第38話 衝撃の余波は
晶の部屋を辞した高校生組は無言で歩みを進めていた。
夜闇が迫る頃合いとは言え、夏だけあって蒸し暑い。
駅に向かう道は人通りが多く、雑踏はノイジーだった。
「……凄かったね」
ポツリと呟いたのは伊織だった。『ほう……』と息を吐いている。
薄く紅潮している頬は、夏の太陽の残滓によるものではない。
先ほどまで見学していた晶の撮影現場にすっかり当てられてしまっていた。
「ああ」
孝弘も言葉少なく、しかしはっきりと頷いた。
「アイツが芸能界にいると知ってからずっと追いかけてはいたが……まさかあんなだったとは」
その声は重苦しい響きを伴っていたが、否定的なニュアンスではなかった。
チラリと孝弘の顔を窺った伊織も同意とばかりに首を縦に振る。
雑誌で、あるいはテレビで見かける『結水 あきら』こと晶は、常に明るく爽やか……とは限らなくて、どちらかと言うとセクシャルな方面で目立っていた。
それでも何となく順風満帆な活躍を経て、芸能界を軽快に駆け抜けているものだとばかり思っていた。
違った。
休憩中に語られた晶の過去――羽佐間市を離れてからの1年間――は、衝動的で破滅的で。
自らの失態が原因とは言え、寄る辺を失い、捨て身というよりは捨て鉢気味に身を投じた芸能界で必死にもがいていた。
『TSシンデレラガール』などと呼ばれ、目覚ましい成功ばかりが報じられてきた『結水 あきら』の真の姿は苦悩に塗れていた。
それは孝弘たちが知る『悠木 晶』とも一致しない。
たった1年、されど1年。晶はこの短期間に大幅に変わった。大きく成長した。
自分たちと同じ歩幅で肩を並べて歩いていたはずの幼馴染は、一足飛びに大人の世界に飛び込んでいた。
置いて行かれたと感じた。このままでは引き離される一方だと思い知らされた。
「すっかり大人になってたな、晶」
「そうだねぇ……大人だねぇ」
孝弘の独白に伊織が頷く。晶はオトナで自分たちはコドモ。その差は歴然としていた。
高校生として編入してきてまだ1週間。
ごく短い時間ではあったものの……有名人になってしまった晶は、それでも自分たちの幼馴染だと思っていた。
伊織にしても、『結水 あきら』は芸能人とは言え同い年の少女であり友人であると認識していた。
その目算がいかに甘いものだったのか、理解するにはたった1日で十分だった。
初めて目の当たりにしたグラビア撮影に浮ついたところはなく、晶も各務原も他のスタッフもみな真剣勝負。
各種メディアから受け取っていた情報とはまるで異なる現場の姿。仕事に対する熱意あるいは熱気が半端ない。
そして直に見た『結水 あきら』が纏う美しくも妖しい雰囲気に圧倒された。存在感がまるで違っているのだ。
話を聞く限りでは今日は特別だったようだが……最初はともかく、午後の撮影が始まる頃にはすっかり適応していたように見受けられた。
あの短期間のうちに、自分たちの目の前で晶がひと回り大きく成長するさまをまざまざと見せつけられた。
「……」
ただひとり、都だけはずっと口を閉ざしたまま。
「なぁ都」
「……」
語り掛ける孝弘に、俯いたままの都は反応しない。
ショートボブの黒髪が揺れ、かすかに白いうなじが見え隠れしている。
返事がないことを見越したうえで孝弘は言葉を続ける。
「俺は……あの日のことを弁解しようとは思ってない。でも、晶のことは認めてやったらどうだ?」
「……」
撮影中も休憩中も、晶はしばしば都の様子を窺っていた。
まつ毛の奥の黒い瞳がチラチラと幼馴染に向けられていた。
それは意識していなければ見逃すレベルの些細な動きだった。
孝弘が気づくことができたのは――ずっと晶を目で追っていたからだ。
その微細なアクションは、晶にとって『仲村 都』がそれだけ大きな存在であることの証左に違いない。
本人は『自分と都の仲は最悪どうにでも……』的なことを口にしていたが、強がりであることは明らかだ。
「私は……別に怒ってないわ」
都は、ようやくそれだけ口にした。
言葉と口調と表情と所作が物の見事にバラバラで、どれが本心なのか孝弘にも見分けがつかない。
意図的にやっているのなら大したものだと、かなりどうでもいい部分で感心させられる。
「アンタのことも、『あの日のこと』も……気にしてないし」
「それが本心ならありがたいんだがな」
無理やり絞り出したような声で言われても、説得力がまるでない。
幼馴染の艶姿を前に受けた衝撃は相当なもののようだ。
しかもそれが元男だった晶というのが、都の動揺に拍車をかけている……ように見える。
「アイツはアイツで自分の道を進んでる。俺たちが応援してやらないでどうするんだ」
「わかってるわよ、そんなこと!」
癇癪を起こしたように突然声を荒げた都に目を丸くする伊織。
超然とした態度が印象的な友人の変貌に驚きを隠せないようだ。
孝弘としては懐かしさすら覚える反応なのだが。
★
孝弘と都には昔から共通して懸念していることがあった。晶のことだ。
ふたりが知る『悠木 晶』は要領こそいいものの自己主張が弱い人間だった。幼いころに知り合って以来ずっと。
孝弘たちは良くも悪くも自分で決めた道を邁進するタイプであり、その分だけ周りの人間と軋轢を生むことが少なくなかった。
マイペースに過ぎる両者と周囲の人間の間を取り持っていたのが晶であり、その点は孝弘も都も深く感謝していた。
でも――正直なところ晶が何を考えているのか、孝弘にも都にもイマイチわからなかった。何がしたいのか、何を目指しているのか。
晶は常に孝弘と都のことを第一に考えるあまり、自分のことを二の次にしすぎるきらいがあった。
『自分たちが晶に頼るように、晶も自分たちに相談してほしい』
本人がいないところで、孝弘と都はしばしばそんなことを語り合っていた。
そんな親友がTSした。さらに家族関係は見るに堪えない有様で、1年前の時点ですでに晶の未来は混迷を極めていた。
いつも自分たちを助けてくれていた晶の窮状に手を差し伸べることができないまま『あの日』を迎え、3人は袂を分かった。
何となく居心地が悪いまま時間だけが過ぎていったある日、孝弘は晶を発見した。本当に偶然だった。
行きつけの本屋で手に取った雑誌、そのプレゼントコーナーに一枚だけ掲載されていた写真。
見間違えようもない。どこからどう見ても晶だった。いつの間にか幼馴染がグラビアアイドルになっていた。訳がわからない。
孝弘はこの件を都にだけは告げた。『あの日』以来すっかり没交渉になっていたとはいえ、幼馴染としての義務だと思った。
晶は生きている。その事実が知れて胸の中に蟠っていた昏い靄に一条の光が差した。しかし、そこから先に進めなかった。
意を決してラインにメッセージを投げてみても反応がない。スマートフォンに登録されていたIDに通話を試みても結果は同じ。
晶が所属しているという芸能事務所に連絡してみたものの、こっちはこっちでガードが堅い。当然と言えば当然だった。
所属タレントの知り合いを名乗る人間なんて胡散臭すぎる。そんな不審者に大切なタレントのプライバシーを明かすはずがない。
どうにか連絡をつける方法はないものかと手をこまねいているうちに、晶が芸名でツイッターを開設した。
孝弘は気づくなり即座にフォローはしたものの、メッセージを送ることは躊躇われた。理由は……自分でもよくわからなかった。
これらは基本的に水面下の出来事であった。当時の晶の知名度はお世辞にも高いとは言えなかったから。
状況が変わったのは晶がテレビドラマに出演すると決まった日。日本中が『悠木 晶』こと『結水 あきら』に注目した、あの日。
もはや幼馴染というか細い絆を頼りに連絡を試みる相手ではなくなってしまった。
トラブルを抱えたまま離れてしまった幼馴染が、遠い存在になってしまったようで寂しく思う気持ちがあった。
しかし、それと同じくらい目覚ましい活躍を見せて日本中に名を知らしめる様を誇らしく思う気持ちがあった。
自分を含めたあらゆるしがらみから解き放たれた晶が、ようやく進むべき道を見出したのだと。
ならば自分は遠くから幼馴染を見守ることにしよう。孝弘はひとり誓った。都とは言葉を交わさなかった。
そして――晶は全国生中継の放送で倒れ、現在に至る。
一度は分かたれた筈の3人の道が再び重なったことを喜ぶべきか、憂うべきか。孝弘には判断できなかった。
★
(拗れてるなぁ)
目の前で揉めている孝弘と都を見やりながら、伊織は心の中で独り言ちた。
佐倉坂高校に編入してきた晶に最初に声をかけたのは自分だった。
しかし、晶と一番仲が良いのは自分ではなかった。
編入初日、たった1日で理解させられた。
『悠木 晶』『高坂 孝弘』そして『仲村 都』
この3人は強い絆で結ばれている。
表向きはどれだけ反目しあっていても、彼らは互いを強く思い合っている。
八方美人な委員長気質が災いして深い関係の友人がいなかった伊織にとっては、あまりにも眩しい世界だった。
特に都は大切な友人だったから、少し寂しい気持ちもあった。
自分も彼らの輪の中に入りたいな、という気持ちもあった。
しかし、きっかけがない。十年来の関係に割って入るのは難しい。
(羨ましい……)
そっとため息ひとつ。
ふいに、肩から下げていたバッグが震えた。
(ん?)
手を突っ込んで震源を探ってみると、スマートフォンだった。
メッセージが入っている。晶からだった。
眼前で言い争っているふたりにバレないようにディスプレイに目を走らせる。
(んん?)
『手を貸してほしい。孝弘と都には内緒で』
(んんん?)
目をしばたたかせて何度も文字を読み直す。『孝弘と都には内緒で』と書いてある。
見間違いではないと受け入れ、3人を取り巻く状況を鑑み――そして想像する。
どうやら天は自分を見放してはいなかったらしい。
伊織は口元が緩むのを止められなかった。
『今ふたりとも目の前で揉めてるから、あとで連絡するね』
『揉めてるって……オレのせいか』
『愛されてるね、あきら』
返答にわずかな時間が空いた。
『伊織のことも愛してるぜ』
メッセージを見て思わず吹き出してしまった。キザなセリフだ。
衆目を気にすることなく口論していたふたりも、さすがにこれは見とがめてくる。
胡乱げに見つめてくる都たちに笑って答えた。
「ごめんごめん、ふたりとも仲いいなって」
「別によくない」
「そんなわけないし」
「なんだと?」「なによ?」
再び互いに睨み合う都と孝弘を交互に見つめつつ、伊織はメッセージを入力した。
『おーきーどーきー!』
これにて『TSシンデレラガールの凱旋』第三章は終了となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
続く第4章については……一応執筆はできています。
しばらく時を置いてチェックを入れて、行けそうだと思えたら公開する予定です。
どうかお待ちいただけますよう、よろしくお願いいたします。
と言うわけで章末恒例のクレクレもとい応援のお願いです。
みなさまからの感想・ブクマ・ポイント等は作者にとっての執筆燃料でございます。
こちらの方もご検討いただきますよう、併せてお願いいたします。




