第30話 種明かし
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ぎこちない雰囲気を払しょくできないまま撮影は小休止を迎えた。
ベッドの上で寝転がっていた晶は、身体を起こすなり各務原を軽く睨み付け、頬を膨らませている。
被写体としては、あまりパフォーマンスを発揮できていないという認識があるからだ。
その原因を作った本人に文句のひとつも言いたくなる。言わないが。一応あざとい態度で表明しておく。
対する各務原は晶の不満などどこ吹く風とカメラをパソコンに接続して内容をチェックしている。
室内で撮影を見学していたほかの面々は……互いに目配せを交わし合いながらも、揃って唇を引き結んでいる。
妙な沈黙に部屋の主が耐えかねた頃合いで、黙々と作業していた禿頭のカメラマンが口を開いた。
「あきらちゃん、これどう?」
「どうって……」
各務原の指はパソコンのモニターをトントンと叩いている。そこに表示されているのは先ほど撮っていた写真に間違いない。
晶はほんの一瞬だけ眉をしかめた。自分で納得できていないものを見せつけられるのは愉快ではない。
……本音は本音として、これは仕事の一環でもある。直々のご指名とあれば『見たくない』とも言えない。
不平を口にすることなく液晶画面に視線を走らせた晶は――大きく目を見開き、ビクリと全身を跳ねさせた。
「え……これは……」
絶句した。
作っていた表情もストーンと抜け落ちてしまった。
それほどの衝撃を受けたし、晶の様子がおかしいことに気が付いた周りのみんなも身体を浮かせた。
――いい。
誰に言われるまでもなく、晶自身が直感で答えを出してしまった。
デビュー以来何度もこなしてきたグラビア撮影は、『結水 あきら』の仕事の中でも最も割合が大きいものだ。
実際に雑誌のカラーページに掲載されたものだけでなく、それこそ数えきれない枚数の画像データが存在している。
そのすべてを記憶しているわけではないとは言え……今、晶の目の前に表示されている写真は、既存のものとはレベルが違った。
表情に艶があり、ポーズに色があり、写真として華がある。暴力的なまでに視線を奪いにくるようなパワーを感じる。
「よく撮れてるでしょ?」
「……はい」
からかうような各務原の声を否定できず苦々しげに頷く。不本意なはずの作品が、どうしてここまで出来がいいのか……わからない。
もし自分が男の『悠木 晶』のままだったと仮定して……これらの写真が雑誌の表紙を飾っていれば、中身を見ることなくレジに持って行くだろう。
いや、TSグラビアアイドル兼女優として名を馳せている今の自分だって、きっと同じ行動をとるだろう。
そう納得させられるだけのクオリティがあった。これまでだって手を抜いたことなんてなかったのに、従来の『結水 あきら』のグラビアとは何かが違う。
「……どうして?」
理解できない。
撮影時の印象としては、かなりノリが悪かったはずなのに。
もちろん各務原の腕前で上手く仕上がっているというのはあるのだろう。
でも……これは……
「あきらちゃんのいいところは、良くも悪くもあっけらかんとしているところだと思う」
「はぁ、それはどうも」
「つい最近まで男だったせいか、他のアイドルや女優よりも性格が男性的。その分サービス精神も旺盛だ」
晶は黙って頷いた。
『結水 あきら』にとっては売りとなっている部分である。
自分でもそのように認識している。露出バンザイ。
「でも、その反面で足りないものがあった」
「足りないもの?」
『『結水 あきら』に足りないもの』と言われて、まず思いつくのは――演技力。
演技が微妙と言われているのは知っている。自覚もある。レッスンは積み重ねているが、なかなか結実しない。
しかし写真に演技は関係ない……ことはないかもしれないが、あまり比重は大きくないと考えていた。
おそらく、各務原が求める答えは演技力ではない。もっと別の、晶が気づいていないものがあるのだ。
「オレに足りないものって、何ですか?」
文字どおりの意味で『百聞は一見に如かず』だった。
これだけの写真を見せられてしまえば、自分に何かが欠落していることは認めざるを得ない。
そして『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』である。
晶はこれからもこの仕事を続けていくのだ。上を目指すのならば貪欲でなけらばならない。
問題は……相手が『各務原 洋司』であるということ。
よく言えば天才、身も蓋もないことを言えば変人。いずれにしても偏屈者であることに変わりはない。
普通に乞うても素直に教えてくれるかどうか……
「ぶっちゃけ、羞恥心だね」
あっさり答えが返ってきて驚いた。
答えを聞いて、頭の中で反芻して、さらに驚いた。
「羞恥心……ですか?」
おそるおそると言った体で尋ねた。訝しげに眉を寄せながら。
『そう』と各務原は頷く。
「『結水 あきら』は元男子。それも15歳まで男だったから、他の女優や従来のTS女優よりも男性心理には詳しい。どういうものを求められているか本能的に理解している」
「はぁ、それはまぁ……そっすね」
「男性的な視線をわかってる……というよりも男性的思考を持っているせいかな」
他の女優の『男性の視線を意識した写真』よりも、ダイレクトに欲望を煽ってくる。
ハイレベルなルックスとスタイルを持っていても遠慮がない。
名前を知られるようになってからも、性的なオーダーに応えることに拒否感がない。
いずれも『結水 あきら』のストロングポイントである。
「うん、そういう心がけはいいんだ。けど……良すぎる」
「良すぎると、ダメなんすか?」
「変にお高く気取って色気もへったくれもなくなるよりはいいよ」
ただ、それだけでは物足りない。
各務原はそう続けた。
「ファンとしては色々な顔を見たいわけ。その中には恥ずかしがってる姿も含まれる」
むしろそういう姿に色気を感じる人間だっているとのこと。
言われてみると……晶的にも思い当たるところはなくもない。
裸がデフォルトになっている女性のヌードよりも、いつもは服を着込んでいる女性がチラリと肌を魅せる方が興奮する。
「つまり……チラリズムですか」
「うん、違う……いや、違わないかな。精神的な問題だけどね」
写真に写るのはあくまでも物理的な画像や現象のみ。
心霊写真じゃあるまいし、魂だの人の心などが写り込むことはない。
だけど心は顕れる。表情に、仕草に、雰囲気に。
「別に露出を下げろって意味じゃないよ。ただ、何もかも開けっ広げにすればいいってもんでもない。これまでの仕事はビジネスに徹してる感じがしたのが気になってたんだよね」
「でも、仕事ですよね?」
ビジネスライクに取り組んできたという自覚はある。
TSしてからも見た目以外は取り柄のない人間だった。
家を出て故郷を捨てて芸能事務所に拾われて、これからどう生きていくのかと考えたときに、あまりにも手札が少なかった。
その数少ない切り札を惜しんでいる余裕もなかった。常に全力全開だった。
「だから、もう一段上のレベルを目指す頃合いだってこと」
単にきれいなモノを撮影したいだけならば、対象を人間に限定する必要はない。
風景でもいいし、歴史的建造物だっていい。最近ではヴァーチャルな存在も台頭してきている。
とくにヴァーチャル関連は技術の進歩と共に今後さらなる発展を見せることが予想される。
その中で、何ゆえに人間を被写体に選ぶか。
人間が他に対して優位に立つことができる要素のひとつとして感情がある。
「作り物でないナマの感情は強いんだ。だって……どんな作品だって、鑑賞するのは人間だからね」
ナチュラルな感情は、鑑賞者の心に響く最も大きな要素だと各務原は断言した。
『結水 あきら』からは……言い方は悪いが『作り物感』があった。
その欠点を浮き彫りにして、ついでに払拭するための荒療治が必要な時期だったと続けた。
「それで……こいつらですか?」
晶は視線を向けた先には、これまでの撮影には存在しなかった異物――孝弘、都そして伊織の姿があった。
3人は一様に頬を赤らめ、瞳を潤ませている。晶に見つめられると、みんなして目を逸らせた。
彼らは彼らで初めて見る晶のカラダとココロに驚きを隠すことができず、感情を強く煽られているようだ。
「ああ。『結水 あきら』は周りの人間と常にビジネスとして関わってきている。割り切ってるから感情が乗りにくいのかな、と思った」
正確にはどうもそうではないようだけど。
各務原の言葉は晶の胸に深く突き刺さった。
思い当たるところがあるから、それも……あまり口にしたくない類の話だから。
「仲の良い友達に間近で見られながらの撮影は緊張しただろ?」
「緊張っつーか、なんか自分の身体が自分のものじゃないみたいで。思ったとおりに行かない感じでしたね」
「でも、こうして写真を見ると一目瞭然。でしょ?」
晶は黙って頷いた。
緊張していたというのはウソではないが、それ以上にこれまで抱かなかった情動に支配されていた部分が大きい。
各務原の言葉を借りるなら、その正体は久しく忘れていた『羞恥心』ということになる。
そして仕上がった作品のクオリティは……自分の想像を超えて高い。
自分の力ではないとは言え、限界をひとつ打ち破ったとさえ思えるほどに。
「今日はいい機会だから思いっきり見てもらおう」
「え……ええ……?」
調子よさげなことを口走った各務原に、思わず疑問を呈してしまう。
従来の撮影とは全く感覚が異なるのだ。精神的にもかなりクる。
本日のスケジュールはほぼ丸一日撮影で埋まっているというのに……
「できれば……今日の感覚を心と身体にちゃんと刻み付けて、いつでも引き出せるようになってほしい」
「うげ、マジすか」
「もちろん。友達に見られてるとき限定のレベルアップなんて、将来に繋がらないでしょ?」
「それはそうですけど……」
「恥ずかしい?」
逡巡の後に、晶は無言で頷いた。頬に軽く熱を感じた。
こんな戸惑いは……デビューして以来、初めてかもしれない。
「他の子は、きっともっと早く同じ思いをしてるよ」
「それは……」
――そうかもしれない。
上京した際の晶には何もなかった。
失うものがないから何でもできた。
グダグダと文句を垂れる同業者を甘く見ていた部分があった。
甘かったのは――自分の方だ。各務原は言外にそう語っている。
頬が赤みを増した。先ほどとは別の羞恥に襲われている。自身の未熟を指摘されたからだ。
グラビアアイドルとして上を目指せるにもかかわらず、変な満足感に囚われて足踏みしている晶に各務原がやきもきしていることは間違いない。
でも……怒られているわけではない。この偏屈者の感情を害しているなら、何のアドバイスもなしに縁を切られているだろう。
「……オレが甘かったです。ご指導、よろしくお願いします」
決めたつもりの覚悟が決まっていなかった。
期待されているなら応えたい。晶は素直に頭を下げた。
艶やかなセミロングの黒髪が、ほのかに色づいた白い肌を流れて落ちた。




