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第33話 気を利かせておきました


 屋外での撮影を終えた一行は再び室内に戻ってきていた。

 夏の直射日光に苛まれて汗をかいた身体にエアコンから放出される冷気が心地よい。

 年齢・性別・立場を始めとするアレコレは異なれど、誰もが等しく科学技術の恩恵に預かっている。

 唯一の例外は――


「すみません、汗流してきました」


「おかえりなさい、あきらさん」


 浴室で汗を流していた(あきら)がリビングに戻ってきた。

 その姿を見た孝弘(たかひろ)がピクリと眉を跳ね上げる。

 最初の室内撮影と後に続く屋外での撮影時には、晶は白のビキニを纏っていた。

 シャワーを浴びた今の晶が身につけているのは、黒の三角ビキニ。

 それは昨日郊外のショッピングモールで買い求めた品だった。

 曰く『孝弘好み』であり本人も否定しなかった奴だ。(みやこ)伊織(いおり)は横目で視線を交わし合う。

 前者は苦々しげで、後者は微笑ましげ。ほんのわずかな時間だったので本人たち以外には気づかれなかった。


「あれ、そんなの持ってました?」


「昨日買いました」


 マネージャーに答えつつ晶はキッチンに向かう。

 歩いている間に、まつ毛の奥の黒い瞳がチラリと時計に向けられた。

 短針と長針が指し示す時刻は午前11時30分を過ぎている。

 撮影は日が昇る前から始まっており、途中で水分補給こそ行ったものの固形物を口にした者はいない。

 つまるところ、誰もが腹をすかしていた。

 冷蔵庫を開けて中から皿を取り出し――舌打ち。ドアを閉めようとしたのに手がふさがっている。

 横合いから軽くお尻をあててこれを閉める。シャッター音にため息ひとつ。相変わらず油断も隙もない。


各務原(かがみはら)さん……」


 視線の先には禿頭無精ひげのカメラマンの姿があった。

 手にはもちろんカメラが収まっていて、無機質なレンズが晶に向いている。

 先ほどのはしたないシーンもバッチリ収められているはずだ。


「シャッターチャンスは見逃せないから」


「あとでチェックさせてくださいよ」


「こちらでも確認します」


 ジト目の晶と顎を擦るマネージャーに詰め寄られて、さすがの各務原も大人しく従った。

 殊勝なように見えるが、実際のところはダメ出しされない自信があるのだろう。

 変態の自覚と天才の能力を併せ持つ人間は本当に厄介だ。


「あきらさん、それは?」


「昨日のうちに軽く摘まめるものを作っといたんで」


 いい時間だし休憩だし、よければみんなで食べましょう。

 テーブルの上に並べられてゆく色とりどりの料理に誰もが目を輝かせた。

 その反応に密かな満足感を覚えた晶は、鼻歌交じりに食パンをトースターに放り込む。


「わざわざ作ってくれたんですか!?」


「ウチも差し入れは用意したんですが……」


『週チャレ』の編集者が頭を掻いている。


「そっちもありがたく頂きますよ」


 晶は溌剌とした笑みを浮かべた。白い歯がキラリと光る。

 朝方顔を合わせたときに受け取ったスイーツは冷蔵庫にしまわれている。

 食後のデザートにすればちょうど良かろう。


「私たちが部屋をやっつけてる間に、こんなの作ってたんだ」


 呆れた風な都の言葉にぺろりと舌を出す。

 正確には夕飯を作る際に仕込んでおいたのだが、わざわざ訂正する必要は感じなかった。


「宅配でも頼めばよかったんじゃ?」


「気分の問題な。足りなかったら追加でオーダーすりゃいいだろ」


 昨夜の夕食を思い出して相好を崩す伊織、無言の孝弘。

 どちらもネガティブな表情ではないのでスルー。

 都だけが複雑そうな視線をテーブルに投げかけている。


「あ、食べる前に写真撮っとかないと」


「僕が撮ろうか?」


「いえ、ツイッターに載せるからオレのスマホで」


「りょーかい」


 各務原はあっさり引き下がった。

 仕事であろうとなかろうと、女性以外を撮るつもりはない男だった。

 あまりにシンプルな行動原理を目の当たりにしてしまっては、苦笑せざるを得ない。


 スマートフォンを構えて写真をゲット。

 すかさずツイッターにアップ。


『グラビア撮影は順調。これからスタッフみんなでお昼。オレの飯を味わうがよい!』


 晶以外も手持ちのスマホをチェックしている。

 みんなの目の前で『いいね』と『リツイート』がどんどん積み重なる。

 後にはいくつものリプライが続く。流れは好意的で応援のコメントも多い。


「愛されてるわね」


 そっと呟く都の声に、晶は微笑みを返した。



 ★



「正直言うと『結水(ゆうみ) あきら』のプロフィールって盛ってると思ってた」


 伊織がそうコメントすると、高校生組が賛同の意を示した。

 いくらなんでも優等生過ぎると言いたいらしい。

 そこまでは苦笑で流せる晶だったが……


「別にウソなんてついてないし……って、なんでみんなして頷くわけ!?」


 何度となく一緒に仕事をしてきたはずのヘアメイクさんとスタイリストさんも頷いていた。

 編集氏と各務原も同様で、晶の味方はマネージャー氏だけだった。


「いや、晶の趣味が『料理・読書』って……なぁ」


 言葉を濁したのは孝弘。

『何度聞いても信じられん』と言外に匂わせている。


「なんでおいしいの、アンタの料理が……」


 悔しげに歯ぎしりするのが都だった。

 

「その話は昨日もしただろ!」


「……それはそうなんだけど」


 孝弘も都もどうにも納得できない模様。

 なまじ中学時代までの晶を知っているだけに、事あるごとにギャップに悶えている。


「つーか、まったく盛ってないわけでもないけどな」


「サバ読んでるのか?」


 孝弘の疑問に晶は素直に頷いた。


「バスト92ってことになってるけど、実は95ある」


 極小面積の黒いトップスでは到底覆いきれない胸元。

 柔らかさを見せつけるように指で摘まみ上げて――落とす。

 重力に従って揺れる迫力に誰もが息を呑んだ。

 そんな中――


「「ハァ!?」」


 都と伊織の裏返った声が重なった。

 自身の身体を見下ろして沈黙し、再び晶に向けられたふたりの目がヤバかった。

 危険を感じた晶は思わず身体を抱きしめて大きく後ずさる。


「やっぱり大きくなってたか」


「グラドルは逆にサバ読むもんなんですがねぇ……」


 己の見立てに満足げな各務原と、しみじみと言葉を紡ぐマネージャー。


「なんで小さめに申告してるんだ?」


「別に理由はねーけど?」


「大きい方が良くないか?」


「う~ん……最近はモデルの仕事も受けてるし、あまり大きすぎると具合が悪かったりする」


 わざわざ説明はしなかったが、個人的な趣味の問題もあった。

 バストだけ見ると強烈なインパクトの数字がウケるだろう。

 でも……どうにも全体的なバランスが悪く感じられるのだ。


「贅沢な……」


「これだから持ってる奴は」「あきらのこと許せないって、初めて思ったよ」


「そこまで言うことか!?」


 と言いつつ都と伊織の胸元に視線を走らせ、自分の身体を見下ろし……


「アンタ、今どこ見てたの?」「怒らないから正直に言ってみて」


「あ、いえ……」


「まぁまぁ、みなさん落ち着いて。ほら、ご飯食べましょう」


 マネージャーが仲裁に入ってくれた。

 いつもは周囲とのクッション役を担ってくれている伊織はあちら側に回っている。

 ……この件ではどうも味方になってくれそうにない。


「美少女でナイスバディで料理できるとか……」


「料理なんてホントいつの間に覚えたの?」


 あくまで食い下がってくる都に、また重苦しいため息。

 そういえば彼女は料理が下手だったなと記憶が蘇った。


「料理なんてレシピ守れば誰でもできるだろ」


 頬を膨らませて応えた。最近は動画配信もある。

 文字を追って調理過程を想像するよりも、ずっと簡単だ。


「えらく簡単に言ってくれるわね」


「経験者が語る」


「はぁ?」


「事務所に置いてもらってた時さぁ……ま、居候だったんだけど居心地悪くて。なんかさせてもらえないかなぁって、掃除とか料理とかやってたらできるようになってたわ」


「……アンタそんなことしてたの?」


 都が眉を顰めた。

『何でそんな顔を?』と疑問を覚えたが……よくよく思い返してみたら、あまりその手の話を誰かにした記憶はなかった。

 晶の下積み時代にまつわるネタというのは、情報社会なご時世にも拘らず関係者以外には意外と知られていない。


「まぁな。うちの社長が生活能力ゼロだったから、事務所とか家に住まわせてもらってる間は面倒見たりしてた」


「そうなの?」


 都の問いに頷いたのはマネージャーだった。沈痛な面持ちであった。

 晶よりも社長との付き合いが長い分、心労もひとしおと言ったところか。


「ええ。女優だったころは気を遣っておられたのですが……最近はカロリーメイトとサプリしか口にされないことも少なくなくて」


「でもいい人なんだぜ。これ見よがしに飯を作ってみせたり、弁当用意するとちゃんと食べてくれるし」


「それはアンタがいい嫁過ぎるでしょ」


「え、そう? 照れるわ」


「……女子力で負けるの、物凄いショックだわ」


「精進したまえ、都君」


 ぐぬぬと唸り声をあげるので、調子に乗ってみたところ……


「アンタを消せばなかったことにならないかしら」

 

 真顔で拳骨を握り始めたので、慌てて言葉を付け足した。


「男子力で対抗しないでくれ、頼むから」



 ★



「それじゃ、午後の撮影は浴室と洗面所で」


「了解です」


「晶、アンタ正気なの?」


「何が?」


「何ってその……これ、雑誌に載るんでしょ? 自宅のお風呂なんて……」


「ああ、そういうこと? いいよ。別に見られて困るもんじゃねぇし」


「そうなの!?」


 都の声は悲鳴に近かった。

 眉毛が急角度に吊り上がっている。


「……晶、お前プライベートを切り売りしすぎじゃないか?」


 孝弘も会話に割り込んでくる。

 顔は苦渋に満ちていて、怜悧な顔立ちに陰が落ちている。

 こっちはこっちで何とも言葉にし難い迫力があった。


「ん~まぁ、これくらいは」


「本気か?」


 あくまで疑義を呈する孝弘に、晶は頷いた。

 

「本当に見られたくないプライバシーは隠すよ」


「それは例えばどんな?」


「お前らとか」


「む?」


「友達、幼馴染、私生活……あと家族とか」


『幼馴染』と本人の前で口にする瞬間、若干の照れを覚えた。昨日までにはなかった感覚だ。

『家族』と口にする瞬間は苦い表情を隠せなかった。こちらはほぼ没交渉のままであり、お世辞にも良好とは言えない関係だ。

 念のために付け足したと言ったところである。


「踏み込まれたくないところはガードしてるって」


「……お前、無理してないか?」


「無理は……してないこともない」


「晶、お前っ!」


 色めき立つ孝弘をそっと制した。


「オレは手持ちのカードが少なすぎるんだ。生き残るためには身を削らなきゃならないこともあるさ」


「あきらちゃんは、昔からそういうところあるよね」


 割って入ってきた各務原の余計なひと言に動揺する幼馴染たち。

 彼らの視線が見るからに無防備な晶に突き刺さる。『話せ』とその眼が語っている。

 つい視線を逸らしたものの、撮影スタッフは援護に入ってくれそうになかった。


「う~ん」


 軽く頭を掻いて椅子に腰を下ろす。

 孝弘も都も、この街を出てからの晶を知らない。

 ふたりにとっての『悠木 晶(ゆうき あきら)』は1年以上前から更新されていない。

 だからこそ現在の晶の言動に違和感を覚えているのだろう。

 

――ここまで協力してもらっておいて、説明しないわけにもいかない……か。


 この認識の齟齬は、今後の人間関係に大きな影響を及ぼす可能性がある。

 覚悟を決めた晶は、麦茶で喉を軽く潤してから――再び唇を開いた。

 いつしか室内の誰もが口を閉ざしていた。彼らの目と耳が晶に集中している。


 艶めく唇から零れ落ち、室内に広がっていく昔語り。

 それは『悠木 晶』と『結水 あきら』の過去と現在を繋ぐ旅路であった。

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