密な。これはスマン」
「記者会見でも言ったけど、引退なんかしねーよ。これからも仕事するつってんだろ」
チャイムが鳴って自習時間が始まっても、2年C組の喧騒は収まる様子を見せない。
試験が終わった解放感か、はたまた夏休みを間近に控えるせいか誰も彼もテンションが高い。
そして勉強に対する関心が薄い。佐倉坂は進学校のはずなのだが。
高校2年生の夏というとそろそろ進路の話が出てくる頃合いなのに、こんな具合で大丈夫なのだろうか?
他人事ながら心配になってくる晶だった。隣の教室から苦情が飛んでくるんじゃないかという心配もある。
揉め事が起きると、すかさず誰かがツイッターで拡散しかねないご時世だ。
――授業を妨害したなんて難癖付けられたら笑えねぇ……
個人の情報発信能力が過剰に行き過ぎた世界には、少し息苦しさを覚える。
「はいみんな、そこまで。悠木さんが困ってるでしょ。さっさと席に戻って自習始めて」
委員長である伊織が席を立って柏手を打つ。
穏やかげな外見とは裏腹に、言うべきことはちゃんと口にするタイプのようだ。
こういう人物は頼りになる。すぐ隣にいてくれると本当に助かる。
目立つことは避けられないだろうとは想像していた。フィクションの中でしか見ないような状況に置かれるであろうことも予想済み。
どこかで話を切り上げなければならないことはわかっているのだが……まだ編入初日、クラスの雰囲気もわかっていない状態でズケズケとモノを言うのは憚られる。
晶の周りに集まっていたクラスメイト達は、伊織の言葉に従って渋々ではあるが解散してゆく。その裏ではあまり好ましくない声がわざわざ晶の耳に届くように発されている。
曰く『エロだけが売りの大根役者のくせに調子に乗るな』と。
「ありがとな、委員長」
ネガティブな声は無視して、功労者である伊織を労うと、
「仕方ないとは言え大変だね、悠木さん」
などと苦笑で同情された。自分のことよりも晶を気遣ってくれる。人間ができている。
多分休み時間になるたびに、さっきと同じことが繰り返されるのだろう。それも当面の間。
夏休みに入る前に少しでも学校に慣れろとは言われたけれど、これでは日常に融け込むことすら難しいのではないか。
晶としては頭を悩ませる問題が早々に発覚してしまった形になる。
何はともあれ――
「えっと、その……何とお礼を言ったらいいか」
「気にしないで。それと、私のことは伊織って呼んで」
「りょーかい。んじゃ伊織、早速なんだけど……」
「ん? どうかした?」
可愛らしく首をかしげる伊織に、少し申し訳なさげな表情を向ける。
「ごめん、教科書見せて」
「……おっけ。机くっつけようか?」
「助かる。ちゃんと勉強しとかないと、これから後がキツくってさ」
マジである。
進学校である佐倉坂高校への編入試験は相当な難易度を誇っていた。
しかし晶はTS絡みを始めとするオトナの事情のおかげで、かなり下駄を履かせてもらっている。
ここまではいい。問題はこれからだ。
多少減らしたとは言え、夏休みのスケジュールは結構仕事で埋まっている。
このまま行くと夏休み明けの試験あたりで早々に悲惨な成績を取りかねない。
芸能人に学業成績が必要かはさて置いて、留年となると聞こえが悪い。
「伊織って勉強はできる方?」
机をくっつけて肩を寄せ合って、至近距離で尋ねてみる。
間近で観察すると、伊織の清楚な顔立ちが際立って見える。
中学校時代の晶だったら近づくことすら侭ならないレベル。
「それは……自分の口からは何とも。普通ぐらいかな」
「もしよかったら、色々教えてくれると助かるんだけど」
『もしよかったら』などと付け足してはみたけれど、断られると非常に困る。
だからと言って強制はしたくない。微妙なバランス感覚を要求されて初日からツライ。
「いいよ。遠慮しないで困ったことがあったらどんどん言って」
ふたつ返事でオッケーだった。
「いい奴過ぎる。天使かよ」
「あはは……本人の前でそんなこと言わないで。照れるから」
伊織は頬をポリポリと掻きつつも、まんざらでもない様子だった。
この様子だと、きっと他にも面倒事を抱え込んでいるんだろうなと見受けられる。
あくまで推測に過ぎないけれども、多分きっとそういうタイプ。
「代わりに、オレに出来ることがあったら言ってくれよ。力になるから」
「ありがと。頼りにしているね」
気負いもなくさらりと言ってのけるあたり、やはり伊織は生粋の委員長気質だなと感心させられる。
――こんな高校生がいるのか。マンガかよ。
★
こうして始まった伊織との関係だったが……晶が見る限りでは、あまり力になれそうなことはなかった。
何しろ晶は『高校生』を学ぶところから始めなければならないド素人で、対する伊織は誰もが頼りにするクラス委員長。
こと学校生活において自分が役に立つ機会なんてあるのか……そう思っていたところ、編入初日から奇妙な光景を目にすることになった。
休み時間に人垣を作るクラスメートの相手をしていた合間に、チラリと視界に入ってきた一幕。
伊織がひとりの男子生徒に話しかけようとして、しかしなかなか言い出せないでいる。
その男子は最後尾のど真ん中の席に座っていた。大柄な身体と鋭い顔立ちから発せられる拒絶のオーラが遠めに見てもヤバい。
大天使伊織(晶の主観)も相当な苦戦を強いられているようで……それでも最後には何かのプリントを手渡していたあたりは、さすが委員長としか言いようがない。
仕事はしっかりこなす、できる女。
それに比べて――
――アイツ……
ノンフレームの眼鏡の奥に鎮座する鋭い眼差しが、浮足立った教室の中でひときわ目立つ。
むすっとした顔で伊織から渡されたプリントに目を走らせている件の男子の名を『高坂 孝弘』という。
何を隠そう晶の幼馴染だ。TSして街を離れてからは連絡を取り合ってはいなかったが、それ以前は10年来の付き合いになる。
晶にとっては無二の――あるいは一番の親友でもあった。その孝弘と委員長の微妙な空気……これは捨て置けない。
「……どっちにせよ、まずはアイツからだな」
伊織の件がなくとも、どのみち放置する気はないのだが。
可能性はゼロではなかったとはいえ、まさか同じクラスになるとは……
急展開過ぎて心の準備ができていない。
「どうかしたの、あきらちゃん?」
「ん? なんでもない。で、なんの話だっけ?」
問いかけてくるクラスメートに笑顔で返しつつ、
――あの野郎……オレのことは完全に無視かよ。
孝弘は晶の方を見ようともしない。
心当たりはあるものの、内心穏やかではいられない晶だった。