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第36話 『結水 あきら』の軌跡 その3

2020年最後の更新となります。

みなさま、よいお年を!



「いや~、『誰かいい子知らないか?』って聞かれたから、つい」


 まるで悪びれた風でもない各務原(かがみはら)の顔を見て、部屋でくつろいでいた誰もが盛大にため息をついた。

 今年の初めからテレビで放映され爆発的なヒットを生み出したドラマ『鏡中の君』は、TSした元男子を主人公とした物語である。

 原作は著名な作家が執筆したミリオンセラーの小説で、スポンサーもガッツリついて資金は潤沢。

 ドラマ化の第1報が公開されたのはかなり前――(あきら)がTSするよりも前――だったのだが、それ以来まったく音沙汰がなかった。

 すでに出演が決定している俳優も錚々たるメンバーが名を連ねる反面、いつまでたってもヒロイン役が明らかにならない。

 そんな原作ファンはおろか芸能界の誰もが固唾を飲んで見守る中、ようやく明らかになった主演女優こそが『結水(ゆうみ) あきら』であった。

 晶の名前が発表された段階では『誰それ?』とみんなして首をかしげる有様だった。本人的には心臓止まりそうになっていたが。

 ……ちなみにその日『誰それ?』と『結水 あきら』がツイッターのトレンドの1位と2位であったことが、関係者だけでなく原作ファンの困惑を現している。


「正直、なんでオレにあんな話が来たのかわかんなかったんですよね」


 オファーがあったのは昨年の9月末ごろだったと記憶している。

 残暑が厳しかったものだから、クソ暑い夏の日差しに頭がやられたのかと訝しんだものだ。

 件のドラマの話は一応聞き知ってはいたものの、芸能界歴数か月のド新人にとっては縁のない話。

 そう思っていたのだ。


「でも、オレ、各務原さんにTSの話しましたっけ?」


 というか、あの時点では事務所の人間にも話した覚えはない。

 念のためにマネージャーに視線を送ると、こちらも素直に首を横に振った。

 まったく心当たりがないようだ。

『結水 あきら』をTS女優として売り出す方針を打ち出したのは、ドラマの主演が決定した後のはずだ。


「ああ、写真撮ったらわかった」


「何それ怖い」


「『週チャレ』のカット見た時から違和感があったから、原因が知りたくて撮影依頼したんだし」


「違和感?」


「うん。普通の女の子と違うんだけど……何が違うのかよくわからなかった」


 実際に顔を会わせてファインダー越しに見つめて。

 自らの手で撮影した写真を子細に観察したと言う。


「TSを売りにする女優というのはこれまでにも存在したけど、そういう子とも違う」


 晶がTSした元男子であることまでは独力で行きついたが、そこから先は専門外。

 だからTSにまつわる専門書を読み漁り、界隈の研究者のもとに押しかけて話を聞いたり。

 様々な努力の結果、各務原は『結水 あきら』の正体にたどり着いた。さすが趣味に人生を捧げている男だけのことはある。

 その過程で晶のレア度(TS発現率0.0001%にして後期TS生存率10%)も知ることができたという。


「『鏡中の君』の主演で揉めてるって話は割と有名だったし、これはと思ったんだ」


 各務原の個人的な興味から始まった異例の撮影会が、こんな大きな仕事に繋がっていた。

 今さらながらその事実を知らされて、晶の背中を冷たい汗が流れた。

 こういうことがあるから、この業界では絶対に手は抜けない。どこで誰が何を見ているかわかったものではないし、その影響は予想不能。

 業界の力学がいい方向に働けば、今回のように大きな躍進に繋がる。

 悪い方向に働けば――想像するだけでも恐ろしい。


「そうなんですか?」


 芸能界とはかかわりのない伊織(いおり)は無邪気に話を続けている。

 各務原の反応はごく普通。委員長として培ってきたコミュ力のおかげなのか、各務原の大人の対応なのか、判断に苦しむ。

 この天才カメラマンは偏屈者と名高い男なのだが……晶の知る限りでは途轍もなく仕事のできる男という印象しかない。

 ……釈然としないところはあるものの、噂と実像のギャップというのは良くある話と言えなくもない。


「もともとは某アイドルグループを卒業して女優に転身した子がやる予定だったんだけど、原作者がゴネてるとは聞いてたね」


 原作者のダメ出しが具体性に欠けているせいで、事務所側とかなり揉めていたと言う。

 ただ……この問題については声をあげたのは原作者だったが、他のスタッフも彼を止めることはなかった。

 関係者みんなが『この子ではダメだ』と考えていたということだ。


「……初耳なんですけど、それ」


「別に知る必要のないことだしねぇ」


「でも、あきらにとっては美味しい話だったんじゃないの?」


 伊織の言葉に隔意はなかったから、晶としては苦笑を返さざるを得ない。

 そんなに簡単な話ではないのだ。


 

 ★



 降って湧いたビッグオファーに晶は一も二もなく飛びついた。

 社長を始めとする事務所のみんなに世話になりっぱなしで、居た堪れなかった。

 ここで大きな仕事を成功させることで何とか恩に報いたい。

 日々の努力が実を結ばなかったせいか、当時の晶はかなり焦っていた。

 なぜか社長はあまりいい顔をしなかったものの、最終的には晶の熱意に押される形で仕事を受けてくれた。

 これほどの良案件にどうして社長が消極的なのかよくわからないままに初顔合わせを経て撮影に入り――彼女が懸念していたところを思い知らされた。



 ★



「原作はベストセラーで資金はジャブジャブ、出演者もスタッフも実力実績共に文句なしってな」


「何がダメなの?」


「そこまでお膳立てされてる中で失敗したら目も当てられないってこと」


 何もかもが『最高』で誂えられていた。『完璧』とまで称する者もいた。

 失敗するとしたら、それは能力不足の新人――つまり晶が足を引っ張るシチュエーション以外にあり得ない。

 世間ではシンデレラの物語になぞらえられる撮影現場は――そのまま処刑場でもあった。


「そんなにダメ出しされたの?」


「『そんなに』なんてレベルじゃねーよ。オレ絡みで一発OKだったシーンとか多分ひとつもない」


「え……」


「ボロクソに言われても原因はこっちの実力不足だってわかってるから文句も言えねーし」


「それは……キツイな」


 同情を交えた孝弘(たかひろ)の慰めに、晶は首を横に振った。


「仕事だから要求を満たせないオレが悪い。そこは別にキツくねーよ」


「じゃあ……何が問題なんだ?」


「一番しんどかったのは、オレがしくじると事務所の看板に泥を塗っちまうってこと」


 晶の言葉に学生組は息を呑んだ。

 3人の顔に『その発想はなかった』とハッキリと書かれていた。

 

「共演者やスタッフだって忙しい中でスケジュールを必死に調整してるのに、演技のえの字も知らないポッと出の新人に足引っ張られまくってたらムカつくわな」


『その不満がどこに向かうか』という問題が完全に頭から抜け落ちていた。

 考えが甘かったとしか言いようがなかった。学生気分のまま大人の社会に飛び込んでしまったのだ。

 つい最近まで子どもだった晶にとって、ミスとは自分に返ってくるものだった。

 自分の失態は自分で補う――自分のケツは自分で拭けばよかった。

 大人の世界では、それだけでは済まされないと知らされた。

 周りのみんなに迷惑をかける。恩人たちのメンツを丸潰しにする。自分のケツを自分で拭けない世界だった。

『期待に応える』なんて思い上がりも甚だしい。そんな偉そうなことを口にできる立場ではないと気が付いたときには、もう後戻りはできなかった。


「そうかな……あきらちゃんはよくやってるって聞かされてたけど」


「マジすか、それ?」


 各務原の言葉に晶は眉を顰めた。

 とてもではないが信じられない。

 視線を受けて禿頭のカメラマンは笑った。


「いくら僕の推薦だからといって、何の成算もなしにオファーを出したりはしないよ」


 大きなカネが動き、多くの人を巻き込む一大プロジェクトだ。

 しかも一度は主演女優を巡って暗礁に乗り上げかけた問題案件でもある。

 失敗はできないとなれば、何重にも保険をかけるのが道理だと言う。


「あきらちゃんの芸歴や能力が足りてないことなんて承知の上、多少のミスやスケジュールの遅延なんて織り込み済みさ」


「そう言ってもらえると気は楽ですけど……いや、やっぱ、甘えるのは違うと思う」


「真面目だなぁ」


 よくよく思い返してみると厳しくも素晴らしい現場だった。

 ストレスが過ぎて食事が喉を通らなくなったり、不眠に悩まされたりもしたけれど。

 日頃のレッスンを軽く見ているわけではないが、100回の練習よりも1度の実戦によって得るものは大きかった。

 一流の共演者やスタッフが求めてくるレベルは高かった。だからこそ急速に磨き上げられていく感覚もあった。

 多くの人に見守られながら育てられるという実感は、何物にも代えがたい宝物となって晶の中に根付いている。


「新人なのに歯を食いしばってついてくるって感心してたよ」


「……お世辞でしょ?」


 なおも訝しむ晶に、各務原は珍しく真顔になって忠告する。


「謙虚は過ぎれば嫌味になるし、賛辞は素直に受け取った方が良いと思う」


「それはまぁ、そうかもしれないですけど……」

 

「別にみんな妥協したわけじゃない。作品はしっかりできていた。叱責されただろうけど、見捨てられはしなかっただろ?」


「……そうっすね」


 各務原の言葉に偽りはない。それは結果が示している。

『鏡中の君』は近年のテレビドラマとしては異例ともいえる高視聴率を更新し続けた。

 社会現象を巻き起こし、TSに関する世間の意識を高める一助となった。

 SNSでもインターネットでも話題沸騰、芸能界だけでなく医療現場や偉いお役人たちからも称賛された。

 結果的には大成功といっても差支えないし、それは誇るべきことだとはわかっている。


「あきらもいろいろ苦労してるんだ」


「そういう話は全然聞いたことがなかったんだが」


「そりゃそうだ、話してねーし」


「……少しぐらい話してくれてもいいんじゃないの?」


「あのな……オレは夢を売りたいのであって同情を買いたいわけじゃねーの」


 晶の言葉にハッと目を見開いて口を閉ざしてしまった。

 今日は何かと突っかかってくる(みやこ)だったが、生来は生真面目な少女である。

『同情を買いたくない』と言うのは本音だ。みっともないし情けない。

 晶的には不機嫌になろうというもので、強張ってしまった室内の空気がみんなの肩に重くのしかかる。


「ま、そんなこんなで『あの放送』があって、今のオレがいるわけだ」


『あの放送』すなわち『TSシンデレラガール昏倒』の生放送だ。

 祝いの席での凶事に日本中が狂乱に陥ったことは誰の記憶にも新しい。

 多くの人に迷惑をかけてしまったけれど、まだチャンスを貰えていることは期待されていることの顕れであり、それは素直に嬉しい。

『結水 あきら』として期待には応えたいと思っている。今回の仕事も、その一環だ。


「さぁ、そろそろ撮影を再開しよう」


「了解です」


 過去に引きずられてもいいことなんてない。常に目の前の仕事に全力投球。

 一貫して変わらない、今後も変わることのない『結水 あきら』のスタイル。

 そうやってどこまでも進んでいこうと、デビューを決めたあの日に誓ったのだ。

 誰に? 自分と、自分を支えてくれる全ての人に。

第3章終了まで、あと2話!

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