第35話 『結水 あきら』の軌跡 その2
テレビドラマで主演を勝ち取り社会現象まで起こした女優としては、あまりと言えばあまりにもテキトー過ぎる『結水 あきら』の芸能界デビュー秘話。
……当時を知るマネージャー以外の面々の顔は微妙に引き攣っていた。
悲壮感を想起しないように努めて軽く語っていた晶も『ちょっとマズかったか?』と内心では思っていた。
途中からシリアスに方針転換しても違和感しかないので、このまま続けるしかないのだけれど。
「ちょっと気になってたことがあるんだが、いいか?」
ひと息ついて野菜ジュースで喉を湿らせていると、孝弘が口を挟んできた。
「なんだよ?」
「いや……未成年が芸能活動に携わる場合、親の同意が必要という話を聞いたんだが」
「ああ、それね」
都と伊織は互いに顔を見合わせており、スタッフ組も首をかしげている。
ただし両者の考えているところは違う。
前者は『そんなルールがあったのか?』と驚き、後者は『なんだ、そんなことか』と呆れている。
「東京に行ってから、一度だけ親父に電話したことがある」
「そうなのか?」
それは孝弘だけでなく都にとっても意外な答えだったようだ。無理もない。
幼馴染ふたりは晶と悠木家の確執を知っているから。
ついでに言うなら、これまで晶は『スマートフォンは東京湾に投げ捨てた』と説明していた。
ゆえに連絡手段は失われていると納得していたのだろうが……実のところ晶がどのタイミングでスマホを捨てたかは語られていなかった。
「『同意書にハンコくれないと実家に帰るぞ』って言ったらふたつ返事だったわ」
「なんだい、それ?」
おかしいセンテンスだ。各務原が呆れて笑い飛ばしたが、幼馴染ふたりは渋面を作っている。
話は繋がるものの……せっかく連絡を寄越した行方不明の娘(元息子)に戻ってきてほしくないという晶の父の反応に、未成年としてうすら寒いものを感じずにはいられない。
今でこそあっけらかんとしている晶が当時どのような感想を胸に抱いたのかを想像し、孝弘も都も心配げな眼差しを送ってくる。
「ま、そういうわけでオレも芸能人デビューできたわけだ」
とっくに終わったことだから、イチイチ気にしなくていいぞ。
晶は微笑んで昔語りを再開した。
★
『グラビアアイドルにオレはなる!』と決めたからといって、即座にデビューできたわけではない。
名乗るだけならいつでもどこでも誰でもできるが、実際にオファーを受けて雑誌なりなんなりに掲載されなければ、仕事をしたとは言えない。
やると決めたその日から、レッスンと営業の日々が始まった。時間がたったら『やっぱり……』などと腰が引けかねないという怯懦もあった。
『グラビアアイドルにレッスンなんて別にいらないのでは?』と訝しんだ晶だったが、世の中そんなに甘い話はなかった。
元男の目から見ても、当時の晶はすでに完成度の高い美貌とスタイルを兼ね備えてはいたものの……グラビアというものは単に突っ立っていればいいという話でもない。
アクションの一部をカメラで切り取るにしても、見栄えのする動作ができなければ始まらない。
普通に静止した状態でも人目を惹くポーズの研究も必要だ。
ついでに社長の意向で女優としてのレッスンも追加された。さすがに元女優の前で『女優なんて興味ありません』とは言えなかった。
そして同時並行で営業。黙っていても仕事がやってくるなどということはなかった。
さすがは日本の首都だけあって、東京には大小様々な出版社がひしめき合っている。
晶の場合はそのひとつひとつの社屋を毎日のように直参して、まずは顔を売り込むところからのスタートだった。
『フェニックスプロダクション』所属とは言え、特に後ろ盾もなければコネもない。
関係部署の人間に顔と名前を見知ってもらわなければ何も始まらない。
足を棒にしての営業行脚とレッスンを重ねる地味な日々が続いた。
★
「営業ってどんなことやるんだ?」
「どうって言われてもなぁ……ドラマとかで時々あるのと一緒だな。名刺を渡して『よろしくお願いします』って」
「あきらぐらい可愛くってスタイル抜群だったら、お仕事なんてすぐに貰えるんじゃないの?」
「まさか。見た目だけなら、オレぐらいの奴なんて履いて捨てるほどいる業界だぜ」
「……怖い世界だね」
★
毎日のように繰り返される門前払いにめげることなく、何度となく足を運び続けた結果が功を奏した。
『週刊チャレンジ』の編集が『まぁ、使ってみてもいいんじゃない?』と仕事をくれた。
その言葉を聞いたとき、晶は天にも昇りそうな心持ちになった。努力が報われたとガッツポーズ。
週刊誌でグラビアというと『巻頭○○ページ!』みたいな特集をイメージしてしまったが、そんなことはなかった。
晶に与えられたのは雑誌コーナーの隙間を埋める枠。
『そういえばそんなところにも写真があったな』と言われて初めて気が付くような、小さな小さな仕事。
理想と現実の格差から来る落胆を押し殺して、笑顔で『ありがとうございます』と頭を下げた。
グラビアアイドル『結水 あきら』の初めての撮影は出版社のスタジオで行われた。
ロケどころか専用のスタジオでも何でもない。新人グラドルの、しかもたったワンカットに無駄な予算は使えない。明らかに力が入っていない。
デビューしてから知ったことだが、撮影時に身に纏う水着はあらかじめ指定されていた。水着が自前と聞いて驚いたものだ。
ほかにも撮影ポーズとか、どこまで見せて良いとかダメとか、そういう細かいところまで事前の打ち合わせで決まる。
大人の仕事に行き当たりばったりというのはほとんどないと知らされた。
ちなみに晶は水着など一着も持っていなかったので、仕事が決まってから慌てて買い揃えた。
そして撮影当日を迎えた。
現場としては小さいものの、それなりの数のスタッフがいた。カメラマンがパシャッと撮って『お疲れ様~』なんてことはなかった。
雑誌の片隅に載せるたった写真1枚にこれだけの人数が動くと知って驚いた。
晶でこれなら……巻頭特集とか、あるいは雑誌全体で見るとどれだけの人間が関わっているのだろうと場違いな疑問すら抱いた。
これまで疑うことも気にすることもなかった世界の、些細な物事の裏に仕込まれた数多の歯車を垣間見て息を呑んだ。
水着を見せたときに社長が『アンタ、それを人前で着られるのかい?』と心配してくれたことを思い出す。
『できるだけ目立つモノを』と勢い込んで、かなり布面積の少ないものを選んだのだ。おかしなテンションだった気もする。
反射的に『大丈夫っす、問題ないっす』と胸を張って答えたものの、いざ現場に足を踏み入れると身体がすくんだ。
ほんの数名の前で肌を晒すというだけとしか考えていなかった。甘すぎた。
ここへ来て、ようやく肌面積が多すぎる自分の写真が雑誌に載って日本中にばら撒かれることを具体的に想像するに至って……
カメラマンの声はとっくにかかっているのに、バスローブにかけた手が動かなくなった。
――ええい、何やってんだ、オレ!
『結水 あきら』こと晶には、失うものはすでにない。
家族に捨てられ、大切な幼馴染を失い、故郷を離れた。
拾われた事務所を追われれば行くあてはなく、手持ちの資金も心許ない。
晶に残されているのは――いまだに慣れない自らの身体だけ。
「やってやる、やってやるよ!」
目を閉じて大きく深呼吸、そして――おもむろにバスローブを脱ぎ捨てた。
他にも色々なものを脱ぎ捨てた気がする。過去とか羞恥心とか、個人としての感情の一部とか。
照明のもと衆目に晒された晶の肢体に軽いどよめきが起きた。
胸を張って堂々とカメラマンに向かい合って、軽く一礼。そして笑顔。
「『結水 あきら』です。よろしくお願いします!」
★
「始めての撮影って、やっぱ緊張した?」
「どうだったかなぁ……なんか、気が付いたら終わってたって感じ」
「そうなの? 何かこう『恥ずかしー!』とかなかったの?」
「恥ずかしいっつーか……いや、何でもない」
「なんだよ、気になるじゃない」
「なんでもないですから!」
★
自分のグラビアが掲載されている雑誌が書店やコンビニエンスストアに並んでいるのを初めて見たとき、妙に感動したことを覚えている。
仕事としては小さいけれど、『結水 あきら』としては大きな一歩。これからも頑張ろうと闘志がわいた。
営業活動の方は、それからもあまり功を奏さなかった。
だからといって止めるわけにもいかないのだが。
ただ――偶然もらえた『週チャレ』の小さな仕事が、本人の預かり知らぬところで『結水 あきら』にとっての分水嶺になっていた。
あのワンカットを見て『写真を撮らせてほしい』と事務所にやってきた男がいた。
誰あろう『各務原 洋司』である。
グラビアアイドルの活動のひとつに『撮影会』というイベントがある。
スタジオを借り、時間を決めて参加者に撮影されるというものだ。交流会を兼ねる場合もある。
このイベントの是非については様々な議論があり、『フェニックスプロダクション』では行っていなかった。
だから普通に考えれば拒否一択だったのだが……相手は日本一のグラビアアーティストとも称される各務原だ。
しかも、彼の目に叶った女性はいずれもこの業界で大輪の花を咲かせることで知られている。
提示されたギャラも破格だし、事務所を通じた正式なオファーとも言える。単にクライアントが存在しないだけで。
デビューしたての『結水 あきら』には仕事を選り好みしている余裕はなく、周囲の心配を余所に日本一のカメラマンの申し出を受けた。
各務原との撮影会はごく普通だったと記憶している。個人的なものだったので写真が表に出ることはない。
その後も細々とした仕事を受けつつ、営業とレッスンに走り回る日々が過ぎ――そして『あの日』がやってきた。
テレビドラマ『鏡中の君』の主演女優として『結水 あきら』を起用したい。そういう話がある。
神妙な表情を浮かべた社長から聞かされた時、晶は思わず首をかしげていた。
――何かのドッキリかな?
後にインタビューでも度々語られることになる、偽りのない心境であった。
第3章終了まで、あと3話!




