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第44話 戸惑うキッカケ


「どうすっかな……」


 伊織(いおり)との作戦会議の翌日の放課後、文芸部の部室で(あきら)は独り言ちた。

 孝弘(たかひろ)は部活動の関連で職員室に呼び出されていて、今は木造校舎のオンボロ部屋にひとりきり。

 ポケットから取り出したスマートフォンには、昨日の伊織とのメッセージログが残っている。


 ダブルデート。

 行き先は近郊の水族館。

 予定日時は今度の土曜日。


「まぁ、誘うしかねーんだけど」


 伊織はさっそく都に話を付けている最中だろう。

 持ち掛けた晶の側がうやむやにし続けるわけにもいかない。

 幸いなことにこの文芸部部室に用があるのは自分と孝弘だけ。

 他の人間が足を踏み入れることのない密室なら、誘いをかけるのは容易だ。


――普通にデートに誘うよりダブルデートの方が精神的な障壁は低いんだっけか?


 恋愛漫画でそんなことを読んだ気がする。

 現実をどれくらいトレースしているものなのかは不明。

 でも、デートどころか男女交際の経験のない晶としては頼りにせざるを得ない。


「あ~暑……」


 エアコンもなく、ベストを重ね着しているせいでクソ暑い。

 さすがに熱中症とまではいかないものの……健康には気を付けなければなるまい。

 水分補給のために、通学途中で購入したペットボトルの水を呷る。

 唇の端から溢れた水滴が、頬から首筋を伝って胸元に流れ落ちる。


「温い」


 思わず顔を顰める。

 もともと味がついてない水だから我慢できるのだ。温いジュースなんて飲めたものじゃない。

 できればキンキンに冷えた奴が飲みたいのだけれど、冷たいものは身体によくない。

 家で麦茶でも水筒に詰めて持ってくるかなぁと頭の片隅にメモ。


「あのバカ、さっさと帰ってこいよ」


 まったく。

 椅子にもたれて背筋を伸ばす。

 ギシギシと音を立てる年代物。何となく全力を出すには不安が残る。

 どうやって誘うか上手く纏まらないまま、微妙な面持ちで窓の外を眺める。

 部室棟の外からは気合の入った運動部の掛け声やら、バラバラな吹奏楽部の演奏の断片が入り混じって聞こえてくる。

 耳を澄ませていると頭の中でぐちゃぐちゃに混じって気が滅入ってくる。

 だから……察知するのが遅れた。旧校舎の板張り廊下を踏み鳴らす大男の足音を。


「晶、入るぞ」


 ガラリと扉が開き、巨体が室内に入ってくる。

 聞き慣れた声。文芸部部長を務める幼馴染の孝弘だ。

 今日も細身の白マッチョボディを制服に包み、短く刈り込んだ乱雑な髪とノンフレームの眼鏡が絶妙によく似合っている。


「お……うおっ!?」


 慌てふためいた晶は背もたれたままバランスを崩し……フラフラしたのち、何とかズッコケずに無事に着地。

 

「おい、晶……お前、大丈夫なのか?」


「お前がいきなり入ってくるからビックリしたんだよ。せめてノックくらいしろ!」


「そうか……それはすまなかった」


 高校2年生に進級して先輩が卒業した春以来、この部室は孝弘ひとりで使ってきた。

 自分以外には誰も足を踏み入れる者がいないという安心感から、ノックなど意識していなかった。

 つい先日に晶が入部したからには、そのあたりにも気を付けてもらわなければ困る。

 ……まぁ、晶が中でおかしなことをしていなければ何の問題もない気もするが。


「そんで……なんだったんだ、今日は?」


「うん? 別に大したことは何も。定例の部長会議みたいなものだ」


「なんじゃそら? そんなもんあるんだ?」


「正直なところ、出席したからといって何かするわけでもないんだが。顔を出さないと色々いちゃもんを付けられてな」


 会員2名の同好会としては肩身が狭い。

 だからと言ってスルーするわけにもいかない。

 出席しても何もしない。そもそも発言権なんてあってないようなもの。

 サッカー部や吹奏楽部のような大所帯の部活だと、運動系と文化系で争ったりしているらしい。


「めんどくせーな、それ」


「めんどくさいな。少人数の同好会は幾つかでまとまって持ち回りで出てるんだが、今回はたまたまウチだった」


「なるほど。確かに同好会が全部出てたら部屋に入りきらんか」


「そういうことだ」


「そりゃおつかれさん。水飲むか?」


「いただこう」


 晶が放り投げたペットボトルを大きな手で器用にキャッチ。

 孝弘は口を開けてそのまま透明な水を喉に流し込む。

 温かろうが気にしないところを見るに、よほど喉が渇いていたのだろう。

 ゴクゴクと喉を鳴らすところをジーっと見つめていると、孝弘が怪訝な眼差しを向けてくる。


「どうかしたか?」


「いや、なんでもねー」


「?」


 ボトルの水を飲み干して『ぷはっ』と息を吐き出した孝弘が首をかしげている。


「お前は今まで何をやっていたんだ?」


「え? いや別に何も?」


「こんなエアコンの効かない部屋で、ひとりで……か?」


「……まぁな」


 曖昧に頷く。

 一応この前に進められて購入した小説を読みかけてはいたのだが、頭の中はそれどころではなかった。

 空になったペットボトルを机の上において、晶と反対の席に孝弘が腰を下ろす。

 それほど広いとは言えない部室の中に、圧力が増した。

 すぐ鼻の先から汗の匂いがする。すっかり慣れた感のある、孝弘の匂い。


――じゃねーよ!


 そう――晶はまったりした放課後を過ごしている場合ではなかった。

『孝弘と都をくっつける作戦』の第一歩を、さりげなく踏み込まなければならない。


「なぁ、孝弘。お前、今度の土曜日って暇か?」


 まったくさりげなくなかった。

 あまり長くはないとは言え女優としての経歴を持っているというのに、こういう時には何の役にも立たない。

 社長が見たらクドクド説教を貰いかねないほどの棒演技。

 しばしば教室で叩かれる『大根女優』という陰口にも反論しがたい晶である。


「藪から棒になんだ?」


「暇かどうか聞いてるんだが」


 重ねて尋ねると、孝弘はスマートフォンを取り出してスケジュールを確認し始めた。

 しばらくディスプレイとにらめっこしてから、おもむろに口を開く。


「暇かと問われれば……まぁ、暇だ。なんだ、また買い物に付き合えとでもいうつもりか?」


「あ~、いや、買い物ってわけじゃないんだが」


「ないんだが?」


「もし暇なら水族館でにでも行かねーかな、と」


 あれこれ考えてはみたものの、ロクなアイデアは浮かばなかった。

 よって話の流れでストレートにブッ込んでみる。

 このあたり、もう少し伊織と話を詰めておけばよかったと今さらながらに思わされる。

 ハッキリ言って後の祭りだった。


「水族館? 俺とお前でか?」


 孝弘の問いに、晶は無言で頷いた。


「……何でまた水族館に?」


「何でって……別に理由はないけど」


「けど?」


「どっか遊びに行くにしても、クソ暑いし直射日光は嫌だし? 水族館なら涼しいだろ?」


「涼しいところがいいのなら、図書館でもよくないか?」


「いいじゃねーか。何となく水族館の気分なんだよ。で、行くの? 行かねーの?」


 図書館というアイデアも伊織との作戦会議では出た。

 ただ基本的にお静かにしておかなければならないので、あまり盛り上がらないのではないかと却下された。

 別に水族館なら喧しくしてもいいというわけでもないけれど、孝弘も都もTPOをわきまえてくれるだろうと期待する。

 ……あと、図書館だと『孝弘たちをふたりきりにしつつ遠くから観察する』というシチュエーションをつくるのが難しそうという理由もあった。


「行かないとは言っていない。お前の方は大丈夫なのか?」


「じゃあ行くんだな」


――よしっ!


「お前のスケジュール次第だ」


「そこで何でオレの心配をするかね」


「先週末の話を蒸し返していいのか?」


「蒸し返すな。日曜日に東京で収録があるけど、水族館に行ってそのまま新幹線に乗れば問題ない」


「ん? 東京で泊まるのか? というか、東京には行ったばっかりだろうに」


「ああ。事務所に泊めてもらう予定。東京と行ったり来たりになるのは……まぁ、ここに来た時から想定してたから今さらだな」


「忙しないものだな。それにしても、そういうときはせめてホテルじゃないのか……」


「なんかもう慣れたし。みんなの顔も見ておきたいし」


「……みんな、か」


「おう」


 孝弘は『みんな』の部分に引っかかりを覚えているようだ。

 一年前に上京して芸能事務所『フェニックスプロダクション』にお世話になっている晶には、独自の知人が存在する。

 事務所で顔を合わせるのは社長ほかスタッフや所属タレントが大半になる。

 一昨日東京に行ったときには社長やMMを始めとした数人としか話せなかったので、今回のようなタイミングは有効活用したい。

 先輩とも後輩とも仲良くしておくことは、事務所の人間として割と重要だと思うから。一にも二にも人間関係が物を言う業界だ。


「どうかしたか?」


「……いや、何でもない。土曜だな? 時間は?」


「おう、ちょっと待て」


 あらかじめメモしておいた企画案をもとに孝弘の質問に答えていく。

 色気もクソもない力技になったものの……うまく誘えてよかったとホッとひと息。

 今回の作戦の難関ポイントをひとつクリアできた。

 あとは伊織の方がどうなっているか……


(みやこ)も土曜でオッケーだって!』


――よしっ!


「お前と水族館……水族館……」


 ちょうどいいタイミングで伊織からのメッセージが飛んできた。

 計画が順調に進んでいることに胸が熱くなった。この羽佐間市に戻ってきた甲斐があったというものだ。

 だから――難しい顔してブツブツ呟いている孝弘の様子がおかしいことには、気づかなかった。

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