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第45話 プロジェクト・アクアリウム その1


 水族館デートもといダブルデート当日。

 前回のショッピングモール行きと同様、最寄り駅の前で待ち合わせ。

 予定時刻の20分前に(あきら)が現地に到着すると、そこにはすでに孝弘(たかひろ)の姿があった。


「悪い、待たせたか?」


「いいや、俺も今来たばかりだ」


 お約束の反応をする孝弘だが、首筋にじっとりと浮かんだ汗が説得力を奪っている。

 今日も直射日光が厳しい『夏ッ!』って感じの天気だ。たまには雨降れ……とまでは言わないが、曇っていてくれると嬉しい。

 人間のことなどお構いなしに大活躍の太陽を恨めしげに見上げてしまう。そんなことをしても何の意味もないとわかっていても。


――まぁ、天気のことは置いといて……


 孝弘の様子がいつもと違う。本日の計画に支障をきたしそうなポイントは、できるだけ早く伊織(いおり)と共有して協議する必要がある。

 見たところテンションはやや高め。他にもおかしなところはないかと頭のてっぺんから足のつま先までチェックを入れると……


「あれ、お前こんな服持ってたっけ?」


 先日の買い物の時とは服装が違い、ややフォーマルな印象でまとまっている。

 TSする以前を振り返ってみても、あまりこの手の服を孝弘が身につけていた記憶がない。

 もっとも、晶が知らない1年間のうちに孝弘の趣味が変化した可能性までは否定できないのだが。


「ああ……いや、たまたまだ。たまたま」


「たまたま?」


 ごにょごにょと口ごもり、しきりに眼鏡の位置を直している。

 あまり突っ込んで聞いてくれるなという時の癖だ。

 

――まぁ、別におかしなことはないか。


「似合ってるぞ」


「そ、そうか!? それはよかった」


 怜悧な顔立ちに喜色を滲ませ、慌てて引っ込める。

『表情が忙しないな』と思いながらも、あえて俎上にあげることはしない。

 せっかくのダブルデート計画なのに、始まる前から機嫌を損ねることにメリットはない。


「ま、いいや。それじゃ早速行くとするか」


 時間も押してるしな。

 そう付け加えると、孝弘は軽く眉を顰めた。


「時間?」


「……なんでもねーよ。さっさと行かねーとって話」


「そうか……そうだな。早めに行くに越したことはないな」


 うんうんと頷いてひとりで納得している幼馴染を置いて、晶は駅の構内に足を踏み入れた。



 ★



 電車の中は相変わらずの混みようで。

 さりげなく晶を守るように立つ孝弘も前と同じで。

 

「冷房が効きすぎているようだが、これを羽織っておいたらどうだ?」


「お前……いちいちそんなもんまで持ってきてるのか?」


 バッグから薄手の上着を取り出した幼馴染にジト目を送ると、本人は露骨に慌てた素振りを見せる。


「いや、別におかしな意図はないぞ。女子は身体を冷やしてはいけないという話を聞いてだな……」


「……気を利かせすぎだ、このバカ」


 などと言いつつも上着を借りる。

 確かに孝弘の言うとおり冷房が気にはなっていたのだ。

 身に纏っているアウターだけではどうにも心許ないと思っていたので、この気遣いはありがたい。


「つくづくいい男になったよなぁ」


「何か言ったか?」


「な~んにも」


 晶の呟きは、車内アナウンスに紛れて孝弘の耳まで届かなかった模様。

 つい口に出してしまったものの、聞かれてしまうと想像すると身体の奥がカッと熱くなる。


――そういうところを都にアピールして行けよ……


 イチイチ自分が心配することはないとは思うが、一応。

 過去の言動を思い返してみると……昔から孝弘は(みやこ)に対していろいろ細かく気を回していたように記憶している。

 当時の晶では気が付くことのできなかったところまで、目の前の男はずっと紳士であり続けていた。

 問題は、当の都自身が気が付いていたかどうかという点。ハッキリ言って不明だった。

 都はやや思い込みが激しい部分がある。言い方は悪いが視野狭窄を感じることもある。

 

「大丈夫、だよなぁ……」


 何かこの作戦『都と孝弘をくっつけよう作戦』には根本的な落とし穴があるのではないかという気がしてくる。

 孝弘が都に思いを寄せているということはわかっている。それは昔からだ。

 明言されたわけではないが、都に対する孝弘の言動を見ていればわかる。伊織も特に否定はしなかった。

 

 では、都は?


 そこがよくわからない。

 初めて顔を合わせて以来、基本的には傍に居た男子は晶と孝弘のみ。

 晶はTSしたことでドロップアウトしてしまったから、残るは孝弘だけ。

 その孝弘とは晶の一件以来しばらく疎遠になっていたが、その間に他の男の影がちらつくこともなかった。

 伊織情報によると、高校に入学してからは他の男子から告白されることもあったそうだが、返事は常に『NO』で固定。

 身持ちが堅いというか隙がないというか……男女交際そのものに興味がない様にすら見えるとのこと。

 

――でも、なぁ……


 伊織の見立てに晶は疑問を抱いている。

 先日ショッピングモールで鉢合わせた時の都の姿。

 一見すると自然体のパンツルックではあったが、細かいところまでやたらと気合が入っていた。

 丁寧に整えられた毛先といい、街中で出会った時より強めのメイクといい、要所の光ものといい。

 あれだけ見ために力を入れている人間が男女交際に興味を示さないとは考えにくい……というのは偏見だろうか。


「チャンスはあると思うんだがな」


「……何の話だ?」


「え? ああ、仕事の話。新しい役が貰えそうなんだよ」


「ほう、それはよかったな。でも、無理はするなよ」


「わかってる……と言いたいところだが、多少は踏ん張らねーとやってけない業界だからな」


 咄嗟に誤魔化したものの、話の内容はウソではない。

 マネージャーからは新しい仕事のオファーがある旨の連絡を受けているし、芸能界は華やかな見てくれとは裏腹にパワフルな業界だ。

 ……何もウソはついていない。今日のことについて話していないだけだ。


「ん?」


 バッグの中から振動。孝弘を見上げると――軽く頷かれた。

 さすがに1対1で話しているところでスマートフォンを弄るのは失礼にあたる。

 たとえ親しき仲とは言え……今日はデートという体裁を取っているのだから。

 震源であるスマホを取り出してディスプレイをタップ。伊織からのメッセージだ。


『こちら、作戦どおり水族館行きの電車に乗ったところ』


『オレ達もちょうど目的地に向かっている最中だ』


『何かアクシデント的なものはあった?』


『アクシデントっつーか、孝弘がいつもよりカッコイイ』


『え』


『これなら都にも効くと思う』


『そ、そう? だったらいいかな?』


『都の方は?』


『う~ん、普通。私とどこかに出かけるときにそこまで気合い入れない子だし』


『この前のショッピングモールは?』


『あれは特別。何だったんだろうね?』


『オレに聞かれてもわかんねーよ。とにかく問題なければ作戦は続行で』


『りょーかい』


 ぽやっとした外見によらず伊織のスマホ捌きはかなりのものだ。

 間断ないメッセージ、しかも都の隙をついて送られてくることを思うと半端ない。

 穏やかなクラス委員長然としておきながら、やはり彼女も今どきの女子高生なのだ。


「忙しいのか?」


「ん?」


「さっきからずっとスマホにかかりきりだから」


「あ、いや……そんなことないぞ。これで終わりだ」


 気遣わしげな眼差しを向けてくる孝弘に、一抹の罪悪感を覚える。

 了承を得ているとはいえ、これではあまりにも不格好だ。

 スマホをバッグにしまい、軽く身体を抱きしめる。

 上目遣いで孝弘の様子を窺うと、この男はサッと視線を逸らして眼鏡に手をやっている。


――何とか誤魔化せたか。



 ★



 伊織が指定してきた水族館は、佐倉坂からは少し離れていた。

 デートスポットに疎い晶でも名前を知っているくらいの有名な場所だ。

 確か何かのドラマでロケに使用されたと聞いたことがある。

 休日の水族館前は、やはりと言うべきか人出が多かった。

 佐倉坂郊外のショッピングモールと比べれば、やや少ないくらい。

 あちらは多目的施設だけあって多くの客が押しかけることを家が見れば、ここも充分に盛況といえるだろう。


――ヤベェな……


「どうした、中に入らないのか?」


 孝弘の声に冷や汗が背筋を伝う。

 客足の多さについては予想していた。予想はしていたが……何とかなると思っていた。

 本日の目的がただのデートなら、このまま水族館にインしてしまえばよい。しかし今回はダブルデートの計画だ。

 付け加えるならば……晶は孝弘に、伊織は都に内緒にしている。できるだけさりげなく2つのチームが合流しなければならない。

 伊織と連絡を付けようにも、あまりに孝弘を無視してスマホを弄り続けるのはよろしくない。


「あ、ああ。そうだな……」

 

『最悪、中でバッタリって手もあるか』と頷きかけたその瞬間、


「あ、偶然だね!」


 救世主の声が、背後から聞こえてくる。

 振り返るとそこにはウェーブ髪のゆるふわな伊織と、ラフなパンツルックの都の姿。

 黒いショートボブの毛先を弄っていた幼馴染は、晶たちの姿を認めて露骨に眉をしかめていた。

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