第41話 JKなセイカツ
「はよーっす!」
「おはよ~~~?」「ウィーッス……ゲッ!?」
朝の挨拶と共に教室に足を踏み入れると、すっかり顔なじみとなったクラスメートが返事をしてくれて――そのまま顔を引き攣らせた。
彼らの視線は晶ではなく、晶の後ろやや上方に固定されている。
そこには幼馴染の孝弘がいるはずで……
「どうかしたか?」
「? いいや、なんにもないが」
振り向いてみると、いつもと変わらぬ仏頂面。
ノンフレームの眼鏡が鋭い光を宿しているが、特にこれと言って珍しいものはない。
周りを見回してみると、微妙な距離感を感じるが……
「なぁ……」
「どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
首をひねりつつ孝弘と別れて席に向かう。
隣に座っているクラス委員長の伊織は、いつも晶より先に登校している。
「うっす、伊織」
「おはよう、あきら」
穏やかな笑みに癒される。
「高坂君は今日も大変だね」
「……え?」
「ううん、なんでもない」
「はぁ……何なんだいったい?」
柔らかく笑みを深める伊織に訝しげな視線を送ると、更に笑みが深まった。
基本的に善人気質のこの隣人は、しかししばしば曲者な気配を見せる。
ちょうど今みたいに。
――なんかこう、年配のオバ……やめとこう。
心の中とは言え、友人をおばさん扱いするのは失礼にあたる。
ただ、同い年とは思えないほどの何かを感じるだけだ。
晶も今や女子も女子。年齢のことをとやかく言われるのはイラっとする。
自分がされたら嫌なことを誰かにしたいとは思わない。
「で、なんかいいアイデア浮かんだ?」
もちろん『孝弘と都をくっつけよう作戦』である。
距離が開いている時や孝弘の傍に居る時はラインでやり取りしている。
定位置の座席についている時は、お互い口頭で問題ない。
「な~んにも。伊織は?」
「う~ん、ちょっと考え中」
思ってたのと違う反応。
打ち明けてからまだ日は経っていないのに。
『なんにも思いつかない』という答えを想像していたのだが、これは素直にビックリ。
晶は思わず伊織の顔をガン見してしまった。
すかさず先を促す。
「マジで!? 夏休みに間に合いそう?」
「えっと、それは……頑張ってみるね」
「悪い……焦らせるつもりはないし、世話になりっぱなしだし」
「気にしないで。都のことは私も気になるしね」
「ついででいいから孝弘のことも気にしてやってくれ」
「うん。高坂君もいい人だよね」
「まぁな」
微妙に何かはぐらかされた気がしないでもないけれど、幼馴染が褒められて悪い気はしなかった。
以前に感じていた孝弘と伊織の微妙な空気も、今やすっかり影を潜めている。
経緯はどうあれ、近しくなって対話を重ねれば孝弘は『いい奴』ではあるのだ。
――都相手に『いい奴』どまりだと困るんだが……さて……
自分のことはすっかり棚に上げて、親友たちに思いを馳せる晶だった。
★
『高校生をわかってない』と指摘された晶は、佐倉坂高校に通い始めてから同年代の生徒たちをつぶさに観察している。
常に自分たちの周りに集まってくるクラスメートは顔と名前も一致したし、普通に会話できるようになった。
孝弘の一件で僅かに開いたかに見えた彼らとの距離も、間を置かずにラインで謝罪したことが功を奏したか、あれ以来問題にはなっていない。
「あ……コイツ、こんなもん持ってきてやがる」
「?」
教室の空気がおかしい。
注目を集めている『コイツ』は、今まで晶に近寄ってこなかったマイノリティ層の男子。
眼鏡をかけた猫背の痩身。元々の顔色が良くないうえに、怒りかあるいは羞恥か、今はすっかり紅潮してしまっている。
外見で人を判断するのは良くないが、大雑把に『オタク』に分類されるタイプ。
――最近は『陰キャ』って言うんだっけ?
あまり耳触りの良い響きではない。
対になる『陽キャ』という単語も。
こんな言葉を好む感覚というのは理解しがたいが、あまりズケズケと口を挟むのも難しい。
上から目線で誰かを説教できるような人柄ではないという自覚もある。
「ん? どうかしたん?」
「結水さん、これ見て!」
クラスメートの大半は晶のことを『悠木』でなく『結水』と呼ぶ。
本名ではなく芸名を多用されるのは彼らなりの処世術かもしれない。
男子のひとりが『コイツ』君から取り上げたのは、一冊の雑誌だった。
可愛らしい女の子の絵――いわゆる萌え絵が表紙になっているもので見覚えがあった。
「コイツ『全然興味ねー』ってスカした面してやがったくせに、結水さんのグラビアガン見してやがるぜ」
「うへぇ」
周りを囲んでいる連中がおかしな相づちを打った。
本を取り上げられた男子は俯いて身体を震わせている。
昔の武士が敵将の首を刎ねた時みたいに雑誌を掲げている男子。
遠巻きに彼らを見守る連中の顔には、あまり好意的でない表情が浮かんでいる。
そして――俯いている1名を除いてみな、一様に晶の様子を窺っている。
「ほう」
いやが上にも注目が高まる中、取り上げられた雑誌を受け取って件の男子に接近。
ペラペラとページをめくっていくと、佐倉坂に戻ってくる前に撮影したグラビアが掲載されている。
驚くには値しない。どの雑誌に掲載されるかなんて、一般客に指摘されるまでもなく知っている。
――あのときはこれでいいと思ったんだがなぁ……
仕事にはいつでも全力で取り組んでいる。妥協なんてしたことはない。
それでも……晶の部屋で各務原が撮影した写真に比べると、確かに物足りなさを覚える。
『羞恥心が足りない』という天才カメラマンの言葉に嘘はなかった。
あまりにもきれいすぎるというか、わざとらしすぎるというか。
黙って雑誌を睨んで……不意に教室の空気が緊迫していることに気付かされた。
「これ、オレのグラビアが見たくて買ったのか?」
「そ、そんなわけないし。定期購読してるから偶々だし」
「……そっか」
ちょっとわざとらしいくらいに表情を作って残念がってみせる。
言い訳がましい口振りだった男子は、ハッとしたように口を閉ざした。
「はぁ!? さっきからずーっと同じページ見てただろうが」
悦に浸っていた男子が咎めると、俯いていた男子はキッと顔を上げた。
「ああそうだよ。見てたよ、悪いか!?」
「悪くねーよ、ありがと」
「そうら見ろ、結水さんだって……結水さん?」
笠にかかって責め立てようとした男子が、驚いたように晶に目を向ける。
逆ギレ気味に見上げてくる男子も同じ顔をしている。
「オレ目当てで買ってくれたんだろ? だったらありがてーぜ」
「え……いいのか?」
「そりゃいいよ。魅せるために撮ってもらってるんだから」
「そ、そうなの?」
「おう。今まであんま話せてなかったから嫌われてるかと思ってたけど、これからもよろしく」
「あ、ああ」
雑誌を返すついでに晶が手を差し出すと、男子はおずおずと握り返そうとして……慌てて制服で手を拭った。
クラスメートの注目を集める中で握手が交わされる。じっとりとした汗の感触も不快とは思わない。
地道な営業活動とファンの獲得は、いずれも『結水 あきら』の地盤を固めるために必要なもの。
辛かった時期から自分を支えてくれていたのは社長を始めとする事務所のみんなと、デビュー当初からのファンたち。
ファンの中には彼のような男性が多かった。職業柄当然と言えば当然な気がする。
晶は彼らに感謝しているし、裏切りたくはない。恩を受けたのだから恩を返す。そうやって社会は回っていると思う。
「ついでにアンケートでもオレのグラビアを推しておいてくれると嬉しい」
「……わかった。普段は出さないけど、今回は出す」
「さんきゅ。それじゃ」
軽く手を振って席に戻ると、隣で伊織が微笑んでいる。
「お疲れ様」
その声にはいたわりがあった。
一触即発だった教室の雰囲気を押しとどめた立ち回りに対する感謝もあった。
晶的にはファンとの交流の一環に過ぎないので、別にどうということもない。
「な、なあ悠木さん。もしよかったら俺とも」
「教室での握手会は禁止」
調子に乗って接近してくる男子の前に、伊織が立ちはだかる。
あまりに自然な動作に『いつの間に』と誰もが驚き呆れる。
「なんだよ委員長、お前は悠木さんのマネージャーか何かなのかよ!?」
「そうじゃないけど、常識で考えて」
「だってアイツが……」
言い募る声は伊織の視線に気圧されてかき消えていった。
「山本君が、何?」
「……何でもねぇよ、クソッ」
悔しげに顔を歪めて離れていく男子の背中を見送りながら、晶は周りに聞こえないように尋ねた。
「山本って……さっきの?」
『雑誌を持ってきてた奴か?』と。
伊織は苦笑して頷いた。
「あきらはクラスみんなの顔と名前を覚えようね」
「が、ガンバリマス」
にっこり笑う伊織に思わず頷き返してしまう。
隣人の笑顔には力があった。長い学生生活で磨き上げられた委員長力。
信頼と実績の伊織から『コミュニケーションの基本』と言われれば、反論のしようがない。
『どうにも敵わないな』晶はそっと嘆息する。つくづく高校生は難しい。




