第46話 プロジェクト・アクアリウム その2
今回の作戦は複数のフェイズによって構成されている。
無事に合流するまでが第一段階。
合流してからも、すぐに孝弘と都をふたりきりにすればよいなどと雑な処理ではいけない。
ふたりの関係は時間をかけて拗れており、まずはそのわだかまりを解く……と言うところまではいかなくとも、いい感じの雰囲気を作らなければならない。
そのために4人でしばらく一緒に行動して仲良しムードを盛り上げていく。これが第二段階。
第二段階の達成を確認してから、それとなく晶と伊織は距離を取って観察に徹する。ここまでが第三段階。
あとは孝弘と都にお任せ……して終わるのであれば、そもそもこの1年の没交渉期間は存在しないだろう。
遠目にふたりの様子をチェックして、ヤバい感じになりそうだったら適宜スマートフォンで場の空気をコントロールする。
そうやって手間暇かけて関係修復の目途が立つところまで持って行くのが最終段階。
踏むべきステップが多くて目眩がするが、とりあえず第一段階はクリアした。晶と伊織の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
★
「伊織に都! 珍しいところで会うなぁ」
振り返った晶は精一杯の情感を込めて、そう口にした。
常日頃『大根女優』などと揶揄されているから、ことさらに気合を入れた。
それが功を奏したか、誰も訝しむ様子を見せることはなかった。
「都と葦原も水族館か。最近よく顔を合わせるな」
感心した風な孝弘。
「……」
対する都は口を引き結んだまま、じーっと晶を見つめてくる。
「な、なんだよ、都?」
「なんでもない。ふたりはデート?」
明らかに『なんでもない』という口調ではない。
都の機嫌が悪いという話は伊織から聞かされていなかったので、これは晶たちと出会ったゆえの変化だろう。
チラリと伊織の方に視線をやると、かすかに首を横に振っている。ウェーブした髪が揺れている。
『原因に心当たりはない』という意思表示と晶は受け取った。
「ああ、晶に「デートって言うか、ここがドラマのロケに使われたって聞いていっぺん見たくなってさ」
つい勝手に余計なことを口走ってしまう。
しかも孝弘の言葉を遮る形で。
――これは、最悪では……
吐いた唾は飲み込めず、口に出した言葉を引っ込めることはできない。
おそるおそる孝弘の様子を窺うと……軽くため息をついて肩を潜めている。呆れられている。
お互いに都に対してビクつくところがある仲間同士だけあって、不信感を抱いたりはしていないようだが……
「そっか、ふたりはデートなんだ~」
空気読めなさげな伊織のコメント。
しかし彼女は晶と共に今日の作戦を考案した人間。
つまりこれは――
「だったら私たちは邪魔ね。行きましょう、伊織」
「いや待て」
「……何、孝弘?」
唐突に口を挟んできた孝弘を睨み付ける都。
およそ30センチ近い身長差がありながらも、まるで怯む気配がない。
むしろ話に割り込んできた孝弘の腰が引け気味だ。
それでも――孝弘は口を開いた。
「せっかくだから、もしよかったら一緒に回らないか?」
――え、マジで? 今のどういう流れ!?
どうやって行動を共にしようかと頭の中で理由をこねくり回していた(この時点で事前に用意しておいた言い訳はほとんど吹っ飛んでいた)晶的には驚きの展開。
しかも、てっきり自分とのデートだと思い込んでいたはずの孝弘が率先して都を誘うようなセリフを口にするとは。
この一連の流れを作ったのは伊織の『そっか~』である事は明白。あの不自然な会話がどのようにここに繋がったのか、訳がわからない。
「いいの? ふたりっきりのデートにお邪魔して?」
「そうよ。晶がわざわざ忙しいスケジュールを縫って時間を作ってくれたんでしょ?」
纏まりかけた話をまた壊しにかかる。
都はともかく伊織の意図がわからない。
いや、作戦を思えば彼女だって4人で一緒に行動しようという流れに持って行こうとしているはずなのだが。
裏の事情を知っている(首謀者の)晶をして、伊織の言動は読めない。知っているからこそ、余計にわからないのだろうか?
表面的な人間関係の構築能力は芸能界デビューしてからずいぶん鍛えられた自覚はあるのだが……
「そんなこと言わずに、是非。なぁ、晶?」
「あ、ああ……」
ここは送られてきたボールを素直に返すところ……のはず。
促されるままに頷くと、伊織は柔らかい微笑みを返してくる。
「そう? なら4人で行こっか。ね、都?」
「え? ええ……そうね。そういう話だものね」
見た限りではあるが、都も何となく釈然としないものを抱えている模様。
それでもしっかり言質を取っている。
『いざとなったら私が何とかするから』と伊織は昨日のラインで言ってはいた。
ここまで上手い具合に事が運ぶとは……
――伊織、恐ろしい子ッ!
敵に回すのは絶対にやめようと心の中で誓う晶であった。
★
水族館の中は想像していたよりもずっと快適だった。
エアコンによって室温は保たれていて汗をかくことはなかったし、人出が多すぎて混みあっているというほどでもなかった。
通路はやや薄暗かったが、巨大なパノラマ水槽に差し込む光と魚たちの煌めきが幻想的に演出されている。
作戦云々を抜きにして、暫しのその絶景を堪能することとなった。
「うわぁ、今の凄いね」
「でっけ~エイだな。……エイだよな?」
「あっちの小さい魚は何かしら?」
「こっちは亀だな」
伊織に提案されたときは『動物園と何が違うのか?』と首をかしげたものだったが、いざ実際に来てみれば全然違う。
普段は見ることのない魚たちが織り成す映像美は半端なものではなく、とてもロマンチックだった。
――これは……水族館デートが流行るのもわかるわ。
兎にも角にも雰囲気がいい。
ガラス越しの美麗であり、ところによりユーモラスでキュートな海を切り取った世界。
通路はあくまで清浄に保たれており、気温は管理されていて天候の影響を受けない。
海や魚にネガティブなイメージを持っている人間はともかく、そうでなければこれは雰囲気が盛り上がること請け合い。
なるほど、人気スポットとして紹介されるだけの理由がある。
「水族館なんて……久しぶりね」
「そうだな。小学生のころ以来か」
いつの間にか傍に寄って来ていた都の呟きを拾う。
ふたり並んで回遊する魚の群れを目で追っていた。
都は素直に頷く。ショートボブの黒髪が揺れた。
「懐かしいわ。あの頃は……」
「あの頃は?」
言い淀んだ先を促すも、都は沈黙したまま。
さて、彼女はいったい何を言おうとしたのだろう?
その意図を汲もうとして……思い至った。
――あ~
『あの頃は、ずっと晶たちのご家族のお世話になりっぱなしだったわね』といったところだろうか。
都の実家である仲村家は、羽佐間市でも名の知れたヘアサロンを経営している。
土日は客のかき入れ時であり、幼かった都は放置されがちだった。
そんな少女をひとりきりにしておかなかったのは、晶であり孝弘であり、その家族であった。
現在の悠木家の惨状を思えば、あまり昔のまだ普通の家庭だったころの記憶を呼び覚ますようなことを口にするのは憚られるだろう。
「別にいいぞ、気にしなくて」
「晶……」
「ウチがあんなになっちまったのは、別にお前のせいじゃないし」
「……」
「ま、誰のせいってわけでもない。どうしようもなかったんだ」
晶の述懐を都は黙って聞いていた。その心の奥底は窺い知れない。
すぐ傍に居るのに、長い付き合いのはずなのに。
ただじっと水槽を眺めている都の眼差し、その脇に小さな光が零れていた。
横目で様子を窺っているだけなのに、胸の奥がぎゅ~っと締め付けられるような切ない気持ちになる。
「都……」
「晶……」
お互いの視線が絡み合い、そして――
「あきら、都! ふたりともどうしたの?」
声をかけられてハッとさせられた。
眼前の都もまた、正気に返ったように目を見開いている。
ガラスに映ったふたりの顔は、同じような表情を浮かべていた。
「伊織か。なんでもねーよ」
「ええ。何でもないわ。行きましょう」
緩いウェーブ髪を揺らしながら近寄ってくる伊織から離れるように、場を後にする都。
その背中を目で追っていた晶の耳朶を嗜めるような声が打つ。吐息も感じる。
「あきらが都といい雰囲気になってどうするの!?」
「……そういや、そうだったな」
本日の作戦の趣旨をすっかり忘れていた。
水族館が産み出す非現実的な映像にあてられたか、過去を懐かしむ姿に心打たれたか。
軽く首を振ると、セミロングの黒髪がきれいな弧を描く。
「悪い、伊織。ちょっとどうかしてた」
「あきら……大丈夫?」
「大丈夫って、何が?」
「……ううん、何でもない」
「そう言えば、孝弘は?」
「高坂君なら、あそこ」
そっと伊織が指さした先で、孝弘は心ここにあらずといった風に水槽と向かい合っている。
……一瞬、ほんの一瞬だけ、レンズ越しの視線に射貫かれたような気がした。




