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第32話 暑い/熱い


結水(ゆうみ) あきら』は日本のグラビアアイドル兼女優である。

 デビューしてから1年と少々、場数はそれなりに踏んでいる。

 屋外ロケだって別に今日が初めてというわけではなかったし、人目につくところで肌を曝すことに羞恥心を覚えたりもしなかった。

 そういう自分にプロフェッショナルを感じてきた(あきら)にとって、今回は何もかもが異例の撮影だった。

 

 話はあらかじめ聞いていた。もともと入念な打ち合わせを欠かしたことはない。スケジュールが記憶から抜け落ちることはあるが。

 撮影現場は晶の自室、そしてマンション敷地内の小さな公園施設。マンションの管理人を通じて会社にも許可は取ってある。

 当日はわざわざ管理人が出勤(普段は土日には姿を現さない。つまり休日出勤)し、その立会いの下で撮影は行われる。

 管理人は60歳をいくらか過ぎた白髪の老人だ。長年このマンションを守ってきたベテランだが、彼をして異例の事態に動揺を隠せていない。


 常日頃は小さな子どもが戯れている遊具に伸びやかな肢体を預ける晶。

 そして晶を取り巻く撮影スタッフ。同席を許された同級生たち。

 更に離れたところから遠巻きに珍事を見物する住人多数。


――すげーやりづらい……


「……ふぅ」


 やけに喉が渇いた。部屋の外に出てから、ずっとこんな感じだ。

 見上げれば太陽は高度を増しており、サウナじみた濃密な空気がまとわりついてくる。

 夏の日差しに照らされた肌はじっとりと汗をかいて、蠱惑的な輝きを帯びていた。

 プロフェッショナルに仕上げられたボディは、夏という季節そのものを味方につけて一層の魅力を放っている。

 晶は撮影用の表情を作りながらも、身体の奥で燻るこれまでに感じたことのない熱に戸惑いを覚えていた。


 熱源の正体は――先ほど各務原(かがみはら)が指摘したとおり。

 幼馴染である孝弘(たかひろ)(みやこ)、新しくできた友人の伊織(いおり)の存在だ。

 こうしている今も、遠目から凝視し続ける彼らの眼差しに焚きつけられている。

 現に身体は如実に反応を示している。無意識のうちに、あるいは本能的に。

『彼らに見られる』ただそれだけのことで、被写体としてのレベルが上がっている。

 どれだけ否定の言葉を重ねようとしても、実際に撮影された写真を見れば結論は明らか。

 ……あれほど完全な証拠を突きつけられては、不本意とは言え晶も認めざるを得なかった。


 では――親しい者たちの視線を自覚してしまったらどうなるのか?


 画像データを見せられた時に背筋が震えた。本日のスケジュールが脳裏をよぎったから。

 自室で限られた人間の視線に晒されているだけでこの有様。

 身体も心も思いどおりにならず、未知の衝動に翻弄されるがまま。

 にもかかわらず写真の出来は抜群に良い。それがまた、恐ろしい。


――こんな状態で外へ出るなんて……

 

 初めてグラビア撮影を行った日以来、長らく鈍麻していた感情が蘇った。

 思わずゴクリと唾を飲み込む。こめかみを冷たい汗が流れ落ちた。

 ……だからと言ってドタキャンなんてありえない。

 慄く心を叱咤して震える脚で部屋を出て……今、想像をはるかに上回るシチュエーションに放り込まれている。

 撮影現場を見学しているのは親しい者たちだけではない。

 公園施設をチラ見あるいはガン見する人間には、マンションの住人や近隣の人々も含まれている。

 中には日常的に挨拶を交わしたりすれ違ったりする人たちもいる。

 そんな人たちの視線が、意識が集中している。明日から、どんな顔で過ごせばよいのだろう?

 思考が結論にたどり着くことはなかった。頭の中が桃色に霞がかって身体が燃える。

 艶めく唇から零れる吐息は、夏の空気よりなお熱い。


――恥ずかしがってる場合じゃない……ってわけでもないんだよな……


 陽光の下、衆人環視の中、晶は心の奥で独り言ちた。

 グラビアカメラマンの第一人者である各務原は、晶には羞恥心が欠落していると断言した。

 この天才は『そんな感情は不要』と言ったわけではない。逆だった。必要だと言ったのだ。

 半裸を人目に晒し、画像データを残し、雑誌に掲載されて日本中のそこかしこで販売される。

 それがグラビアアイドル――晶が自ら選んだ仕事だ。その事実と改めて正面から向かい合えと言われたに等しい。

 TS後の入院期間中にはリハビリに合わせて一般的な性教育の講義もあった。何を持って()()()と定義するかはともかくとして。

 ひととおりの教育を受けた結果を鑑みて……ナチュラルボーンの女子ではない『悠木 晶(ゆうき あきら)』は、この仕事をするなら羞恥心なんてない方が良いと思っていた。

 でも――


――羞恥心は必要、か……

 

 元男子であるがゆえに各務原の言葉に正しさを認めてしまう。

 恥じらいを完全に排除してしまった女子なんて男子的には微妙だろう。

 もちろん、そっちの方が良いという男もいるだろうが。

 割合的にはどうだろうと考えると、前者が勝る気がする。

 データはないけど、多分きっとそう。


「だから……恥ずかしさを武器に代えろってことだよな」


 呟いた小さな声に、至近でシャッターを切っていた禿頭のカメラマンは頷いた。

 

「演技として使える感情がひとつ増えるだけで、表現は劇的に広く深くなるよ」


 各務原の声に晶も頷いた。心得違いを指摘されて大粒の黒い瞳が潤む。

 内面的表現の深化、演技力のバージョンアップ。

 グラビア撮影に限った話ではなく、今後も女優として活動してくうえで避けて通ることはできない。

 現在の『結水 あきら』のテレビドラマの経験はたった1本。たまたまそういう感情を求められることはなかった。


 では――これからは?


 晶はこれからも女優としてのキャリアをずっと積み上げていくつもりでいる。

 どれだけ生き残れるかは晶自身どころか、きっと誰にも分らない。誰も保証してくれない。

 毎年のように期待の新人が現れる業界だ。新陳代謝は早い……どころか激しい。武器は多いに越したことはない。

 元大女優である事務所の社長からも芸能界の厳しさは何度となく訊かされている。過酷な世界だ。甘ったれている場合ではない。

 即席のバリケードの向こうから見つめてくる見慣れた瞳が心配そうに揺れていた。

 普段の『悠木 晶』を知る者からは、今の『結水 あきら』は酷く不安定に見えるのだろう。

 

――そんな顔すんなって。ちゃんと決めてやるからさ……


 撮影中だから、無駄口を叩く暇はなかった。

 詰問気味ではあったものの心配してくれていた都に啖呵を切ってしまった以上、引き下がるという選択肢はない。

 流し目で幼馴染たちに応えて軽く頭を振ると、セミロングの黒髪が弧を描いて靡く。ギャラリーが湧いた。

 とかく衆目を惹きつけまくる外面は自信に溢れている……ように見える。実際は、そう見せているだけ。


 内心では今なお不安を払しょくしきれていない状態が続いている。

 まるでデビュー当時に舞い戻ったかのように足元がフワフワして落ち着かない。遊具にもたれかかって身体を支える。

 極小の布地に覆われた柔らかな曲線を描く豊かな胸、その奥で言い聞かせるように『大丈夫、オレはイケてる』と繰り返し呟いた。


 コンマ何秒の間隔で晶を切り取り続けるシャッター音がやたらと耳につく。

 ファインダーの奥に光る各務原の瞳から、すべてを見透かすような力を感じる。

 日本一のカメラマンが放つ圧に飲まれそうになるところを、踏みとどまって視線を返す。

 

――熱い。


 身体の外側も、内側も。

 頭の中まで燃えるよう。

 この熱は……晶の新しい力だ。


「……やってやるよ」


 桃色に湿る唇から言葉が零れた。

 胸の奥――魂から生じ、喉を通って溢れ出した挑戦の言葉だった。

 物憂げに目蓋を閉じて――再び開く。決意を定めた黒い瞳が光を増した。


「やってみなよ。どこまでも駆け上がって見せてくれ」


「うっす」


 君にはその資格がある。

 挑発的な言葉に続く激励に、力強い声を返す。


「それはそれとして、いつものあきらちゃんに戻ってるよ」


「あ、はい」


 強い意志が前面に出過ぎてしまった。これまではそれでよかった。オープンで活発なTS美少女でよかった。

 これからは――このままではダメだ。『結水 あきら』には足りないものが多すぎる。

 持っているものはすべて使う。強さだけではなく、弱さも武器だ。使い方がわからなければ学ぶしかない。

 大きく息を吸って吐き出す。胎内から溢れる吐息はふいごのよう。

 身体の中心に宿った熱情に見えざる手で触れて力を吸い上げるイメージ。


――熱い。


 照り付ける夏の日差しのせいではなかった。内側から燃え上がるエネルギーに自ら当てられている。

 ずっと目を逸らしてきたパワーだった。慣れていないだけに持て余してしまう。

 しかし、手ごたえがある。飼いならすことができれば晶にとって強力な助けになる。

 自覚を促されて理解した。これは……マストだ。捨てるなんてとんでもなかった。

 久しく忘れていた感情を取り入れて更なる飛躍を目指す。今日は記念すべき第一歩。

 欠落を埋めてくれたのは――


「……はぁ」


 続く答えは霞んでカタチにならなかった。

 かわりに官能的な声がナチュラルに漏れた。シャッター音。

 悩ましげな表情をすかさずカメラが奪っていく。してやられた。

 今の晶は無防備に過ぎる。熟練したカメラマンにとっては腕の見せ所だろう。


――気になる。


 ファインダー越しに見つめる各務原の瞳。

 傍で待機しているスタッフ、マネージャー、編集者の瞳。

 機械的な音の彼方から晶を見つめる何万、何十万、あるいは何百万の瞳。

 そして――もっとも近しい理解者である孝弘の、都の、伊織の瞳。

 多種多様で数えきれないほどの視線を浴びている感覚は、得も言われぬ快楽だった。

 心の奥から湧き上がる情熱で身体が浮かび上がるような錯覚に、足元がふらつく。

 ……まだ、心も身体も慣れていないのだ。この新しい力は、とにかく晶を振り回す。


「ポーズがブレてる。視線もっと頂戴」


「うう……くそっ……はい!」

 

 意識しすぎて基本が疎かになってしまった。被写体というのは突っ立っていればいいわけではない。

 常に脳内映像を更新し続けなければ、頭のてっぺんから足のつま先まで神経を尖らせておかなければ。

 すっかり慣れたと思った仕事が難しい。思い上がっている暇もなければ余裕もない。

 華やかなようでいて、つくづくこの業界は甘くはない。だが、それが良い。

 渇きを覚える唇をペロリと舐めて、晶は今日イチのなまめかしい笑みを浮かべた。

 

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