第31話 黙ってなんていられない
『羞恥心が足りない』という各務原の指摘を晶は納得して受け入れた。
今まで目を逸らしてきたこと正面から向き合う。というわけで、この話題はここまで。
休憩もしっかりとれたし、そろそろ撮影再開という流れになりかけたところで――
「それってつまり私たちは当て馬ってことですよね」
冷気を伴った声が室内に響き渡った。
暗くて重い声だった。
その主は――都。
「み、都……」『都ちゃん、落ち着いて」
すぐ傍に居たふたりが慌てて押しとどめるも、その程度で収まるようなら口に出したりはしない。
都は不機嫌を隠そうともせず、持論を展開していた各務原……ではなく晶に光彩の消えた眼差しをぶつけてくる。完全に眼が据わっている。
漆黒の瞳はどこまでも深く、夜の星空――よりもブラックホールを思わせる凄まじいプレッシャーを放っていた。
芸能人として一皮剥けそうになっていた晶でさえビビッて身体を仰け反らせる威圧感に、誰もが息を呑んだ。
――何でオレの方を見るんだよ!?
内心の不満はともかくとして、これは捨て置けない状況である。
無理を言って部屋を設えてもらった恩があるだけに強く出にくいが、撮影に差し障りがあると困る。
これはグラビアアイドル兼女優『結水 あきら』としての仕事だ。晶の責任だけで収まらない以上、ここは都に退いてもらわなければならない。
『自分勝手なことばっかり考えてるな』と自嘲しつつも、幼馴染を宥めるのが最優先であることに変わりはない。泣きたいけれど、どうせ誰も代わってくれない。
「わかってくれ都、これは真面目な話なんだ」
「……仕事が上手く行きさえすれば、アンタにとっては問題ないわけ?」
「? 問題って、なにが?」
フラットから一転して悲痛な色合いが混じった都の声と表情に不意を突かれた。
きょとんとしてしまった晶は『何が問題なのか?』と真面目に問い返してしまう。
室内の空気はマジでヤバい。爆発3秒前。導火線に火が付いた爆弾を晶以外の誰もが幻視した。
周囲の人間はいつの間にか口を噤み、今やふたりを邪魔する者はいない。
人生マイペースを標榜している各務原ですら、禿頭を撫でつつ身を引いている。
この男、自分で火種を放り込んでおきながら、事態を収拾するつもりはまるでない。
「何って、そんな男に媚びるようなことばっかり」
「別に媚びてるわけじゃねーよ」
はっきりと言いきった。かなり食い気味の反応速度だった。
今も昔も都に対してはあまり強硬姿勢を見せなかった親友の変わりように、孝弘も伊織も驚きを隠せないでいる。
真っ向から否定された都はというと、こちらはこちらでまったく怯む様子を見せない。
年頃の少女らしい純粋な生真面目さを前面に押し出す形で、意見を違える幼馴染と相対している。
「媚びてないのなら何なのよ、あんないやらしい格好ばっかり」
「エロいかどうかって言われたら、そりゃエロいよ。悪いか?」
「『悪いか?』って……いいと思ってるの?」
開き直り気味に返されて都の眦が吊り上がる。
彼女の中では『エロ=悪』の公式が成り立っていると、晶は今さらながらに気づかされた。
1年前のやらかし案件を思えば無理もない。あれはおよそ最悪の裏切り行為だったから。
もともと潔癖気味ではあったものの、都がここまで拗らせた原因の一端は晶にある。
……自覚があるからこそ、黙ってはいられなかった。
「疑問に疑問で答えてほしくないな。イヤならはっきり言ってくれよ」
「じゃあ言ってあげる。イヤよ。でも、言ったってアンタはやめないでしょ!」
「当たり前だろ。誰がやめるか。お前の趣味をオレに押し付けんな!」
睨み合いからの売り言葉に買い言葉で、晶の方もどんどんボルテージが上がっていく。
普段なら都相手にここまで喧嘩腰になることはないし、そうでなくとも今回は少なからず負い目がある。
この状況なら晶が抑えるのが3人の関係だった。晶だって本音では都とは冷静に話し合いたい。
しかし――晶は退かない。
たった1年ほどとは言え、自分が積み上げてきたものを頭ごなしに否定されたくはなかった。
「そりゃオレは純粋な女じゃないから、お前らがどう考えてるのかはわからねーよ。想像ぐらいはするけどな」
TSの前後で性格そのものは変わっていないし、そもそも晶は自分の価値観を絶対的とは見なしていない。
しかし……環境は変わった。身体的な性質も変わった。
家族や友人を含む人間関係も変わった。そして思い描いていた将来のビジョンも変更を余儀なくされた。
その過程で様々なものを見てきたし、翻弄されてきた。救われたこともある。
少しだけ社会に出てみて感じたのは『世の中の大半の物事には学校で習うような『わかりやすい正解』なんてものはないのでは?』という疑問。
概ねのアレコレは人それぞれ。価値観も、人生も。成功や失敗さえも。だから、みだりに否定したくはない。されたくもない。
「きっかけは偶々だったけど、オレは好きでこの仕事をやってるし、好きでやってる以上は手抜きはしない」
いつしか晶の声は熱を帯びていた。
グラビアアイドルとして活動している『結水 あきら』という自分は、きっと都に認められるような人間ではない。
人前に肌を晒して男の情欲を誘うような仕事を、素直に『アリ』と受け入れてくれる幼馴染でないことは承知の上。
別に彼女に限った話ではなく、世の大半の女性にとって受け入れがたいことかもしれないとさえ思っている。
ただ……晶のことをどう思っているにせよ、都には一方的かつ短絡的に物事を判断・拒絶してほしくはなかった。
それはきっと都にとって良いことではない。関係が悪化していようとも『仲村 都』は大切な幼馴染なのだ。
たとえ今以上に嫌われることになろうとも、言うべき時に言うべきことを言える人間でありたかった。
「好きでやってるって、アンタもう有名な女優じゃない」
「有名って……ひと山あてただけの新米だっつーの」
都の口ぶりに晶は眉を顰め、口調は自然と苦々しげなものになった。
スピード出世が目くらましになっているが、『結水 あきら』は芸歴1年程度の吹けば飛ぶようなルーキーに過ぎない。
『ひとつの仕事』すら当てられない人間が山ほどいる業界の内情を鑑みれば勝ち組と呼べなくはないが……とても安泰と呼べる身分ではない。
ただでさえ生放送でぶっ倒れたお陰で一線から身を引く羽目になっているのだ。現状に対し忸怩たる思いがある。
……その内心を口にして理解してもらえるかというと、これはまた別の話になってしまうのだが。
「だからって、こんな仕事……」
「こんな仕事って言うな。オレにとっては全部大事な仕事なんだ」
熱くなっていた晶の口から自身が驚くほどに冷たい声が出た。それは偽りのない本心だった。
女優としてテレビドラマの主演を勝ち取り、社会現象を起こすほどの業績をあげた。
『結水 あきら』は成功者であり、周りの人間を跪かせる存在に見えるのかもしれない。
高校に編入してまだ1週間程度しか経過していないが……クラスメートたちとの会話でも、そんな空気を感じることがあった。
ネットやマスコミを通じて作り上げられた虚像と現実とは全然異なっている。
『結水 あきら』はたまさか機会を得ただけのラッキーガール。
同業者たち、とくに一流と呼ばれる人たちが普通にこなす仕事をひとつ成功させただけ。
こんなところで思い上がっていたら、すぐに見切りを付けられ捨てられる。芸能界は煌びやかだが甘くはない。
「それでも……」
真正面から晶に反論されて、都の歯切れが悪くなる。
意見をぶつけているうちに、元々あまり明確な論拠を持っていないことに気が付いたのかもしれない。
とは言うものの、雰囲気あるいは感情を根源とした都の反駁を完全に論破することは難しい。別に徹底的にやり込めたいわけでもない。
「と・に・か・く、頭ごなしに否定すんなって話」
「……ッ!」
出会ってこの方、口論でまともに都とやりあって勝てた記憶のない晶だったが……ここは譲れないとばかりに胸を張った。
対するショートボブの幼馴染は決して素直に沈黙しているわけではない。傍からは昂り過ぎた胸中に渦巻く感情を持て余しているように見受けられた。
冷静さを旨とするいつもの都とは雰囲気が一変してしまっている。今の彼女は触れたものを片っ端から燃やし尽くしかねない激情に身を委ねつつある。
ちなみに、すぐ傍に立っていたはずの孝弘と伊織はそそくさと距離を置いていた。
流れ矢が飛んできたら堪ったものではないゆえに、身の安全を考えれば致し方なし……イラっとはしたが話を振るのはやめておく。
これ以上ややこしいことになったら収拾がつかなくなるのは目に見えている。
「……」
「……」
「……ッ」
晶と都、ふたりの視線が交錯する。お互いに目を逸らすことなく見つめ合うことしばし。無言の対峙を経て……都は目を閉じて大きく深呼吸。
『ふ~~~~~~~~』っと身体の中に溜まった熱を吐き出すような長い、長~~~い吐息。いつの間にか怒らせていた肩がデフォルトの状態に戻っている。
再び見開かれた瞳は黒く澄み渡っていて、いくらか精神的均衡を取り戻しているよう――と言うのは晶の楽観的観察による願望込み込みと言ったところか。
「……んなに」
「ん?」
「そんなに言うのなら、じっくり見させてもらうから」
「お、おう」
「中途半端にバカみたいなことしたら、絶対許さないから」
「あ、はい」
「わかったら、さっさとしなさいよ。後ろの人、待ってるみたいだけど?」
「え?」
険のある都の声に促されるように振り向くと、そこにはカメラを構えた各務原。
眩しい光とシャッター音。
「……各務原さん?」
「いやぁ、若いっていいね」
「そんないい顔していいこと言った風に誤魔化さないでください」
「いやいや、思ったことを素直に口にするのって大切だと思うよ」
おじさんになると、そういうことってなかなかできないからね。
言いたいことを抑えているところなんて見せたことのない男が、そんなことを宣っている。
室内を見回してみると、他の大人たちも似たり寄ったりの顔をしていた。一様に浮かんだ生暖かい笑み。
「大人って汚い……」
「今さらだねぇ。さて、次の撮影は外だよ」
マンションの管理人から撮影許可は貰ってるから。
各務原の言葉にマネージャーたちも頷く。晶も頷いた。
スケジュールを把握していない学生組は驚きに目を丸くしている。
「外、外って……」
絶句した都は、辛うじてそれだけ言葉を発した。
陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせている。
「心配しなくっても、マンションの敷地内だよ」
「そういう問題!?」
屋外でグラビア撮影。幸いなことに天気は良好だ。雨だったら目も当てられないところだった。
企画段階で話は聞かされていたし、別に『いつものこと』だと思っていたから特に意識はしていなかった。
しかし……ひょっとして自分の感覚は少しおかしくなっているのではないか。
驚愕に身体を震わせる都たちの姿を見ていると、そんな気がしなくもない晶だった。




