第39話 微妙なカンケイ
お待たせしました。
『TSシンデレラガールの凱旋』第4章開始します。
なお、更新は不定期となります。申し訳ございません。
キュキュっと床とシューズの擦れる音。ダムダムとボールが叩きつけられる音。
両チーム合わせて10人分の足音と吐息、さらに多くの声援が入り乱れる。
「悠木さん!」
正面に構えていた女子を躱すと、切羽詰まった声と共にボールが飛んできた。
硬くて重いボールをキャッチして周囲を窺い、空を睨む。ゴール下、ノーマーク。
膝の屈伸から生み出された力が全身の筋肉を駆け抜けて、指先からボールと共に放たれる。
宙を舞うボール、その行方に20の瞳が引き付けられる。
綺麗な放物線を描いていた球体は――円形のリングに阻まれてあらぬ方向に弾かれた。
「あ~」
「残念、悠木さん」
「どんま~い」
落下したボールは敵チームがすかさず回収。
反対側のコートに向かってパスを回し、シュート。
リングを潜り抜けてネットを揺らすボール。歓喜と落胆の声。そしてホイッスル。
晶は――じっと自分の指を見つめていた。白魚のように細くたおやかな指を。
★
「晶って中学校ではバスケ部だったんだよね?」
体育の授業が終わり教室に戻ってきた2年C組一同。
エアコンが効いた室内は、夏の暑さを内に封じ込めた体育館とは大違い。
中には胸元を大胆に開けて冷風を取り込もうとする女子もいる。
「まあな」
「その割にはさっきのシュート……ううん、何でもない」
わざとらしく尋ねてきた女子は、答えを待つことなく去っていった。
クスクスと笑う声がそこかしこから聞こえてくる。
晶はその声を気にした風ではなかったけれど――
「あきら……指、どうかしたの?」
「え? ああ、なんでもねぇよ」
隣に座っていた伊織の声は労わるような、どこか心配するような。
『なんでもない』と言いつつも指から視線を外さない晶は、彼女の眼差しに耐えきれずにきまりの悪い表情を浮かべた。
「なんでもないようには見えないんだけど」
「……すまん。いや、上手くいかねーなってさ」
「上手く行かない?」
「ああ。さっきのシュート、ちゃんと入れるつもりで打ったんだが」
「普通、誰だってそのつもりじゃないの?」
「そうだけど……なんて言えばいいかな、そう、頭の中のイメージと身体の動きが重ならねーんだ」
「……それはTSしたことと関係がある?」
晶は無言で頷いた。
「日常生活はリハビリで何とかなったんだけど、運動関係はどうにもな」
「もう2年近くたってるのに?」
「2年たっても……だな。サッパリダメだわ」
「大変だね……って、演技とかする時は大丈夫なの?」
「そっちは何ともない」
運動はダメで演技はイケるてどういうこと?
伊織は視線だけで答えを求めてくる。
「演技とかグラビア撮影とかって、男の時にはやってなかっただろ」
「それはまぁ、そうだね」
カメラの前で身をくねらせる晶(ただし男)を想像したのだろう。
温和なクラス委員長の顔は、マズいものを食べた時のような顔をしている。
「そういうのは新しい動作が付け加えられただけだからな。そもそも頭の中に邪魔なイメージがない」
だから、特に違和感もない。
「元々やってた動作ほど厄介なんだよ」
「それは……いつか解決する問題なの? お医者さんはどう言ってるの?」
「ん~まぁ、時間をかければって言われてる」
時間をかければ――男だったころの記憶が薄れる。
比較対象となる情報が曖昧になり、違和感も薄れる。
消極的な解決に過ぎないが、それを今ここで伊織に伝える必要は感じなかった。
「ふ~ん」
「そんなことより、飯にしよーぜ」
「そうだね。あきらが問題ないって言うならご飯食べよっか」
「おう……おい、孝弘! お前どこに行くんだ?」
女子ふたりで頷きあって机をくっつけて鞄から弁当箱を取り出して。
晶は少し離れた席を見て――立ち上がろうとする男子に声をかけた。
ノンフレームの眼鏡が印象的な、ちょっとクールに見える背の高いこの男こそ、晶の幼馴染である『高坂 孝弘』だ。
鞄を掴んで部屋を出ようとしていた孝弘は、晶に見咎められてバツが悪そうに頭を欠いた。
「どこって……飯を食いに行くだけだが」
「鞄持ってどこに行くつもりだって聞いてるんだが?」
詰問する晶に、孝弘は『部室』と答えた。
ふたりが所属する文芸部は本校舎から離れた部室棟の一角に部屋を与えられている。
部室棟は歴史ある――と言うか古臭い建物だ。食事には向かない。
「部室って……お前、何であんな冷房効いてないところで飯を食うんだ?」
ひんやり冷風が心地よい教室を離れて、暑苦しい中でランチなんてアホかと。
幼馴染のツッコミに耐えられなくなったか、孝弘は眼鏡の位置を直しながら、
「あそこは落ち着くんだ」
などと宣わった。
晶は盛大にため息をついた。
「バカなこと言ってんな。熱中症になるだろ」
「そう簡単になってたまるか」
「その油断が良くない」
と言いつつ、机の上を開ける。
「ほれ、こっち来い。一緒に食おうぜ」
バンバンと机を叩いて意思表示すると、孝弘の眼鏡の奥の瞳が揺れた。
「……いいのか?」
その問いは晶ではなく、向かいに座る伊織に向けられている。
先週末まで、何かと距離のあった組み合わせだ。
「いいも何も……いいよな、伊織?」
「うん、高坂君も一緒に食べよう?」
『ね?』と軽く首をかしげつつ頷く伊織を前に、ようやく孝弘は白旗をあげた。抵抗を諦めたとも言う。
空いていた椅子を寄せて晶たちと同じ席に付き、鞄の中から総菜パンを引っ張り出した。
しきりに周囲の様子を窺っているところが……何ともこの男らしいような、らしくないような。
「お前、もっと堂々としてろよ」
「……お前な」
いったい誰のせいだと思ってるんだ。
無言で訴えてくる幼馴染の視線を、晶は華麗にスルーした。
逆の立場なら、きっと自分も同じ目をしただろうから。
★
「おばさん、忙しいのか?」
総菜パンを齧る幼馴染に問いかけると、孝弘はパンを口に咥えたまま頷いた。
晶の記憶にある高坂家の両親は共働き。状況は今も変わっていないようだ。
中学校時代の孝弘がずっとコンビニでパンを買っていたことを思い出した。
時折、晶や都の母親が持たせてくれた弁当を手渡していたりもしたが……あんな偏った食生活で、よくもここまで成長したものだと感心させられる。
「都とは……無理か」
高校に入ってからも『習慣』は続いているのかと尋ねようとして途中で止めた。
孝弘と都の関係が拗れた原因となった晶が口にして良いことではないと気付かされたから。
「ウチも都の家も、親同士は仲が良いままなんだがな」
子どもたちの関係が上手く行っていないと気付きつつも介入はしなかった模様。
思春期ともなれば、そういうこともあるだろうという判断か。
「だったら、オレが作って来てやろうか?」
「……お前が?」
グッドなアイデアを出したつもりなのに、怪訝な眼差しを返されてイラっとする。
「お前……オレが作った飯食っただろうが」
「あれはまぁ、確かに美味かったが……」
つい先日、晶の部屋で行われたグラビア撮影時のことである。
この男は準備しておいた軽食を結構パクパクと口に運んでいた。
眼鏡の奥の孝弘の目は、晶の弁当箱に注がれている。
高校生女子らしい小さめのボックスに詰め込まれているのは……晶お手製のあまり華やかでない総菜たち。
「でも、手間がかかるんじゃないのか?」
孝弘の問いに晶は首を横に振った。
「別に。どうせ晩飯の残りだし」
夕食時に多めに作っておいて翌日の昼食を兼ねる。
まとめて作った方が楽だし、ひとり分もふたり分も大した違いはない。
そう付け加えると、孝弘は難しい顔をして腕を組んだ。
「仕事がある時は学校に来られないから無理だけど、そういう時は連絡するからパンを買え。あと、サラダも付けろ」
今や誰もが持っているであろう文明の利器、スマートフォン様のお力である。
無料アプリのラインも心強い。昔はイチイチ通話のたびに費用がかかっていたというから驚きだ。
反論すべきポイントをことごとく潰された孝弘は――それでも何かしら理由をつけて断ろうとしている。
グラビアアイドル兼女優の晶と2年C組クラス委員長である伊織と席を囲んでいるだけで目立つ。
クラスメイト達はそれぞれに食事を摂っているように見えて、しっかり聞き耳を立てている。
傍からは『両手に花』と見えなくもないこのシチュエーション、当の本人としてはまるで落ち着かないのだろう。
晶だって中学3年生までは男だったのだから。思春期男子の微妙な心の動きに気付かないわけではない。
そのあたりを無視するとしても、孝弘は高校に入ってからはぼっち……ではなく、ソロ活動がメインだった男。
いきなりの展開に戸惑うことは察する。頭では事情がわかっているのだが、イラつくことはイラつく。
「しかしだな……」
「孝弘……お前、普段は我が道を行きすぎてるのに、何でこういう時だけ回りを気にするわけ?」
「いや、そう言われても」
なおも言い募る孝弘に詰め寄ろうとしたその瞬間、晶のスマートフォンが震えた。
前のめりになりかけていた体制を戻し、鞄から端末を取り出してディスプレイをタップすると、
『いいの?』
差出人の名前は――『葦原 伊織』と表示されていた。
真正面に座っている本人は、素知らぬ顔で食事を続けている。
眉尻を下げて悩んでいる孝弘の方からは、このメッセージは見えていない。
少し間を開けて……晶は液晶に指を滑らせる。
『まぁ、これくらいは』
『悠木 晶』と『葦原 伊織』
ふたりきりのグループに、新たなメッセージが加えられた。




